Improvised Music from Japan / Teruto Soejima / Information in Japanese

略歴

評論活動

  1. 「朝日新聞」「毎日新聞」「公明新聞」「ジャズ批評」「スイング・ジャーナル」「ジャズ・ライフ」「ミュージック・マガジン」「レコード・コレクターズ」「ノイズ」「パイパース」「あんさんぷる」「現代詩手帳」「Music Today」等の各紙誌に執筆。
  2. 電波媒体では、1982〜88年FM東京の番組「音楽情報」の企画と解説、またインタービュアーとしても数多く出演。他にもNHKを始め各地のFM局に出演し、音楽解説や辛口の音楽状況解説を行う。
  3. 著作「現代ジャズの潮流」(丸善出版 1994年)
  4. 著作「日本フリージャズ史」(青土社 2002年)

プロデユース活動

  1. 1969年および1970年の8月、日本ジャズ協会副事務局長として「サマー・ジャズ・フェスティバル」第1回及ぴ第2回を企画、主催。
  2. 1969年11月より1971年5月まで、当時日本で唯一の前衛ジャズ専門演奏場「ピット・イン・ニュージャズ・ホール」を新宿に開設・運営し、日本の新しいジャズの興隆・発展のための推進役を果たす。「ニュージャズ・ホール」閉場後は渋谷に拠点を移し、74年6月までこの運動を続ける。
  3. 1970年4月、「センセイショナル・ジャズ '70 フェスティバル」を企画・主催。
  4. 1971年11月、フリー・ジャズ、現代音楽、アンダーグラウンド映画、舞踏、前衛美術を同時多発表現するミクスト・メディア・イベント「グローバル・アート・ビジョン」を、ヨシダ・ヨシエ氏(美術評論家)と共同企画・主催。
  5. 1972年3月、詩人自身による現代詩の朗読ムーブメントに関わり、「ポエトリー・イン・ジャズ・フェスティバル」を故諏訪優氏(詩人)と共同企画・主催。
  6. I973年7月、当時の日本前衛ジャズの総てを結集し、14日間に渡る日本初のフリージャズ大祭「インスピレーション & パワー Vol. 1」を企画・主催。この内容はトリオ・レコードより2枚組アルバムとして発売、また一部はFM東京で放送される。
  7. 1976年1月、「インスピレーション & パワー Vol. 2」を企画・主催。この内容の一部は日本コロムビアその他でレコーディング・発売される。
  8. 1977年より今日まで、毎年ドイツの「メールス国際ジャズ祭」に評論家の立場で参加すると共に、日本のジャズ・グループを推挙してこのフェスティバルに送り込み、日本ジャズを海外に紹介する任を果たしている。
  9. 1982年9月、ドイツ文化センター東京支所の主催による現代音楽祭「パン・ムジーク・フェスティバル '82 トウキョウ」の企画・構成を同センターより委任され、ヨアヒム・E・ベーレント氏(ドイツのジャズ評論家〉、石井真木氏(作曲家〉の両氏と共に企画・制作、また司会と解説も行う。
  10. 1983年11月、読売新聞社文化事業部主催による「フリーダム・ナウ・ジャズ・フェスティバル Vol. 1」の企画・構成と司会を依頼され行う。
  11. 1983〜84年、西武百貨店文化部の依頼により「今日の日本ニュージャズ・シリーズ」の月例企画と毎回の司会・解説を一年間行う。
  12. 1987年3月、横浜市より「市制百年記念アート・フェスティバル」の準備委員を依頼され、その任を果たす。
  13. 1987年7月、東京都文化振興会、朝日新聞杜、アリオン音楽財団の共催による「第3回東京の夏音楽祭」の構成の一部を委任され、その企画・構成を行うと共に司会を担当する。
  14. 1988年3月、日活映画事業部が主催した3日間の舞踏フェスティバル「舞踏 vs 音楽」の企画と総監督を委任され、田中泯〈舞踏)とセシル・テイラー (p) の共演等を実現させる。
  15. I988年5月、ロシア作曲家同盟に招待され、「第3回国際現代音楽祭」〈サンクト・ペテルブルグと「第11回モスクワ・ジャズ祭」(モスクワ)の両音楽祭に評論家の立場で参加。
  16. 1988〜90年6月、韓国側主催者の依頼により、「コリアン・フリー・ミュージック・コンサート」の企画・構成を行う。
  17. 1988年7月、長野県高遠町主催の「ジャズ・フェスティバル in 高遠」の企画・構成を行い、司会を担当する。
  18. 1988年9月、韓国ソウル・オリンピックに関わるプレ・オリンピック・アート・フェスティバルの一部門である韓国初のジャズ祭「ソウル・インターナショナル・ジャズ祭」の海外部門の企画・構成をソウル市長より委任され、日本と欧米の出演者の企画・構成を行う。
  19. 1990年より今日まで毎年ロシア、アルハンゲリスク市の「アルハンゲリスク・ジャズ・デイズ」に招待され、評論家として参加すると共に、毎年日本のグループを推挙してこのジャズ祭に送り込み、日本ジャズを海外に紹介する任を某たしている。
  20. 1992年10月、国際交流基金による海外への日本文化紹介事業の一環として、ジャズ演奏家を帯同し、ロシア・バルト諸国を回る。
  21. 1993年11月、フィンランド外務省文化部に招待され、タンペレ市で行われた「タンペレ・ジャズ・ハプニング」に評論家の立場で参加。
  22. 1995年7月、邦楽演奏家山本邦山氏のドイツ公演を企画、実施。
  23. 1995年l0月〜2000年4月、六本本「将軍」で音楽を中心とした月例トータル・メディア・イベントを企画・監修。
  24. 1996年6月、アメリカ・アトランタのプレ・オリンピック・アート・フェスティバルに招待され、評論家の立場で参加。
  25. 1996年8月、東京都歴史文化財団の助成による事業「ベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラ日本公演旅行」を実行委員長として企面・制作。
  26. 1997年6月、ドイツ、デュッセルドルフの「ジャズ・ラリー・フェスティバル」にジャズ演奏家を帯同して参加。
  27. 1997年10月、ロシアの「サンクト・ペテルブルグ・ジャズ祭」にジャズ演奏家を帯同して参加。
  28. 1997年12月、イタリアの「ピサ・ジャズ祭」に評論家として招待される。
  29. 1998年5月と2000年6月に、日本のジャズ・オーケストラ「渋さ知らズ」のヨーロッパ 及び韓国など11ケ国十数都市公演をゼネラル・プロデューサーとして企画・制作し、実行する。
  30. 海外の創造的でコンテンポラリーなジャズ・グルーブを日本に招聘して一般公演や大学でのレクチャー・コンサートを行う。ギュンター・クリストマン x デットレーフ・シェーネンベルク・デュオ(ドイツより1978年)、ペーター・コヴァルト・トリオ(ドイツより1982年)、デヴィット・モス x クリスチャン・マークレー・デュオ(アメリカより1986年)、ソウル・ニュージャズ・トリオ(韓国より1987年)、アルハンゲリスク七重奏団(ロシアより1991年)、トリオ・ウラジーミル(ロシアより1998年)等々。カルロ・アクティス・ダート(イタリアより1998年)の日本公演に協力。またロシアの前衛詩人ドミトリー・プリゴフの自作詩朗読パフォーマンスを、鈴木正美氏(ロシア文学者)と共同プロデュース。
  31. 日本の創造的な芸術家たちの映画や舞台のために音楽的な協力や共同製作を行う。故土方巽氏(舞踏家)の舞踏公演「四季のための二十七夜」に協力〈1972年)、故小川紳介監督の映画「千年刻みの日時計」の製作に協カ(1986年)、若松孝二監督の映画「エンドレス・ワルツ」の製作に協力〈1995年)、友恵しずねと白桃房(舞踏グループ)の公演に協力(1993年)等。
  32. 2000年11月、ソウルで行われた日韓演劇祭「フィジカル・シアター・フェスティヴァル」の一部をプロデュース。
  33. 2001年9月より、東京入谷「なってるハウス」で、「副島輝人プロデュースの夜」と題したコンサート・シリーズを開始。
  34. 2002年12月19〜23日、東京入谷「なってるハウス」での「副島輝人プロデュースの夜」シリーズの一環として、5日間にわたる「インディペンダント・アンダーグラウンド・ミュージック・フェスティヴァル」を大谷能生(音楽評論家、サックス奏者)と共同プロデュース。
  35. 2006年5月30日〜6月3日、パリの日本文化会館が主催した5日間のフェスティヴァル "Jazz in Japan 2006" の芸術監督を勤める。

講演・対談

  1. 日本各地の大学、文化団体などで数多くの講演を行う。1998年には、韓国ソウル市の聖心女子大学で特別講演を行う。
  2. 対談も数多いが、代表的なものは次の通り。1985年、松平頼暁氏〈作曲家)との「音の魔・詩の間」(無限アカデミー主催)。種村季弘氏〈文芸評論家〉、長部目出雄氏(作家)、秋山祐徳太子氏(美術家)、故佐藤重臣氏(映画評論家〉等と順次行った「戦後前衛芸術:その諸相と軌跡」(横浜市教育文化センター主催による連続対談シリーズ)。また、佐藤允彦氏、アレキサンダー・V・シュリッペンバッハ氏、レオ・スミス氏、故トム・コーラ氏等のミュージシャンとも音楽について突っ込んだ論議を公開対談として行う。
  3. 1989年9月から1992年3月まで、武蔵野音楽学院の講師として、「現代即興音楽史」の講義を行う。
  4. 1993年4月がら今日まで、東放学園放送専門学校の講師として、「現代芸術論」の講義を行っている。
  5. 2003年4月から東京、高円寺「円盤」で、「日本のフリージャズ史を語る」と題した連続講義を行う。
  6. 2005年 スロヴェニアの日本文化祭と、ウィーン大学で日本のジャズ文化について講演を行う。
  7. 2006年3月、パリのジャズ・クラブ「Tampon」で『日本フリージャズ史』を講演。また、6月にはパリの日本文化会館で『日本ジャズ文化史』を講演。
  8. 2006年9月、韓国 Heyri 文化村で『世界の前衛芸術状況』を講演。10月にはロシアのPRO-arte Institute(サンクト・ペテルブルグ)と DOM Culture Center(モスクワ)で『日本フリージャズ史』を講演。

レコード制作

  1. 1984年より「モビース」レーベルを設立し、大手レコード会社では営業上取り上げ難い前衛的な音楽や、可能性を持った無名の新人等のアルバムを制作・発売。中でも、藤川義明イースタシア・オーケストラの「照葉樹林」は朝日新聞芸能欄で最重要レコードとして評価される。

映像制作等

  1. 1978年より88年までドイツの「メールス国際ジャズ祭」および「ハンブルク・ジャズ祭」、イタリアの「ピサ・ジャズ祭」等、水準の高い国際ジャズ祭を撮影、それらを各1時間前後に編集して8ミリ記録映画を制作、日本各地の数10都市で自主上映し世界のコンテンポラリーなジャズの状況を映像で紹介。これらフィルムの数本はドイツと韓国でも上映される。
  2. ドイツ・カッセル市で開かれた国際前衛美術展「ドクメンタ 8」(1987年)及び「ドクメンタ 9」(1992年)、イタリアの「ベネツィア・ビエンナーレ」(1997年)を紹介するレクチャーを、自ら撮影したスライドを使いながら美術館や大学の美術学部など国内約20都市で実施。
  3. 1987年頃より、自ら撮影した8ミリ映画やスライドを素材にして即輿演奏家と共演する即興映写パフォーマンスを行っている。

Last updated: September 17, 2006