Improvised Music from Japan / Otomo Yoshihide / Ground Zero

「演奏」から「音響」へ 〜 大友良英試論

文:佐々木敦

後の世の研究者たちにとって、この一枚のアルバムは、きわめて重要な位置に置かれることになるだろう。これは90年代を通じて、大友良英のメイン・プロジェクトであったグラウンド・ゼロのラスト・レコーディングであるばかりでなく、大友良英というひとりのアーティストの総体的な歴史において、まぎれもなくひとつの結節点を成す作品であるからである。

より正確さを期すならば、1998年3月8日に東京渋谷のON AIR WESTで行われた、グラウンド・ゼロによる"融解GIG"を境に、大友良英の活動史/音楽史は、その前後にはっきりと分断されることになる。追って詳しく述べることにするが、その時の演奏をほぼそのままの形で収録したこのアルバムには、その「前」と「後」の要素が複雑に混じり合って存在している。これはまちがいなく大友自身の意図的な選択と実践の結果であったが、それゆえに、ここで聴かれる「演奏」と「音響」には、「前/後」のいずれに依拠した聴き手をも、多少とも戸惑わせる部分があることは否定できない。

しかし筆者は、それを変貌の過度期ゆえの峻巡がもたらした曖昧さであると結論付けようとは思わない。むしろここにこそ、大友良英という音楽家の本質が露出していると考える。そして先走りして述べるなら、本作について考えることは、その「前」と「後」という分節を証し立てるだけではなく、更にそこを越えて、大友の作品行為に一貫して流れるモチーフを抽出することにもなると、筆者は確信しているのである。

まず、本作が境目を成す分節が、いかなるものであるかについて考えてみることにしたい。先ほど「演奏」と「音響」と書いたが、生身の人間による楽器/音具の「演奏」と、その結果として生まれる「音響」が、いわゆる「音楽」のベーシックな要素であるとするなら、大友の変貌は、前者から後者への重心の明確な移動という点をもって語ることが出来る。「演奏」から「音響」へ。

すぐれたギタリストであり、また日本で最初のターンテーブル奏者でもある大友は、その音楽性を進化/深化させていくにあたって、自らの、また他のプレイヤーたちの演奏能力および身体的表現というものに重きを置いてきた。フリージャズ〜インプロヴィゼーションの文脈から出発し、独自のプロセスでコンポジションへと赴いていった大友にとって、これは当然のことであったと言っていい。ある「音楽」を達成するために、かなりハイレヴェルな技術的習熟と、肉体的なダイナミズムを必要とするような作品を、大友は提示してきた。そして、そのひとつの理想形ともいうべき形態が、他ならぬグラウンド・ゼロであったことは言うまでもない。

グラウンド・ゼロはその名を与えられて以来、何度かのメンバー・チェンジを経ることになったが、これは取りも直さず、大友が求める「音楽」に至るための試行錯誤を示している(もちろんそれは、到達してエンドになってしまうものではなく、常により高次へと先送りされていくものであったのだが)。基本的なバンド・フォーマットから各2名のギター/ベース/ドラムスを擁するダブル・バンドへ、更にはサンプラーに琴と太竿三味線が加わった特異な編成へと変化していったグラウンド・ゼロは、それぞれ独自の活動も抱えたメンバーたちの卓越したテクニックを背景に、「演奏=音楽」の極限を模索していったのだった。

グラウンド・ゼロの解散をめぐって、大友にどのような内的葛藤が、またメンバーたちといかなるやりとりがあったのかは知るよしもない。だが、グラウンド・ゼロの"融解"以後、大友が新たに取り組んでいるI.S.O.やフィラメントといったユニット、あるいはソロでの活動には、グラウンド・ゼロとは明確に異なった志向性が刻印されている。それは端的にいって「演奏」の放棄、いや、そこまでは言わないまでも、少なくとも「演奏」からの解放を企図するものだと言える。

I.S.O.やフィラメントでは、大友はギターを演奏していない。ターンテーブルやサンプラー、CD/MDプレイヤーといったお馴染みの機材も、過去のように大友良英ならではのテクニックとセンスによって「演奏」されるのではなく、むしろシンプルな「音響」を発するための道具としてのみ使用されている。グラウンド・ゼロの変幻自在のアンサンブルに代わって、サウンドの核となっているのは、サイン波を基調とする電子音であり、回路の接触音もしくは接触不良音であり、今日のフリーケンシー/シンセサイズ/ジェネレイテッド・ミュージックに属する様々な音盤からのフラグメントであり、そしてターンテーブルと針自体が漏らす微かなノイズである。

この変化は、グラウンド・ゼロで唯ひとり、もともと職業的演奏家ではなかった松原幸子(I.S.O./フィラメント)からの影響が強いと大友自身は語っている。実際、グラウンド・ゼロに参加してから暫くは大友と同じくサウンド・コラージュ/サウンド・エフェクト的な要素を司っていたサンプラー奏者の松原は、やがていわゆるサンプリングを一切辞めてしまい、サンプラーにプリセットされたサイン波のみを音源として用いるというユニークな方向性を打ち出しており、これは大友自身の変化とベクトルを完全に同じくしている。大友、松原、一楽儀光のトリオであるI.S.O.の場合、本来、パーカッショニストであった一楽も現在ではエレクトロニクスしか使用しておらず、シフト・チェンジは非常に鮮明なものとなっている。

「演奏」から「音響」へ。ここではもはや「いかにして弾くか」であるとか「どのように弾くか」などといった要素はほとんど顧みられることはない。「音響」はそれ自体としては「操作」や「表現」の外にあり、そこで問われるのはまず音を出すか出さないか、次いで音の選択、そしていかなる音量に設定するか、最後にどれだけの時間その音を持続させるか、である。つまり、ここでは「音楽」は身体的な行為から離れて、より思弁的な作業となっている。ラジカルといって良かろうこの展開はいまだ継続中であり、今後大友がどのような方向へ進んでいくのか、筆者は注意深く見守っていきたいと考えている。

さて、ここであらためてこのアルバムについて考えてみよう。"融解GIG"はこのような大友の(おそらくは不可逆的な)変貌の中間点に位置するものとなっている。メンバーは、この一度限りの13人編成である。詳しくはクレジットを参照していただきたいが、過去にグラウンド・ゼロに参加してきたミュージシャンから選ばれたメンバーに、新たな顔触れも何人か加わっている。実はこの時には、大友がグラウンド・ゼロの解体を表明してから、かなりの歳月が過ぎており、彼はすでに新しい段階へと進みつつあった。それゆえ、この72分23秒という収録時間のあいだに、先に述べた「演奏から音響へ」という変化それ自体を、そのままシミュレートしてみようというのが、大友の狙いではなかったかと思われるのだ。

実際、このアルバムはまるでグラウンド・ゼロ=大友良英のこれまでの歴史を猛速力で駆け抜けるような展開を見せる。ロック、ジャズ、インプロヴィゼーション、エスニック、ノイズ、ミュージック・コンクレート、ミニマル・ミュージック等などといった様々な要素が、現れては消え、消えては現れ、互いに重なり合ったり離れたりしつつ、複雑かつ不安定な軌跡を描いていく。しかしそれは、いわゆるミクスチャー的な混合の美学を追求するようなものではなく、むしろぶっきらぼうなまでの無造作さで繋ぎ合わされているような印象を与える。かつてのグラウンド・ゼロの「演奏」にあった、ある種のまぎれもないカタルシス、エクスタシスは、ここからはほとんど感じ取ることが出来ない。それゆえに、大友の信奉者を自認していた者の中にさえ、何処にも定位せずひたすらフローしていくサウンドに違和感を感じ、不満を抱いた者がいたこともまた事実である。

しかし、大友はまさにそれこそを目指していたのではなかったか。これは文字通りの意味で、グラウンド・ゼロという存在の"融解"の過程を聴かせるライヴだったのである。エンディングに至って、サイン波がまさに波のごとく押し寄せてきて、全ての「演奏」を覆い尽くす。最後には「音響」だけが残される。このアルバムは、グラウンド・ゼロという集合体が、いわばオーケストラからオシレイターへと変異を遂げるさまを写し取った貴重な記録である。そしてそれはまた、大友良英という類まれなコンポーザー/ミュージシャンが、後戻りの出来ない新しいフェイズへと勇敢に足を踏み入れていったことを高らかに宣言するマニフェストでもあった。

ところでしかし、ここまで述べてきたことは、実のところあくまで表層的な様相に過ぎない。すべてを覆えすようだが、逆に現在の視点から見ると、このアルバムに結晶化された"変貌"の前後にかかわらず、大友は一貫して同じ問題に取り組み続けているのではないかとも思えてくるのだ。それは、一言で述べるなら、音によるアナーキー(カオス)の提示と、その組織化(コスモス)とを、いかにして両立させるか、という問いである。

先ず大友は、既成の「音楽」に対してのサボタージュたる、ノイズと即興演奏のイディオムの拡張を追求することで、混沌に構成を導入することと、秩序にカオスを潜在させることを同時に行おうとした。その後、サンプリングというアイデアが持ち込まれることにより、ポスト・モダニスティックな引用とコラージュの時代が訪れる。端的にいって、こういった大友の試みは同時代の誰よりも成功していたと言っていい。しかし、カオスとコスモスが手法的に通底したり、あるいはコンセプチュアルに反転し続けるという構造は、カオスとコスモスの峻別自体をあらかじめ揺るぎないものとして前提してしまっている。アヴァンギャルドの美学や、ポストモダンの戯れが陥ったのは、アナーキズムが組織化を、組織化がアナーキズムを、自らの存立基盤として絶えず補強し、維持し続けてしまうという罠であった。そうではなく、カオスとコスモスがそもそも完全に同じものなのだということ、そこに峻別などないのだということ、「世界」とはそのようなものとしてあるのだということを、音そのものによって示せないものだろうか?。こうして大友の新たなフェイズが始まるわけである。

「世界」のざわめきとさえずりをいかにして聴き取る/聴き取らせるか?。大友良英の歩みは、この問いに対する様々なアプローチという点において一貫している。その問いかけは今も継続中なのだ。そして言うまでもなくこれは、あの高柳昌行が、生前最後のアルバムとなった『イナニメイト・ネイチャー』で向き合おうとした問いでもあった。

99年4月15日


Last updated: June 29, 1999