山本精一とブラボー小松。ギタリストが二人でGuitoo = ギトゥー。アルバム『サイクロトロン』は、仙波清彦と熊谷大輔による打楽器以外のすべての演奏を二人によって、しかもギターだけで作られたものである。
個性的なんて言葉じゃ書き表しきれないギタリスト二人のデュオ。試合前 = 試聴前に期待したのは、それぞがどんな "一人称" で挑んでいるか、ということだった。 想い出波止場、ボアダムス、羅針盤、PHEWとのデュオ・・・(以下延々)と、場所によって見事に、しかもこれが肝心だが無意識に、私、俺、ボク、おいどん・・・と一人称を変えている山本と、フィルムス、東京ブラボー、マッスル・ビート、SEX、そしてピチカート・ファイヴでのツアーの華あるセッション・マンとどこに言っても揺るがぬ "ブラボー道" を打ち出す小松との出会いの場でのお互いの一人称はいったい、どんなもんだろう。
結果は意外。お互いに一人称をどこかに置いてきていた。一つの大きなキャンバスに絵を描くように、どちらが、どの部分を描いたのか、なんてまったくどうでも良い、とでもいうかのように、二人のギターの音色は混ざり合い、聴き手には分離する術がない。
確かに過去の音楽と照らし合わせるなら、ロバート・フリップとブライアン・イーノ との競演作と近い肌合いがある。それもアンビエント音楽としての機能以前の、ファイン・アート的な、絵画的な音楽。改めてバンド名を見る。GuitwoじゃなくてGuitoo。ギターが二人、じゃなくって、すでにここで、おっ、おぬしもギター、という会話が聞き取れるのだった。
ライヴでは出演者の幕間(まくあい)にDJならぬ、''GJ'' として登場する彼ら。言葉遊ぴだけじゃなくレコードを回すようにギターを鳴らす。『サイクロトロン』は山本精一のギターと、ブラボー小松のギターによるレコードと言い直した方が良いのかもしれない。
安田 謙一
Flyer No. 37 1999年