(2001年5月31日、フランス、モントルイユにて)
Q:生まれはどこですか?
ドイツ、ザールラント州ザールブリュッケンの近くで生まれました。今はベルリンに住んで8年になります。
Q:何年生まれですか?
1967年です。
Q:ギターを弾き始めたのはいつですか?
最初にギターを弾きたいと思ったのは4才の時からですが、ギターを弾くにはまだ小さすぎたので許されませんでした。代わりに別の楽器を習いましたが、11才の時にギターを始めました。
Q:4才とは早いですね。その時にギターを弾きたいと思ったのはなぜでしょう?
わかりません。両親が音楽を習いたいかって訊いてきたので、習いたいって言ったら、3〜4才のグループに入れられました。そこでの音楽は何でも大好きでした。そこでは演奏したい楽器を自分で決めることができたのですが、私はギターを演奏したいと思いました。その時はフラメンコ・ギターを弾きたかったのです。なぜかはわかりませんが。
Q:11才でギターを始めた時、どんな音楽を演奏していましたか? クラシックですか?
いいえ。私の先生はジャズ・ミュージシャンでした。彼は音符を教えてくれて、それにフォーク、クラシックやジャズもちょっと。私は自分で歌を作ったりもしました。16才の時には、同じ年頃の人たちがやっていたようにギター弾き語りの平和の歌 (peace song) を何曲も作ったり、ロックとかいろいろやってました。しっかり勉強しようと思ったのはそれからで、クラシック音楽を勉強しようと決心しました。
Q:個人で練習したのですか、それとも音楽学校に行きましたか?
音楽学校に行きました…自らの選択で。
Q:即興音楽の演奏を始めたのはいつですか?
とても難しい質問ですね。何をするか誰からも指示されずに音楽を作るのが即興ですから。ゲームみたいなものですね。私は子供の時分に始めていました。自分でやりたいことをやって…ノイズではなく、子供がするように楽器を演奏してそれを録音したりしていました。
Q:子供の頃、どんな即興演奏をしていたのでしょう?
インタヴューでこういうことはあまり話すべきじゃないのでしょうが、学校の先生が好きか嫌いかを歌ったりしました。学校や生活やいろんなことをたくさん歌にして即興で歌ったり演奏したりしていました。
Q:16才の時とはどんな時代でしたか?
私が住んでいた小さな町でも、多くの人が冷戦に対する反対運動を展開するような時代でした。私も一緒に反戦・反核のデモを行い、平和の歌などを歌ったりしました。私が影響を受けたものといえば、クラシックやジャズや平和の歌や自作の歌だったのです。
Q:当時、誰かジャズ・ギタリストの演奏を聴いてましたか?
いいえ、ジャズ・ギタリストは誰も聴きませんでした。ただジャズを勉強していただけで…。
Q:デレク・ベイリーはどうですか?
デレク・ベイリーのことは知りませんでした。即興音楽の演奏家を知るようになったのはずっと後のことで…実際、ベルリンに来てからです。それ以前は、よく絵を描いてました…抽象画です。ダダイズムとかそういったものが好きでした。時には描いたものを演奏したり、演奏したものを描いたりしました。でも、それは全部自分ひとりでやっていたのであって、他の人たちが同じことをやっていたとしても彼らとの繋がりは何もありませんでした。
Q:それでは、ベルリンに来て即興音楽に取り組む以前には、どんなタイプの演奏をしていたのでしょう?
当時、私はフランクフルトに住んでクラシック・ギターの勉強を始めていました。同時に抽象画もやっていて、抽象画を音楽にしようとしたりもしました。でもほんのちょっとだけです。抽象的な節回しのメロディのみ…まだノイズはありません、必ずピッチ(音の高低)があって、たぶんあまりいい音楽じゃなかったでしょうね。それに、当時の私はヨーロッパの伝統を知ろうとバロック音楽をたくさん演奏していました。作曲も随分しましたね。そのうえ、ジャズの世界にも少し足を踏み入れて、演奏を聴いたり、ギタリストが講師を担当した音楽学校のジャズ講座に行ったりしました。でも、あまり熱心になれませんでした。スケールをひとつひとつ弾くなんて、とても面倒でした。スケールを何度も上がったり下がったりするのは、私にはちょっと退屈で、それであまり楽しくなかったのです。それよりもバロック音楽のほうがおもしろかったです。私には、そのほうがジャズよりも自由でしたね。なぜかはわかりませんが。
Q:8年前にベルリンに移ったわけですが、そこでミュージシャンと会ったりしましたか? 現在演奏しているような音楽と関わり合うきっかけは?
ベルリンに移ったのは音楽についてもっと知るためでしたし、それにミュージシャンと出会い、音楽シーンで起こっていることを知るためでした。コンサートに行って、もちろんミュージシャンたちと会い、即興シーンを知るようになりました。そしてセッションをしたりしました。
Q:ベルリンに移った当時、あなたはまだギターを抱えた普通のスタイルで演奏していましたか?
当時、私はクラシック・ギターのようにギターを弾いていました。でも、それはもう忘れたいと思っていました…あまり自由でないので、クラシック音楽で学んだことは忘れたいと思ったのです。それで、いくつかのことをやってみました。まず、クラシックから抜け出すためにクラシック・ギターをパブで演奏しました…もろクラシックです。この音楽を別の場所に置いてみたかったのです…これはうまくいきました。何しろたくさんのスケールが手癖のように染みついていましたから、次にはスケールを忘れるために ギターをチェロのように抱えたり弦の数を減らしたりもしました。時には「普通」のスタイルでギターを抱えることもありました。それから、ギターをテーブルの上に置き始めました。ほんの3年前だったと思います。ギターを横たえたほうが、プリペアードした物が落ちないので楽なのです。私はギターにいろいろなものを載せますから、こちらのほうがやりやすいのです。
Q:数年前にはギターをテーブルに置いていましたが、今は膝の上に置いていますね。なぜですか?
数カ月後には、また変えるかもしれませんね。ギターをテーブルに置いたのは、物をプリペアードするのに向いているからです。テーブル・ギターがあって、こっちにはミキシング・デスクがあって…全部、テーブルにありました。その頃の私は、まるで彫像のような…オブジェのように位置する物のような音楽を追求していたのです。動きながら音楽を作っているミュージシャンではなく、2台のアンプでオブジェを作っているような。つまり、それはミュージシャンではなく、オブジェを作る人に過ぎない。ギターは私の身体の一部ではなくテーブルの上にあって、私はこちらにいました。私から離れていたのです。ところがそのうち、音楽は音楽であり、音楽…そこにないもの…でオブジェを作ることなど、たぶんできないとわかったのです。それで、ギターを膝の上に置くようにしました。動作を伴ったほうがいろいろできて楽です。音の左右・高低など諸々を設定するミキシング・デスクはテーブルに置いてます。たぶん、技術的にはギターを身体に近づけたほうが演奏しやすいというのもあるでしょうね。
Q:今ギターでやっていることは、基本的には以前と変わりないのですか?
ええ。ギターをテーブルに置いてもすごくいい音楽は作れます…私はただ自分のフィーリングを語っているに過ぎません。テーブルに置いて音楽のすばらしいギタリストはいくらでもいます。単にフィーリングの問題です。それは常に少しずつ変わるものだと思います。
Q:ギターを膝の上に置いて、音楽に変化はありますか?
ええ。少しは演奏に違いがあります。楽器と身体との距離が違いますから。技術的な点では、マイクを別の位置に置くことができるのでサウンドがちょっと変わります。新しいアイデアを求めてギターの位置を変えることもあります。でも、同じように演奏する時でも変えたりします…複雑なことをするのに楽な場合がありますから。どこに置くかは技術的な理由に過ぎません。それに、ギターをある位置に置けば、身体をあまり動かさずにギター、弦、マイクを使って多くのことができるようになります。
Q:アンドレア・ノイマンとのデュオ以外に、どのような活動をしていますか?
ソロで演奏したり、デュオも多いですね…杉本拓、キルスティン・フックス、アレッサンドロ・ボセッティ。それにトリオ。リハーサル段階のプロジェクトもいくつかあります。どんな風になるかわかりませんが。また、抽象的なヴィデオを製作している女性がいて、彼女とも一緒に仕事をします。時々、彼女のヴィデオの音楽を担当するのですが、今も新しいプロジェクトを手掛けています。彼女の名前はサンドラ・ベッカーといいます。(アンドレアと一緒に)ウィーンのミュージシャン…クリストフ・クルツマンとブルクハルト・シュタングル…と組んだカルテットがあります。ベルリンでは、やはりアンドレアが一緒のオクテットがあります。そのグループのメンバーは他でもお互い一緒に演奏することがあります。アクセル(・ドゥナー)、イグナツ・シック、ロビン・ヘイワード…。
Q:そのグループ名は何ですか?
フォスフォー (Phosphor) です。
Q:そのグループでCDを出していますか?
既に録音はしました。演奏はかなり録音してありますから、CDを作るかもしれません。あるレーベルから誘われています。
Q:リリースされたCDはありますか?
多くないですね。2タイトルしかありません。昨年(2000年)からリリースされるようになりました。
Q:杉本拓とのCD…。
ええ。それにアンドレアとのCD。ウィーンの(レーベル、)カリズマから作らないかと誘われたのです。私はCDを作ってほしいと自分から依頼したことはありません。なぜかはわかりませんが。CDを作ってほしいと頼むのが苦手なんです。
聞き手・翻訳:鈴木美幸