Improvised Music from Japan / Masahiko Kono / Information in Japanese
略歴
トロンボーン奏者
1951年12月7日
1966年
1971年
- 和光大学在学中、友人のピアニスト大沢善人に紹介されて近藤等則と出会う。
以降、近藤についてトランペットに熱中する。時には大学のグラウンドで蝉と競演して、最後に一礼したこともあった。
1976年
- もう少し低い音が出したかったことと、身体的に向いていることから、楽器をトロンボーンに持ち替える。
この頃、トロンボーン奏者のポール・ラザフォード、ジョージ・ルイス、ラズウェル・ラッドの録音を聴き、トロンボーン・サウンドの可能性を確信する。
即興音楽グループ「TREE」を結成。2サックス、ギター、トロンボーンの編成で約1年間、全国各地で公演を行う。
同時に近藤、高木元輝(サックス)、土取利行(パーカッション)、吉沢元治(ベース)、小杉武久(ヴァイオリン)等、日本におけるインプロヴィゼイションの先駆者たちと共演する機会を得る。
この頃、ふとしたことから雅楽の龍笛に親しむようになる。
1980年秋
- 初めてニューヨークを訪れ、3ヶ月滞在。この間、ミルフォード・グレイヴス(ドラムス)、ビリー・バング(ヴァイオリン)、ウィリアム・パーカー(ベース)、エリオット・シャープ(ギター)らと共演する。
帰国後、近藤、羽野昌二(ドラムス)、板橋克郎(ピアノ)らと演奏ツアーをする一方、ビリー・バング、ポール・ロヴンス(ドラムス)、デレク・ベイリー(ギター)らと日本ツアーを行い共演する。
京都において、日本で初めて行われたミュージック・インプロヴァイザーのミーティングに参加。50余名のミュージシャンが一同に会し、3日3晩演奏した。
1983年夏
- ヨーロッパ経由でメキシコに向かう途中、ニューヨークに立ち寄り、そのまま居住する。ジョン・ゾーン(サックス)主催のスペース「セイント」でのコンサートで、ジョンとフレッド・フリス(ギター)のデュオに誘われたことがきっかけだった。
1984年
- ウィリアム・パーカーのオーケストラの一員として、クール・ジャズ・フェスティヴァル (Kool Jazz Festival) に参加。
1985年
- ジェミール・ムーンドック(サックス)のジャス・グルー・オーケストラ (Jus Grew Orchestra) に参加。1990年まで続く。
1987年
- ケン・マッキンタイヤー(ドラムス)、ウォーレン・スミス(パーカッション)と共に、ニューヨークのFM放送局WKCRに生出演する。
- 秋には、「キッチン」で開かれた「New Music from Japan」と題するジョン・ゾーンのプロデュースによるフェスティヴァルに、ジョージ・ルイスとのトロンボーン・デュオで出演。
1989年
- ウィリアム・フッカー(ドラムス)のレコーディング・セッションに参加。後に「The Firmament Fury」というタイトルでCDリリースされる。
- 米国永住権を取得する。
1991年12月〜1992年1月
1992年秋
- メキシコのワハカ (Oaxaca) に行き、2週間余り滞在する。これは10年来の念願だった。町の中心にあるソカロ(小さな公園)やモンテ・アルバン (Monte Alban) の遺跡でソロ演奏を行う。この訪問での様々な体験から、即興演奏にとって本質的に重要な何かを得たという実感を持つ。「Mexico」というテープ作品に現地でのいくつかの演奏が収められている。
1990年代前半
- ウィリアム・フッカーのバンドと、エレン・クリスティ(ヴォーカル)+フィオレンゾ・ソルディーニ・クインテットにしばしば参加する。
1991年
- 1月、クリスティ+ソルディーニ・クインテットのレコーディング・セッションに参加。後にCD「A Piece of the Rock」としてリリースされる。
1993年
- エレン・クリスティ・バンドの一員として、イタリア、オーストリア、北米ツアーを行う。
- ボリス・レイスキン(チェロ)と約1年に亘って、「エレクトロニクスとアコースティック」のコンセプトで、頻繁に演奏を行う。
この頃から、ホセ・ハラク(作曲、ヴォイス)との共同作業が始まる。
1994年
- ウィリアム・パーカーのリトル・ヒューイ・クリエイティヴ・ミュージック・オーケストラ (Little Huey Creative Music Orchestra) に参加。
1995年
- セシル・テイラー(ピアノ)のビッグ・アンサンブルに度々参加するようになる。
- ニューヨーク在住の加藤英樹(ベース)とよく共演するようになる。
1996年
- 6月、ニューヨークの 21st Century Arts Festival に加藤、ハラクを含むカルテットで出演。
- 10月12日、横浜ジャズプロムナードでソロ演奏を行う。
1997年
- 5月27日〜6月1日にニューヨークで開かれた Vision Festival に、ウィリアム・パーカーのリトル・ヒューイ・オーケストラおよびブッチ・モリスのオーケストラのメンバーとして出演する。
- 6月19日、アルゼンチン、ブエノスアイレスでのフェスティヴァル Experimenta '97 に、ハラク、加藤、河野、ジェイソン・サーカー(ヴィブラフォン、パーカッション)のクインテット「SCREAM」と、加藤とのデュオで出演。
- 10月11日、横浜ジャズプロムナードに、ミシャ・メンゲルベルク(ピアノ)、豊住芳三郎(ドラムス)とのトリオで出演。
1998年
- 5月31日、イタリア、ヴェローナでのフェスティヴァルにウィリアム・パーカーのリトル・ヒューイ・オーケストラの一員として出演。
- 10月10日、横浜ジャズ・プロムナードで、羽野昌二、ペーター・ブレッツマン(サックス)とのトリオで演奏。
- 10月11日、横浜ジャズ・プロムナードで、板橋文夫(ピアノ)のセッションに参加。
- 11月7日、ニューヨーク、ブルックリンのGalapagosでの無声映画と即興演奏のイヴェントに、ホセ・ハラク(サンプラー)、ケン・バトラー(ハイブリッド・ストリングス)とのトリオで出演。映画は衣笠禎之介監督「くるったいちページ」(1926年)。
1999年
- 1〜2月、ニューヨークのラママなどで人形劇「Lusalka」をウィリアム・パーカーのオーガニック・シアター・アンサンブル (Organic Theatre Ensemble)で20回公演。
- 1月30日、ウィリアム・パーカーのリトル・ヒューイ・オーケストラの一員としてリンカーン・センターのAlice Tully Hallで演奏。
Last updated: June 7, 1999