角田俊也
村山と角田はスネア・ドラムを抱えて横浜郊外の公園へピクニックに出かけた。のどかな春の広々した空間を、私たちは太鼓の内から覗いてみた。村山はスネアを一度も叩いていない。その代わりにスネアの中にマイクを仕込みコンディションを毎度変えてみた。皮のテンションを緩めたり、枠をはずしたり、重石を乗せたり、木に吊るしたり、皮をナイフで切り開いたり…。2日に渡る風変わりなピクニックで80テイクの響きが収録された。誰もが知っているスネアの音はここにはない。これらの響きは楽器の音としてのものではなく、楽器をひとつのオブジェと解釈した結果である。録音という行為によって、楽器は物体に還元されず楽器としてかろうじて体裁が保たれている。私たちは音響的な関心がそれほど無かったので、個々の録音テイクの状態のメモは取らなかった。この録音における個々の差異は、響きそのもののためではなく、また状態の識別が目的なでもないからだ。これは差異そのもののための差異である。似たものが次々と過ぎ去っていくとき、聴く者は自らの閾(変化として認識できる値)を聞くことになるだろう。私たちはこの差異に驚いた。ここには美しい音饗は無い。しかし私たちには、混沌とした、原初的で、すでに充分な何かがあると思えた。
村山と角田は録音された80テイクの内の最初(track 1/take 1)と最後のテイク(track 60/take 80)を除いた78個のテイクから各々29ずつ選び、テイクの前に10秒、テイクの後に任意の空白を挿入し、角田、村山の順に交互に並べた。角田と村山の選んだテイクが識別できるように、各テイクの後につづく任意の空白に5hzのサイン波を、角田のテイクの後は左側に、村山の空白には右側に入れた。それらは再生時にスピーカーの揺れとして視覚的に確認できる。(再生時には要注意)