Improvised Music from Japan / Tetsu Saitoh / Information in Japanese

往来トリオ CD「雲は行く」ライナーノート

往来トリオを聴きながらジャズ・ルーツ五大異端説を思い出した

文:岡島豊樹(季刊「ジャズ批評」編集者)

前回のアルバム『往来』といい、このCDといい、とてつもなく感動した。声明とのセッションにゾクゾクし、エリントンやミンガスの著名な曲や「リア王復活のテーマ」「オンバム・ヒタム」では小さいとき馴染んだ子守唄か何かのような懐かしさがこみあげてくる。私は声明もエリントンの音楽も沖縄の音楽もブラジルの音楽も縁遠い能登のイナカで育った人間なのに。思えばこれは私の場合、斎藤徹氏の音楽を聴いているとき常に生じる反応なのだった。ソロで即興演奏するときでもタンゴを演奏するときでも韓国シャーマンとの共演でも箏のような邦楽器との共同作業でも欧米の最先鋭インプロヴァイザーとの共演でも。なんで? コントラバス奏者か風鈴売りの行商人か一見わからないようにいろいろ小道具をつけたり、妙な棒でギーギーこするのを初めて観たときはショックを受けたけど、そうやって出た音は自分でもいつ身につけたかも知れない色んな記憶を喚起してくれる不思議な音として病みつきになるまでにたいして時間はかからなかった。楽器というのは現在では常識となっている形状や奏法に落ち着くまでにけっこう変更の歴史があったそうだけど、するとその間に、破棄されたり封印されたりした弾き方や音があったんだろうなと想像する。斎藤氏はそういうのを解き放つのが得意なのではないかな、たいへんな音楽博士なんじゃないかなと想像してしまう。そういった洞察を曲の形にしたのが、斎藤氏の曲なのではないの かなと思う。往来トリオでは林栄一氏も小山彰太氏もいつにも増してのびのびと多彩な音の出し方をしているように聴こえるのは、そこらへんに理由があるのではないかと思ってしまう。セファルディのトラッドとジェリー・ロール・モートンとセロニアス・モンクと東欧トラッドとアフロ〜ヒスパニック系音楽を検分 / 再構成した音楽をやりつつサン・ラーのカヴァーにも興じるアメリカのアンソニー・コールマン氏、トルコのモーツァルトことタンブーリ・ジェミル・ベイの曲やルーマニアの舞踊曲やセルヴィア正教の詠唱曲をアレンジして演奏するベオグラード出身のボヤン・ズルフィカルパシチ氏他のようなゴキゲンなミュージシャンたちのジャズに感涙しているような人たちも往来トリオの音楽にはホロリとしているんじゃないかと思う。そんなのまでジャズと呼ぶ必要があるのかな? という人もいるかもしれないけど、私はジャズと呼びたい。むかし、ジャズのルーツの議論が盛んだった頃、インド音楽説、トルコ音楽説、ギリシャ音楽説、スペイン音楽説、さらに「ジャズはオデッサで生まれた」説なんてものまであったそうだし(みんな異端説にされてしまったそうだけど)、もともとそんな議論で賑わったような音楽なのだから。むかしから色んなジャズが演奏されていたからそんな議論も湧いて出たんじゃないのかな。今後もジャズはそんな音楽であって欲しい。いや、あり得るはずだと、往来トリオを聴いていると確信してしまう。


Last updated: November 4, 2000