Improvised Music from Japan / Otomo Yoshihide / Information in Japanese

インタヴュー 2001年

(このインタヴューはフランスの音楽雑誌『Revue & Corrigee』のために、フランス人音楽評論家ミッシェル・アンリッツィがEメールで行ったものです。)

(1) R&C:
Has your approach to sound and music been influenced by traditional Japanese musical forms? A link could be made between onkyo music (with which you are associated) and this tradition--for instance in its relationship with silence, minimal gestures, and the withdrawal of the musician behind the music.

大友:
伝統からの影響を答える前に、はっきりさせなくてはならないのは「日本の伝統」という漠然とした定義の質問に対して、注釈ををつけなくてはならないということです。「日本の伝統」とはいったいいつの時代のどんな音楽をさすのか、わたしにはよくわかりませんし、たとえば皆さんが(日本人もふくめて)古くからの伝統だと信じている鼓道や御太鼓座のような和太鼓のアンサンブルによる音楽は、わずか数十年の歴史しかない音楽ですし、古典といってもいくつもの異なるジャンルがあって、ひとくくりに「日本の伝統」と呼ぶには抵抗をかんじるのです。わたしの場合でいえば、幼少のころ確かに日本の音楽の影響をうけてきてます。しかしその多くは60年代のテレビの音楽や日本のポップス(歌謡曲)で、いわゆる古典といわれているような歴史をもった伝統音楽とは無縁でした。文化的には今日にいたるまで、そういったいわゆる古典芸能はわたしの生活とはほとんど無縁です。なので表面的にはそういった古典的な伝統の影響はありません。あったとしても、本やCDから得た程度の知識で、生活の中にそれがあったわけではありません。ただ、もう少し俯瞰的に見れば、わたしが子供の頃好きだった歌謡曲の源流の中に民謡があったり、明治時代にはやった音楽があって、さらにその音楽は、もっと古い音楽の影響もあって…という風にかんがえれば、伝統音楽とまったく無縁だったともいいきれません。いずれにしろわたしにとっての伝統とは60年代の歌謡曲なのです。伝統とは個々人によってさまざまで、日本人だからといって共通の伝統があるとはかぎりません。わたしの場合は60年代に少年時代をすごした日本の都市生活者のいち典型的なパターンですが、同じ年齢の日本人でも育った地域や家庭環境によって伝統はまったく違うものになるでしょう。

もうひとつの質問についてですが、まず「音響」というジャンルを定義していいのかどうか、わたしはいまでも疑問を感じています。ただあたらしい音楽の傾向として、東京でつかわれているこの名前を便宜上つかわせてもらうことにします。まずわたし個人の創作についていえば、今現在の音響的な方法を見つけるにあたって、日本の古典的な音楽を参照したことはありません。日本の音楽の「間」についてもそれは一部のスタイルには確かに特徴的な「間」がありますが、ほとんど「間」のない音楽もあります。むしろ、わたしが大きな影響を受けたのは、杉本拓、Sachiko M、吉田アミ等の、東京の小さいスペースでくりひろげられるライブからです。あるいは高橋悠治や武満徹の音楽からです。高橋は日本のさまざまな俗謡や一弦琴の音楽を、武満は日本の古典、特に雅楽や琵琶、尺八の音楽を深く学んでいるので、その意味では間接的な影響があったと言えると思います。

(2) R&C:
With the New Jazz Quintet, you have just released a jazz album called Flutter on the Tzadik label. Among other things, you play some jazz standards by Eric Dolphy and Gerry Mulligan. Why play jazz again today--a tradition imported by American soldiers after the war? Instead of that, you could have chosen to play works by Masayuki "Jojo" Takayanagi or Kaoru Abe, who, while staying within the borders of the jazz idiom, deconstructed it with a unique, free approach.

大友:
私がなぜジャズをはじめたのかについては、自分でも明確な答えはわかりません。ただ70年代にジャズ喫茶で育ち、高柳昌行や阿部薫にあこがれ、影響を受けたことに遠因があるのは確かでしょう。ジャズが日本に輸入されたのは正確には大戦後ではありません。戦前には上海やハワイを経由して多くのジャズが輸入され、いくつものジャズバンドがすでに日本には存在していました。ただそういった歴史的なことは、直接わたしがジャズをやることとは関係ないと思います。ただ単にわたしは60年代や70年代、80年代に自分を音楽の世界に深く導くきっかけとなった音楽のひとつひとつと対話しつつ、今の自分の音楽をつくっていて、ジャズもその中のひとつだということだと思います。

(3) R&C:
What idea did you have in mind when you were mixing the sounds of Sachiko M and Masami Akita into this all-jazz project?

大友:
これもほんとうの理由はわかりません。ただ彼等の音がなくてはしっくりこないのです。もしもあえて理由を説明するとしたら、日本で生まれ、日本の文化の中で育ってきたわたしにとって、ジャズは外来語で、わたしはけっしてネイティブにその言語をつかえるわけではなく、したがって明らかにことなる音楽的なボキャブラリーをジャズのフォーマットの中になげこむことによって、ある種のバランスをとっているのかもしれません。ただ、これはあくまでも後からつけた理由ですが。

(4) R&C:
You were once a student of the guitarist Masayuki Takayanagi. How did this encounter affect you and your guitar technique? You spoke of the vertical structure in Derek Bailey's musical approach, with the idea of playing and then forgetting--being memory-less. Is this a necessary condition for improvisation? Keith Rowe, on the contrary, says that he regards Bailey as a figure a little like Picasso in the history of modern painting, and that his improvisation is horizontal in approach. Is it important to stay connected to the instrument, as Derek Bailey does, or should one go beyond it, as Keith Rowe does?

大友:
高柳氏との時間は、音楽ばかりではなく人生においてもはかりしれないくらいの影響を私に与えてくれました。ただ、わたしはけっしていい生徒ではなかったし、最終的にはかれのもとを飛び出してしまったので、今はまだかれについて多くを語る時期ではないとおもっています。即興をどうとらえるかについては、人それぞれいろいろな方法があっていいとおもうので、即興におけるMANDATORY CODITIONなどというものは無いとおもいます。わたしにはディレクベイリーの即興とキースロウの即興は、かなり異なるものにきこえますが、どちらもものすごく好きです。

(5) R&C:
You announced that you were going to release a record called Dear Derek on the Meme label, which will be based on samples from Derek Bailey's records. This brings to mind Fennesz, who literally made the body of his instrument disappear in the process of digital sampling, in an attempt to go beyond the prepared guitar. How far along is this project?

大友:
この作品は98年から99年にかけてつくったのですが、何度か聞きなおしているうちに、満足できなくなり発売を延期したままになっています。Fennesz がどういうことをしたのか、わたしは聞いていないのでその差はわかりません。わたしのアイディアは本来一回性の即興が録音されることによって、異なる意味(反復して聞かれる)が生じる…という部分をさらに強調して、ディレクの演奏のある部分を反復して、まったく異なるコンセプトの、しかしディレクのギターや録音の美しさをより強調するような方法を、オーディオ機器による即興演奏で実現することでした。ただ、ある部分は満足いく内容になったのですが、まだ何かが欠けている気がして、発売をやめてしまいました。

(6) R&C:
After a period in which you didn't play the guitar much, or played it in conjunction with other devices, you came back to playing guitar, notably with Taku Sugimoto in an acoustic duo on Rectangle, and also in his guitar quartet. What motivated your return to the guitar? And can you tell us about your encounter with Taku Sugimoto, and what attracted you to his music?

大友:
わたしがギターに再び夢中になった間接的なきっかけは、ボアダムスの山本精一がPHEWとともに出したアルバム『幸せの住みか』を聞いたことや、杉本拓の演奏の美しさに接したこともありますが、一番の理由はニュージャズクインテットを構想するなかでギターを弾く必要をかんじたり、親友のサックス奏者菊地成孔やドラムの芳垣安洋が、熱心にわたしにギターをひくことを勧め、はげましてくれたことが大きかったとおもいます。とにかく今は、ギターの音も好きなら、弾くことも大好きです。杉本拓との出会いは97年に彼のアルバムを聞いたことがきっかけです。素晴らしいとおもい、すぐに彼のことを知っているヴォイスの吉田アミに連絡し、彼の電話番号を聞いて、連絡しました。それからは、彼のコンサートに足をはこんだり、彼と共演するようになり、秋山徹次等、彼のまわりのミュージシャン達とも出会うことが出来ました。同じころに中村としまるとSACHIKO Mが本格的に共演をはじめたり(彼らはその数年前から断続的に共演はしていました)、中村、秋山、杉本が共同で、即興のコンサートシリーズをはじめたりしていて、ここから新しいムーブメントが起こる予感がしていました。コンサートに足をはこぶことのない日本の自称評論家達は彼らの動向にまったく無関心か、無視するかしていましたが、わたしにとって彼らの存在や方法は、グラウンド・ゼロ以降の自分の方法をさがすにあたって本当に重要でした。わたしは彼らから時間と演奏についての多くのヒントを得ました。そしてなにより重要だったのは、彼らと出会うことによって、わたしの音楽の聴き方が、それまでとはまったく違ってしまったことです。

(7) R&C:
You have written about Chinese music in the time of the Cultural Revolution, and about Japanese popular music during World War II. You chose two traumatic moments in human history. Notably, you wrote about the confiscation and use of music by those in power in totalitarian regimes. Can you tell us what interested you in these subjects? What relationship do you see between music and power?

わたしがこれらのことに興味をもって勉強したのは20年以上も前のことです。なのでその本当の動機は、もうわすれてしまいました。単にだれもそういう研究をしていなかったから、ちょうど良いとおもっただけかもしれません。ただそのときわかったことは、戦時下の日本において、単に上から強制的に音楽を統制したというだけではなく、多くの場合音楽家自らがすすんで音楽に規制をくわえたり、捻じ曲げたりして戦争協力をしていたということです。本来戦うこととはおよそ程遠い音楽家ですら好戦的になった事実を知って、愕然としたことを覚えています。いずれにしろ、これらのことは学生だった私が資料から得た知識にすぎません。重要なのは、自分が現実の中でどういう選択をするかです。いまの状況をみればわかるでしょう。戦争を支持する人が大多数になる…という状況なんて、ほんの1年前には信じられましたか。

(8) R&C:
Compared to the two musical cultures I mentioned, which emerged from totalitarianism, how do you view the omnipresence of music in today's social and public spheres--in particular, its transformation into a commercial product, its promotional use as propaganda for the consumer society?

大友:
わたしは、音楽を使って具体的な言葉にできるようなメッセージを発信する気はありません。かつてはあったかもしれませんが、いまはそういうことに否定的です。日本で9割もの支持を集める首相がでてきたり、アメリカが戦争をしている今となっては、この確信はますます強くなっています。したがって消費社会へのプロパガンダを音楽でやるつもりも、まったくありません。音楽は単純に言葉におきかえられるようなものではないとおもいますし、それがどんなに正しい主張であろうと、プロバカンダの道具として音楽を使うのには否定的です。ただ私の音楽の創り方や売り方、そして生き方の中にそういったことへの個人的な主張はこめられていますし、音楽の構造のなかに、さまざまな主張は込められていますが、それは私の側から言葉にして説明すべきではないと思っています。音楽家はそういった意味では無力に、ただ音を出す存在にとどまるべきではないでしょうか。

(9) R&C:
Do you think turntablism is merely a representation of our acoustic reality, with our sound environment perceived as a great, permanent mixture? Even Ground Zero sounded to me like a live mix of different musicians, each with his/her own story and technique.

大友:
わたしはターンテーブリズム自体にはさほど興味はありません。サンプリングやリミックスについても、特別なものではなく、いまはいろいろある選択肢のひとつでしかないとおもっています。たしかに音楽は永遠のリミックスといえなくもない。でも、物事は見方をかえればどうにでも言えるもので、そういった言葉の上での説明は、あまり意味がないと思います。リミックスやサンプリングを特別あつかいする風潮にも、もうあきあきしてますし、まったく興味がありません。ただターンテーブルについては、実際には実用のオーディオ製品としての役目をほぼ終え、引退する時期になって廃物利用のようにひとびとが、それを楽器として使いだしたことに興味があります。その意味でクリスチャン・マークレイやマルタン・テトロ、フィリップ・ジャック、秋山徹次等の仕事には興味があります。刀根康尚のCDの使い方も非常に興味深い。そういった方向での可能性は今も感じています。グラウンド・ゼロでわたしがやったことについても、今は自分からコメントするつもりはありません。さまざまな見方をさまざまな人達がすればいいとおもっています。

(10) R&C:
You thought a great deal about the question of copyright, of finished works, which you conceptualized in the term "sampling virus," but then you turned away from these issues. You still use the turntable, but now you use it without records. What caused you to move away from the political idea of musical material to engage in a pure relationship with sound, through projects like I.S.O. and Filament?

大友:
サンプリング・ウイルスは、いまでも非常に満足のいった作品のひとつだと思っています。いまだに時々サンプリング・ウイルスを使った作品を送ってくる人がいますし。ただもうあの作品はつくった時点で完全にわたしのコントロールをはなれています。あとはどうなろうと、把握することはできませんし、だいたい元の音だってほとんどは無許可でサンプリングされた音ですから、そもそも、わたしの作品といっていいのかどうかすら疑問です。こうした矛盾だらけの把握することすら出来ない、作品とも呼べるかどうかわからないものを世に送り出せたという意味で、わたしは、自分の手でコントロールしてつくった他の作曲作品以上に、この仕事を気に入ってます。

近年のわたしの変化については、やはり本当の理由はよくわかりません。ただあるとき、メモリーをたくさん使うことで効果をもたらすような演奏をすることが嫌になってしまったのです。サンプリングを自分でコントロールすることへの興味がほとんどなくなってしまいました。わたしは自分で把握できてしまうものはすぐに飽きてしまうのです。ターンテーブルにレコードをのせずに、フィードバックさせたり、ノイズをひろったり…といった作業は、サンプリングよりずっと把握が困難で、興味深いことに思えました。実際には Filament や I.S.O. をやるなかで、具体的な方法を模索しました。やはり Sachiko M の影響が大きかったのかもしれません。

(11) R&C:
What should we think of music that establishes a sadomasochistic relationship with its audience through pain? From speed metal to techno to noise, there's an avid pursuit of musical extremes. How do you react when you are told that the sounds produced in Filament are extremely painful? What would you say about the beauty of these sounds?

大友:
わたしは痛みを与えるつもりでフィラメントをやっているわけではありません。自分が好きだと思える音をだしているだけです。ノイズにしてもシャープなサイン波にしても、苦痛に耐えるなかで得られる快感を追求しているわけではありません。自分が苦痛な音をだしたいとは思いませんから。ただその音が、人によっては苦痛になることも十分に承知しているつもりです。だから無理強いはしたくありません。SMの調教みたいな関係で音楽がやりとりされることにも、まったく興味がありません。わたしは、フィラメントの音を非常に美しいとおもっています。ですが、美しいという感覚はいつも危険ととなりあわせです。「思考の停止」という危険とです。そのことに常に注意深くありたいと思っています。

(12) R&C:
The history of Japanese noise music could be roughly divided into three periods: the '80s, with groups like Merzbow, Hijokaidan, CCCC, and so on, whose approach was based on accumulation and saturation; the '90s, a period of deconstruction and chaotic mixings, with Ground Zero, Asteroid Desert Songs, Nasca Car, etc.; and the current period, with musicians like Toshimaru Nakamura, Sachiko M, Ryoji Ikeda and *O, who have an esthetic of elimination, reduction, and focus on detail. Do you agree with this breakdown? In other words, do you see an evolution in musicians' relationship with sound? If so, what does that say in terms of the social changes under way now?

大友:
おおざっぱには、これであっているでしょう。わたしならここに70年代の高柳、灰野等のやった、ジャズやロックに強く影響を受けたノイズ前史を加えます。さらに東京と大阪のシーンの違いをかんがえるのも面白いかもしれません。ただいつも歴史を語るときの違和感は、それが10年ごとに綺麗にカテゴライズされていることです。高柳は80年代にさらにノイズの方法を発展させましたし、メルツバウは今日にいたるまでノイズの核でありつづけていますし、実際はこれらの動きはグラディエーションのように境界があいまいだということです。

(13) R&C:
An often overlooked but important musician is Yasunao Tone, who approached music from the starting point of music on support. As far as I know, he was the first musician to use the CD player as an instrument, while at the same time being completely removed from John Oswald's "plunderphonic" approach. He was also a member of Group Ongaku, the first total improvisation group in Japan. How is he viewed by those on the electronic and improvisation scenes?

大友:
彼のCDを使った作品は90年代のオーディオ機器を使った作品の中でも、もっとも衝撃的な、かつ美しい作品だとおもいます。特に彼がデータのバクに注目したことにわたしは大きな共感を受けました。彼が日本で活動していたのは60年代で、それ以降は活動の場をNYにうつしています。なので残念ながらわたしは直接、彼を含む「グループ音楽」の活動の影響を受けてはいません。一柳彗や武満と同様に、彼等のやったムーブメントから直接つながっているわけではありません。わたしの場合はサブカルチャーがさらにアンダーグラウンド化していく70年代後半以降の、日本の非アカデミックなアバンギャルドシーンの中から出てきています。なので、90年代に入り彼等の作品が再発されたことにより、僕等はやっと彼等の作品にせっすることが出来、再評価することが出来たというのが実感です。先日、刀根さんとはじめて話をする機会があり、彼から聞いた「グループ音楽」以前のそれにいたるまでの活動は非常に興味深いものでした。彼はすでに50年代末には、今の杉本拓や Sachiko M がかんがえてたような発想で音楽を小杉武久等とはじめていたのです。

(14) R&C:
It seems to me that it's become much easier to make music, thanks to the new technologies. On one hand, the tools that are blamed by critics for turning music into merchandise--turntables, samplers, software--are sold by the music industry, calling into question the nature of the criticism; it's as if it were no longer possible to avoid becoming a part of this commercial world. On the other hand, I have the feeling that there are no real political or esthetic stakes, no real necessities to justify making music, if you compare the current period to the '60s, when Fluxus was active and a lot was at stake in free jazz. What is your opinion on this topic, and on the new technologies?

大友:
フルクサスやフリージャズが生まれた時代と、今とではあまりにも状況がちがいすぎて単純な比較など出来ないとおもいます。音楽はたしかに、ある種の運動の啓蒙に有効なことはわかりますし、新しい音楽の運動のなかに次の社会が目指すべきヒントがあるのも確かなことです。ただ、最初からその答えがわかっていて、その答えに即した質問を作るような音楽は、まったく面白いとはおもえません。60年代をうらやましいとおもったこともありません。わたしは、ただいつも、今の状況の中で、音楽をつくっているだけです。答えは聞き手の想像力の中にあるのです。杉本拓や Sachiko M の活動の中になにかを発見するのは聞き手のほうなのです。作り手がはじめからある種の回答を持って、聞き手たちに作品を提示するような方法とは、それは根本的に違うのです。そこの部分を見落とすと、今の音楽は理解しにくいものになってしまうでしょう。わたしたちは生きている時代をえらぶことは出来ないのです。今必要なのはフリージャズやフルクサスのような運動をすることでないはずです。同じ理由で、世に出たテクノロジーを否定することにも無理があります。便利なテクノロジーはほっておいても普及してしまいます。電話やインターネットがそうであったように。それが大企業だけに利権をもたらすという理由だけで、破壊したり否定したりする方法を、いい方法だとはわたしはおもっていません。わたしたちのような個人にできることは、そうしたテクノロジーのひらかれた使い方を提示していくことだとおもっています。大企業の利権だけの技術にせずに、オルタナティブな活用方法を提示するのも、アーティストの重要な役目のひとつです。そもそも音楽を創る正当な理由などという発想も、わたしにはよくわかりません。なぜ音楽を創る理由を言葉で説明しなくてはならないのですか? 生きる理由を言葉で説明できないのとそれは同じことではないでしょうか。ダンスをするのに理由はいりません。わたしはいまだに自分が生きている理由なんてわかりません。わたしは日々やることをやり、自分にとって素敵だとおもえることをし、より生きやすい方法をさぐりながら、日々小さな楽しみを見つけて(たとえばおいしい食べ物を食べて幸せになるような)生きているにすぎません。少なくともわたしは、テロをしたり、爆弾をおとすことよりは、へたくそなダンスをしたり、かなわぬ恋をしたり、音痴な歌を歌ったり、おかしなノイズをだしたりすることのほうが、比較にならないくらい素敵なことだと思っています。

(15) What do you derive from playing with other turntablists like Martin Tetreault, Christian Marclay, Philip Jeck or Erik M? Do you see any similarity between that and the battles between hip-hop DJs? And what is your opinion of this African-American culture of re-appropriation?

大友:
レコードのスクラッチをよりアブストラクトにした東京の L?K?O? や京都のバスラッチ、ターンテーブルをオブジェとしてレコードをつかわずに演奏する秋山徹次等の活動は非常に興味深いです。アメリカのDJシーンについては、あまり知りません。

(16) R&C:
You have composed a lot of music for movies. What interests you in the relationship between sound and image? Are there any composers or directors who have influenced you in this area? Have you ever wanted to write concrete music, or "cinema for the ear"?

大友:
映画音楽は、わたしのもうひとつの、とても重要な仕事です。もちろん一緒に仕事をする監督からは多くの影響をうけますし、過去にわたしがみてきた映画の音楽からも多くの影響をうけていると思います。ときに映画での影響が、わたしの映画以外での音楽創作に大きな影響をもたらすこともありますし、逆もあります。映画音楽をつくるときは、いつもの作曲とことなり、映像との関係、せりふや効果音との関係を常に考慮しながらつくります。なので、音楽だけで独立して成立する作品とはことなる発想が必要になります。さらにわたし個人の創作とことなり、必要とあらば、ありとあらゆるスタイルを選択の視野にいれなくてはなりません。まるでどんな役でもやる役者のように。耳のための映画という言葉をどういう意味でつかっているのかわかりませんが、わたしの作品のいくつかは十分に映画的かもしれません。ただあえて映画的に音楽をつくるという発想は、自分でやるときには窮屈すぎて、それほど魅力的だとはおもっていません。そもそも映画はとても魅力的ではあるけれど、表現の上でも、経済的な面でもとても不自由なものでもありますし、わたしの音楽作品自体は映画よりもはるかに自由で身軽なものですから。

大友良英 2001年10月 東京にて


Last updated: September 19, 2002