大友良英
町屋を改装した、多分十数畳ほどの板の間のスペース。不思議な形になっているカウンターに、いくつかのテーブル。その向うは小さな縁側と中庭。よく見るとただの町屋ではなく、さりげなく凝った内装がほどこされていて、ほとんど気付かない程度にBGM。
奥のほうのテーブルにダムタイプの高谷さんご夫妻と、ここの内装もやった建築家のキイチさん。その手前にはキュピキュピの江村さんや音響彫刻家の吹田さん、建築物ウクレレ化保存計画で有名な美術家の伊達さん。そのこちら側には京都のCDレーベルFMNの石橋さんやP-hourの田村さんに学者の細馬さん、でもってオレのいるテーブルには、おなじみの個性豊かなミュージシャンたち。ハラカミさんや勝井くんの顔も見える。で、さらにその向うには常連の京美人のマキちゃんや村松さん、ツバキちゃんにシモジョウさん、ハナコちゃんやサナエちゃんとその友人数名。
カウンターの向うでは、ユウちゃんやフサちゃん、マイちゃんがせっせと働いていて、で、さらにその奥の厨房とカウンターを忙しく笑顔で行き来する長身の女将。
鴨や旬の魚の焼ける香り、洒落たボトルのプラネタ社製イタリアワイン、下戸のオレと田村さんの前にはいつものJAVA TEA。1時間、2時間とたつうちに、それぞれのテーブルのボーダーは決壊し、いつのまにか関西弁と関東弁が飛び交いながら、お店に一緒に来た仲間とは別々の顔ぶれの輪がいくつもできては消え、それぞれの話題でわいわいがやがや。女将が大皿にのった今日のメイン(パエリアのときもあれば、鯛の塩釜やら、あるいは鴨だったり)を持ってくるとばらばらだった皆がひとつになって一瞬の沈黙のあとに歓声とどよめき。
いくつかの記憶がごっちゃになってしまっているけど、この数年、数え切れないくらい足を運んだ京都、吉田屋料理店のある日の風景だ。これ以上お店に入れるの…みたいな超満員の日もあれば、ほんの数名の日もあるし、やたら個性豊かなアーティストやミュージシャンが多い日もあれば、地元の常連さんばかりの日も。静かな日もあれば、わいわいと大騒ぎの日もある。でも、どんなときでも大抵、夜も遅い時間になると、そこで初めて知り合った同士が、いつのまにか友達になってしまって、気づくと12時はとうに過ぎてたりする。しかも皆かなりの酒量なのに、不思議とこの店では一度も喧嘩を見たことがないし、からむような客もほとんど見たことがない。みんなが笑顔。
あるとき、ひょんなことから皿洗いを手伝うことになって、でもって、みんなが楽しそうにしている風景をカウンターの中で皿洗いをしながら見ていて、ふと思ってしまった。
「こんなオーケストラがつくれないかな」
数人ずつのいくつかの輪が、それぞれ無関係な話題をしていて、その輪のメンバーがいつのまにかいれかわったりしつつ、不思議と全体としては、なにかポリフォニーのようなものを形成しているのだ。美味しい料理と旨い酒、はんなりパワーの京美人の常連さんたちと、カウンターで働く素敵な女性たち、それになにより笑顔を絶やさない女将と、ここの町屋の持つ場の独特の雰囲気があいまって、みんないい気持ちで時間を過ごしてしまう。
食べ物が美味しい…ってのは、本当に大切なことだ。それだけで、喧嘩がなくなる。笑顔になる。沢山の人たちが料理をつつきながら、楽しそうにしている風景というのは、見ているだけで、実に幸せなのものなんだなっていうのをこのとき初めて知った。料理屋をやってる喜びってこんなところにあるのかもしれない。
今考えると、これがONJO(Otomo Yoshihide's New Jazz Orchestra)のアイディアを考え出す大きな切っ掛けだった。オーケストラという器が吉田屋の改装した町屋、コンポジションが料理や酒、あとは皆がその料理を楽しみながら、そのときそのときに応じて全体なんか意識せずとも楽しむことで、ポリフォニックなアンサンブルが結果として生まれてくるみたいな…ONJOは現時点ではまだまだとてもそこまではいってないけど、こういう方向にいければなって思っていて、だから、ONJOをはじめる切っ掛けになったのは皿洗いをしながら見たあの風景というのは本当の話。
その吉田屋の女将 吉田裕子さんが本を出した。その名も『京都 吉田屋料理店』。読んでいると、お腹がすいてきて、ものすごくお店に行きたくなる本。しかも、あまりにも簡単にできそうに書いてあるので、もしかしたらオレでもあの料理が作れるかも…と、一瞬錯覚に陥る本。1ページに1料理。さらりとそれぞれの料理にまつわるエピソードが書いてあって、そうか、こうやって料理って生まれるんだ、なんてことを思いつつも、なにより、この本に触発されたのは、料理を作ること、そしてそれを食べることって、いつも自分が生活している日常の記憶や文化にとっても深く根ざしたことなんだってことがわかったことだ。
ここで突然だけど、鶴見俊輔さんの言葉を思い出したので引用。
(日本の)敗戦当夜、食事をする気力もなくなった男性は多くいた。しかし夕食をととのえない女性がいただろうか。他の日と同じく、女性は、食事をととのえた。この無言の姿勢の中に、平和運動の根がある。3年前アメリカとイラクの戦争が始まった時に鶴見さんが反戦運動に寄せて朝日新聞に書いた文章で、オレはこの言葉が大好きで、よく引用している。反戦運動の根拠を、かつて男性的な人間が振りかざしてきたような生活に根を持っていない「理論」に求めるのではなく、日常の営みの中にこそ、そうした思想の根拠があるといったような内容。日本の東京で音楽を創っているオレにとっては、反戦ということより、今一番のテーマはひとつの原理に納まらないような創作をすることのほうで、この鶴見さんの文章、「理論ではなく日常の中に根拠を求める方法」みたいなものの中に大切なヒントがあるっていつも思っていて、吉田屋で見たあの風景は、鶴見さんの言葉とオレの中では、めちゃくちゃかぶるのだ。
2006年4月25日
(ブログ『大友良英のJAMJAM日記』より)