大友良英
こんにちは。今回は先月(2002年11月)末に出た雑誌『ミュゼ』に書いた富樫雅彦論です。少しでも多くの皆さんに読んでほしいと思いアップしました。富樫さんとの共演はわずかに1回、昨年の3月、石川高、杉本拓、Sachiko MとともにPIT INNで演奏したきりですが、素晴らしい体験でした。より響きのいいところでぜひもう一度と思っていたのですが、共演の機会果たされず残念です。この原稿は現在体を起こすことが出来なくなってしまった富樫さんのこれまでの活動への敬意と、今後作曲家富樫雅彦と何か出来るかもしれないというラブ・コールの意味も込めて書いたものです。お時間あったらぜひ読んでみて下さい。
「美しい」という言葉は音楽にとって最も危険な言葉だ。なぜなら、その言葉を安易に使ってしまった時点で、僕等は考えたり疑問に思ったり発見したりする音楽のもうひとつ重要な楽しみを忘れてしまいかねないからだ。
それでも私はあえて富樫雅彦の音楽を「美しさ」から語ることにする。とはいえ、それは、単にひとつひとつの楽器から発せられる音色の美しさだけを示すものではないし、かといって彼の音楽の全体像をさすような表現の美しさといった漠然としたものを語りたいわけでもない。もっと具体的な仕草、彼の音へ対峙する作法の美しさとでも言ったらいいのだろうか。ここで言う「作法の美」という言葉には「聴く」ことと「音を発する」ことの間に見える厳格な美しさと言ってもいいだろう。それはありもしない世界を見せる美ではなく、現実を見据える美だ。
話が抽象的になった。もっと具体的に語ろう。私が特に注目しているのは、余韻とハーモニーについてだ。ハーモニーといってもそれはドとミとソを重ねて作るような西洋的和声の話ではなく、ある複数の音がもたらす音のゆらぎや濁り、そして輝きのことだ。私の知る限り、彼ほどこの "ゆらぎ" や "濁り"、"輝き" そして"余韻"に対して意識的な即興演奏家はかつていなかったのではないだろうか。ある音とある音が入れ替わる、あるいは交わる時の息をのむような美しさ、あるいは音が背景の気配の中に消え入るときのゆらめきを知ることが出来たのは、他でもない富樫雅彦の演奏を生で聴く機会が何度となくあったおかげだ。
コンサート会場にPAがあることが当たり前になり、録音された平面的に圧縮した音がスピーカーやヘッドフォンから流れることが音楽を聴くことになった時代に、彼がやっていたのは、それとは完全に間逆の作業だった。遠近感や強弱、空気の気配、背景に消え入る余韻、それらが別々の場所から微妙に角度を変えて立体的に聞こえて来る世界。アコースティックでなければ実現しえない独自の音響空間。それは何よりも彼の音楽が、「語る」ことではなく「聴くこと」を軸に成り立っていたからこそ実現した世界ではないだろうか。
ご存知のように富樫雅彦はまずは60年代、ジャズの優れたドラマーとして活動を始めた。飛び抜けて素晴らしいドラマーであった事は残された数少ない録音からも充分に伝わってくる。ジャズ・ドラマーとしての活動は今日に至るまで続くし、これについてはここで私があれこれ言う必要もないだろう。むしろ私が常々歯がゆく思っていたのは、彼の音楽がジャズの文脈からしか語られないことのほうだ。70年代以降、彼がやってきたことは決してジャズの文脈からだけで捕らえきれるようなものではない。それは当時、欧州でデレク・ベイリーやAMM等がやっていた、即興から音楽そのもののあり方を新たに捕らえ直す運動と相互影響がなかったにも係わらず完全に同時代的にリンクした出来事であったし、当時の先端の現代音楽、とりわけリチャード・タイトルバーム等には、むしろ富樫が影響を与えたほどではなかったか。とはいえ、彼の音楽を現代音楽や欧州即興音楽の文脈の中に今更置いてみたところで、それはジャズの文脈の中に彼を置いたときの違和感となんら変わらない。
私が言いたいのは、彼の音楽が70年代のある時期以降ジャズや現代音楽といった音楽ジャンルを定義してきたような枠組みから意識的に自由になろうとしていて、その際に彼が採用した方法が、音楽言語を更新するという20世紀の新しい音楽が常に繰り返してきたやり方ではなく、聴くことの発見に由来した方法を採用している…ということの重要性と、その意味についてだ。通常、即興演奏、とりわけフリージャズに関わる音楽家は、どういう音を出していくか、つまりは何をどう話すのかということに常に心血を注いできたと言っても過言ではないだろう。ところが、富樫が採用した方法は、むしろ音を出してしまった後に、その音がどうなって行くのかを注意深く聴くことのほうだったように思えるのだ。余韻の消え入り方や、複数の音が反応しあいゆらぐ様は、言語的な領域からではなく、あきらかに聴取を優位に置かなくては出てこない発想だ。聴き取ることでしか、美しさを発見出来ない領域。ジャズという演奏言語更新と進化の歴史絵巻のようなジャンルの演奏家であった富樫から、まったく異なる発想が生まれたわけだ。20世紀音楽が音楽言語的な認識力を大きなバネに力ずくで新い領域を拡大し、時間を略奪してきたのとは対照的に、彼が70年代に始めた事は、音を時間軸ではなく瞬間瞬間の空間の響きとして捕らえる作業ではなかったか。これは当時の欧米のフリージャズにはなかった独自の発想だ。むしろ今の視点で見れば、高橋悠治、あるいはクセナキス等が進めていた流れに近い感すらある。彼は一貫して今日に至るまで、この空間と対峙する音楽を最大限の誠実さで創り続けた。
非常に残念なのは、身体的に打楽器演奏が困難になった今現在、彼の演奏に生で接する機会が絶たれてしまったことだ。それでも、この先に向けて進行形で彼の創作が続くであろうことは容易に想像がつく。それが作曲という形をとるのか、あるいはもっと別な何かになるのかは分らない。それでも私は、富樫雅彦がこの先何をやるのかに、これまでの以上に興味をもっている。彼の創作の根幹たる現実を見据える耳と、空間を創出す
る頭脳がある限り、冒頭に書いた音に対峙する作法の美しさは演奏以外の方法でも実現可能だからだ。
2002年11月オーストリアにて
『ミュゼ』Vol. 40(2002年11月20日発行)掲載