Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

「Studio Voice」Vol. 302、2001年2月号特集 "Japanese Composer" に掲載

山下毅雄を斬る

昭和30年代に生まれ、日本のテレビとともに少年少女期を過ごした者にとって、彼の音楽は、赤子が言葉を覚えるが如く脳にこびりついて離れることのない人格の一部のような存在だ。もっとも大部分の人にとってその記憶は "山下毅雄" の名とともにあるのではなく、「スーパージェッター」や「ジャイアントロボ」、「ルパン三世」や「タイムショック」といったテレビ番組とともにある。正確には、そもそもテレビ番組の記憶自体、彼の音楽の醸し出す独特の雰囲気とメロディに多くを負っているのだ。

"数千曲を作った男" と形容される山下の仕事の多くは昭和30〜40年代のアニメやドラマの音楽に集中する。彼は依頼されるままに、本人すら把握できないスピードで、テレビ音楽を量産する。彼以外にもそういう作曲家は少なからずいたし、今の視点で見ると、当時のテレビには面白い音楽が多かったのも事実だ。そんな中で彼が他と一線を画す理由は、時にアバンギャルドにすら響くほどの危ういバランスの上に成り立つ陰影ある音楽に他ならない。当時のテレビ音楽は、譜面上である程度作られ、それをスタジオミュージシャンが演奏、録音することで出来上がっていた。作曲家の仕事は譜面を仕上げることにあり、演奏家はそれを再現するための存在だった。無論彼も、そうしたセオリーを踏んではいた。が、彼がより重点をおいたのは録音現場でのハプニングだったのだ。気心の知れた即興演奏の出来る演奏家を集め、時には簡単なモチーフ程度の譜面だけで、ひと番組分の音楽を作ってしまう。メロディだけの譜面を前にした演奏家は、彼の指揮を見ながら自分のパートをその場ででっちあげなくてはならない。「今の音、素晴らしいね〜」と嬉しそうに叫ぶ彼に乗せられ、事故のように生まれた偶然のサウンドが生きた音楽に変貌してゆく。いい加減にも見えるこの方法から「悪魔くん」のアバンギャルドな音楽や、「七人の刑事」の緊張感あふれる世界が生まれたわけだ。生真面目にやりゃいいってもんでもないところが音楽の素敵なところだ。名曲「ガボテン島」のメロディを当時小学生だった息子の透さんに作らせたという逸話に至っては、凄すぎて返す言葉もない。彼がいれば彼の音楽になる。そういう力と魅力がヤマタケにはあったのだ。

リミックスエイジ以降の音楽の作り方を人力だけででやっていた、とも言えなくはないが、何より作曲の舞台を現場に持ち込んだ功績こそ大きい。その一方で、彼が極めて優れたメロディメイカーであったことも忘れてはならない。あの強力なメロディがあったからこそ、テレビというメジャーカルチャーの中で今では考えられないような大胆な実験をすることが出来たのではないか。残念なことに、昭和50年代以降日本が明るいバブルに向かってゆくなかで彼の活躍の場は次第になくなってゆく。だが彼の最初期の作品「裸の王様」の陰影あるメロディは武満徹の「どですかでん」とともに、今も私の心を揺るがし続けていることだけは明記したい。彼の作品から平気で陰影を消毒してしまう無神経なリミックスがはびこる世間への警鐘として。

大友良英
2000年12月シンガポールにて


Last updated: June 17, 2001