初めて意識的に即興演奏をしたのは、出たばかりのラジカセを買ってもらった時だ。中学生になった春だから1972年。いとこや弟達数名で祖母の家にあったギターやピアノ、おもちゃや笛、ハーモニカなんかをつかいまくって、せーのでめちゃくちゃをやった。ついでに歌まで歌ってる。マンガのテーマ曲を、めちゃくちゃな演奏と同時に皆で大声で歌ってた。祖母の家にいとこが集まった数日間の前半は毎日これをやっていたんだから、大人にとっては迷惑な話だったかもしれない。
なんでそんなことをやったかというと、もちろんカセットに録音するためだ。このころはデレク・ベイリーもジャズも、まだロックすらもろくに知らないから、そんなのの影響ってこともなく、きっと録音の魔力に取りつかれたんだろう。でもまあ内容はともかくも即興にはちがいない。もっとも、そんな意識もなかったが。
もうテープは残ってないけれど、どんな気持ちだったのかかすかな記憶だけがある。初めはたしかに録音するためにやっていたのだけれど、そのうち大きな音が快感になってきて、なるべく大きな音をだす競争になっていった。で、やっててもかわり映えしないし、むなしくなったのかもしれない。だんだん飽きてきて、少年少女即興楽団は自然消滅してしまった。皆小学生だったから次の面白い遊びを見つけたのかも知れない。でも年長だったぼくだけは、ラジカセから離れられず、皆が寝静まったあともイヤホンで深夜放送を聴いていた。ロックを沢山かけてくれた亀淵昭信のオールナイトニッポンが好きだった。もちろん好きな曲がかかるとすかさずRECボタンを押す。皆が寝静まった部屋でRECボタンの音だけがかちゃかちゃ。30年近くたった今も、やってることはあんまりかわってないなあ。あんときのRECボタンを押すどきどき以外に、自分が音楽やってる動機なんて、ほとんどないような気がする。
もういとこ達とも15年以上会っていない。その間に、強力に仲の良かった親戚達は、めちゃくちゃ仲がわるくなったり、祖母が90才をすぎてぼけてしまったりって噂を風の便りに聞くだけになってしまった。 いとこ達もオレがテレビにもでれない売れない音楽家をやってるなんて噂を風の便りに聞いているに違いない。
1999年10月