リングリングをめぐる今回の動きについては、実のところ複雑な気持ちだ。私達音楽家が日常的にやっていることが、戦争で逆に脚光をあびた違和感とでもいおうか。たしかに今回のリングリング、荒れ野の花って意味ではニュースに値する素敵な出来事だったと思う。でも、この2年間、リングリングの主催者ボヤン・ジョルジュビッチとほぼ毎週のようにコンタクトをとりつづけCDのやりとりをし、今年のリングリングに出演するための準備をつづけてきたHOAHIOの松原幸子や、同様の活動をしていた世界各地の音楽家の日常的な営みがここではきれいに抜け落ちて、戦争という非常事態にもりあがっている人達ばかりが見えてしまったのは私だけだろうか。無論そうした人達の動きがなければ今回のリングリングはなかったわけだし、否定するつもりもない。ただ自分自身もどっかではこの非常事態に浮かれていたってのが最大の引っ掛かりだ。まるで台風前夜に心がおどるように。くそったれ! 以下に、この3カ月、欧米と東京を行き来しつつ書いた私の日記の抜粋を載せる。心境の一旦を読み取っていただければ幸いだ。
3月@日 スイスツアーの最中にNATO軍ユーゴ空爆のニュースが飛び込んでくる。ベオグラードやノビサドには2年のリングリングで行ったばかり。あの時は解散直前のGROUND-ZEROで行った。5月には再び日本から僕らI.S.O.とHOAHIOが行く予定だったが…。
3月@日 ユーゴの主催者から悲痛なメール。フェスは空爆とともになくなってしまった。状況が状況だけにこちらからは連絡をとらないほうが良いと判断。
3月@日 連日CNNやBBCで空爆と難民の映像がながれる。この状況に友達がいるのにオレにはなんにもできない。音楽は直接的な暴力に対してはまったく無力だ。2年前友人達と過ごしたベオグラードでの平和な日々はなんだったんだろう。
4月@日 東京にもどってきて一週間。桜が満開だ。たった一週間で、まるでユーゴのことが遠くの事に思えてくる。東京のせいか、それとも時間と距離のせいか。新聞記事の片隅にユーゴ民主勢力の反政府系新聞社社主暗殺のニュース。血の気が引く。
5月@日 空爆がはじまってからすでに1カ月。連絡の途絶えていたボヤンから突然メールが舞い込んできた。(以下はメールの抜粋)
「私達はまだ生きているよ。映画、本、音楽、友達が僕らを元気づけてくれる。自由な時間が沢山出来たおかげで、アイデアが次々とあたまに浮かんでくるんだ。フェスティバルをやてみたらって具合にね。ここにミュージシャンを呼ぶことは出来ないけれど、世界各地でリングリングフェスをやればいいんじゃないかって。リングリングのためにどこででもかまわないから演奏してほしんだ。もちろん僕らもベオグラードでフェスをやる。それがたとえシェルターの中だとしてもね。日程は5月29、30日。僕らもポスターやチラシを作って"Ring Ring - Around the World 99 festival"の宣伝をする。」私の音楽には戦争反対のメッセージはないし、いかなる政治勢力や宗教、人種とも無縁だ。音楽で戦争は止まらない以上、効果のない努力もしたくない。ただ戦争で無理やりコンサートが中止になったり、行きたいところにも行けず、友人の自由も奪われているってのはどう考えても理不尽すぎる。本来だったらこの日はベオグラードでI.S.O.やHOAHIOが演奏する予定の日だったのだ。リングリングのキャンセルを知った友人が5月29日はスコットランドで、30日はロンドンで私達の公演を企画してくれた。ならばこの日は ベオグラードの友人のために演奏することにしよう。各地に打診。
5月@日 E-メールの力って本当にすごい。ほぼ一夜にして世界中のミュージシャンの間をメールが飛び交い、わずか数日のうちに欧米や日本の何十という都市で「リングリング・アラウンド・ザ・ワールド」の開催がきまってしまった。カナダ、イギリス、フランスのいくつかの都市でもHOAHIO、I.S.O.等が出るフェスとリングリングとの連携が決まる。札幌からも連携の打診。ロッテルダムのホテルにいる私にも、手にとるように状況が刻々と伝わってくる。空爆下の主催者達にとっても大きな励みになったんじゃないだろうか。ただ、ここまで事態が表面にでるとボヤン達のことが心配になってくる。反政府主義者の烙印を押されてひどいめにあったりしないのだろうか?
5月@日 ボヤンから早々の返事。「私は音楽に政治的なスローガンをこめているわけではないし、心配しなくても大丈夫。むしろ名前を出してはっきり伝えてほしい。」戦時下での生活経験のない私には、この言葉にいったいどれだけの重みと勇気と危険度があるのか想像できない。朝日新聞とコンタクト、どう記事にするか検討する。
5月@日 朝日の一面に記事がでたらしい。友達から報告のメール。この間にも私やHOAHIO、I.S.O.の一行はカナダ、フランスを行き来し、あわただしくコンサートスケジュールをこなす。日本ではほとんど演奏していない女性ユニットHOAHIOが行く先々で大きな反響。本当なら彼女達の喜ぶ声がベオグラードでも聞けたのにと思うと、いくら「リングリング・アラウンド・ザ・ワールド」が順調に進んでいるとはいえ、素直に喜ぶ気にはなれない。実際僕らの音はユーゴに届いているわけじゃないのだ。こんなことで力になれてるのだろうか? 幸い連携コンサートの主催者達は皆、状況を理解し、決して反戦色や政治色を出さずにリングリングとの連携をさらりと聴衆につたえてくれた。例えば「反戦」とか「正義」って言葉が音楽についただけで、音楽は耳に届かなくなる。そういう最悪の事態にならなかったことだけは確かだ。
5月@日 朝日の記事以降ボヤンからのメールが途絶える。現地でのフェス開催に追われているのか、それとも電気がこないだけなのか。少し心配。冬のようなスコットランドから快晴のロンドンへ。僕らのリングリングも好評の中、着々と日程をこなす。
6月@日 オーストリアへ。ここでやっとベオグラードからのメールを受け取る。空爆の中電気を確保し何十人ものミュージシャンをまねいて「リングリング・アラウンド・ザ・ワールド」を無事開催、大成功だったらしい。よかった。胸をなでおろす。音楽には戦争を止める力はないが、少なくとも生きる希望をあたえる力はあるらしい。世界中の連携が彼らへの励みになったのなら素直に喜ぶことにしよう。フェスの成功おめでとうボヤン、そしてリングリングを支えてきた独立ラジオ局B-92の皆さん。でもこんな形での成功なんて2度とごめんだ。ワールドなんて大げさな名前はいらないから、来年こそはあなた達の前で演奏したい。これが本音だ。
1999年6月20日
大友良英
(これは図書新聞に掲載されました)