Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

電気用品安全法、通称PSE法についての話を

大友良英

もうニュースでご覧になった方も多いと思うけど、昨日坂本龍一等が、この法律についての意義申し立ての要望書を経済産業省に提出、記者会見をおこなっている。わたしも賛同者46名(組)に名をつらねさせてもらった。

今回の法律については、すでに指摘されている通り、内容にも周知のさせかたにも不備が多い上に、リサイクルの視点からみても、時代に逆行していると言わざるを得ない。坂本氏等が、ヴィンテージ楽器を除外すれば音楽家が黙ると思ったら大間違い…といった発言をしてるのには、本当にうなずける。問題はヴィンテージだけではない。無論ヴィンテージの楽器をかなりの頻度で使っているわたしにとっては、最重要の問題だけれど、ヴィンテージが目こぼしにあずかれれば済む問題じゃない。もっと僕等の文化にかかわる根本問題だと思っている。これについて、わたしの意見を書きたい。

この法律が問題にしているのは、電気製品の電源部分だ。過去の電気製品の電源部分は火災を起こす危険があり信用ならないから、今の法律の基準で承認したもの以外は、販売をやめよう…という法律。僕等は、僕等の生まれたころから、ありとあらゆる電気製品の中で暮している。20世紀と21世紀のあたりを境に、それまでの電気製品の電源部分が危険で、それ以降は、法律で承認しているから大丈夫…という発想がこの法律の前提になっている、と、まあ電気屋の息子で、その程度の知識を持ち合わせているオレはそうこの法律を読んだ。でも、この前提が、そもそもおかしくないか? たしかに電気製品の電源部分は、気をつけなければ火災を起こしかねない危険な部分だ。でも、20世紀のエンジニア達は、みなそんなことを百も承知で、何十年もの使用に耐えうる素晴らしい電源部分を作ってきているわけだ。はっきりいって、今のちゃっちい電源部分のほうが、数十年という単位で考えたら、危険度は大きいとすら、電気屋の息子程度の知識を持っているオレが思っているくらいだ。過去何十年も法律で認めてきた商品を、今になって、一律に、今の法律の許可がないから駄目…という発想はそもそもおかしくないか。オレ達の親父たちの世代が作ってきた製品は、そんなやわなものじゃない。20世紀の工業製品を作ってきたエンジニアや工場に対する敬意や、それら製品へのしかとした調査もなしに、こういう法律が、たいして議論もされずに、いつのまにか施行されることになるってのが、そもそも納得のいかない点。

オレはオレの親父たちが作ってきた電気製品は、自信をもって、今の大量生産のちゃっちい電源部なんかより、長い使用に安全に耐えると考えている。メンテさえしていれば、まったく問題なんてない。なにしろ、その特性がすぐれているという理由で、古い電源部分が高値で買い取りされるなんてことは、ヴィンテージ楽器やオーディの世界では普通にあるくらいだ。

機械は使い捨てるものではなく、メンテをしながら大切に使っていくもの…オレは親父にそう教わってきた。今回の法律はそういった機械にたいする根本精神を、ないがしろにするものだ。実質使い捨てを容認してしまうものだ。その観点から、まずはオレはこの法律に反対する。電源が安全であるのは当然の話で、それがメイン目的であるなら、法律そのものを、もっと根本から考え直したほうがいい。一律に丸バツをつけてしまうのは、そもそもおかしいし、実情もちゃんと調べてない、ビンテージやリサイクルのこともわからない人たちに、オレ達の親父やおふくろ達が築いてきた文化をこうも簡単に踏みにじられていいのか? フェンダーのアンプや、ムーグ博士のつくったシンセの電源は、そんなやわなものじゃないし、オレの親父が作った家電にしろ、工業用の弱電製品にしろ、世界に胸をはれる立派な機械で、簡単に火災を起こすようなものでは決してないし、安全基準はちゃんとクリアしてきたものだ。

「機械なんって所詮使い捨て、数年して耐用年数がすぎれば壊れるし、新しいのを買えばいい…」。そういう考え方もあるだろう。またそういう基準で売られているのも沢山あって、現にそんなものの中に埋もれて僕等は暮しているのかもしれない。でも、そんな考え方だけに立った法律で、現状を追認強化することが国のやることだろうか? 家電や楽器を使い捨ての道具くらいに思われて悔しくないのか。オレは、涙が出るくらい悔しいけどね。電気屋の息子として育ったオレにとっては、正確には電気工場のエンジニアの息子として育ったオレにとっては、冷蔵庫だろうが、オーディオだろうが等しく、とっても大切な友人だ。大切にいつまでも使うべきものだ。20世紀の家電にはそういうものが、沢山あった。メンテすれば充分使えるし、なにより、今の製品よりすぐれたものが沢山あったのも事実。そんなものを丸ごと否定するような法律。自分や親達の生き方を根本から否定されたみたいで、オレはそこが一番腹の立ったところだった。

ビンテージの機械についてのこんな話がある。ある信頼するサウンドエンジニアから聞いた話。彼は今の最新式のミキサーを購入した際に、ジャックとかの部品を全て、古いミキサーのものに取り替えたそうだ。なんでだと思う。音がよくなるとかそういう話もあるけど、それだけじゃない。実は今の部品は数年、早くて2〜3年でガリが出てしまって、使えなくなる、あるいは使いにくくなることが多いのだそうだ。古い部品の中には、メンテさえしていれば、そうした心配もなくいつまでも使えるものもある。高級機材なのに、基本部品は安物を使わざるをえない現実。これって、単に手をぬいた商品が出ているのではなく、基礎部品をつくる腕のいい職人のいる工場がつぶれてしまい、労働賃金の安い国からの安価な大量生産の部品にたよらざるを得なくなってきたのが原因だったりするのだ。これって、ものを作る基礎体力が衰えてきているってことだ。古いものがなんでもいいなんて思っていないし、ヴィンテージだからいいなんて思ってない。ましてや1989年以前の楽器はヴィンテージとか、まったく理解を超えたわけのわからないことを堂々と言うような役所の基準も、もう100%わけがわからない。そんなおかしな話じゃなくて、僕等は、先輩達の作ってきた素敵な機械たちの恩恵を受けて育ってきていて、そうした機械の中には今でも使用に耐えるものも沢山あるばかりでなく、今では置き換えの利かない機械だってあるって話。オレ等の親父達のやってきたことを、もっとちゃんと評価して、なんでも新しくするんじゃなくて、ちゃんとこれからも使おうよって話。で、それぞれのもつ固有の価値をちゃんと見極めて生きていくべきだって話。少なくともオレはそう思っていて、だから坂本さんたちの提案に賛同した次第。

と、ここまで書いたところでニュースが飛び込んできた。中古のヴィンテージ楽器にかぎらず、今後もリサイクル業者は、これまでどおり、中古の家電をあつかってもいい…というニュース。詳細はまだわからないから、コメントできないけど、少なくとも、こんな無神経な法律で、ヴィンテージ楽器屋やリサイクルショップがつぶれるようなことが当面はないであろうことを祈るばかり。まだこの先どうなるか経緯をみなくてはわからないが、この法律を廃案にして、必要ならもう少し現実的なものをつくってほしい…というのがわたしからの提案。

いずれにしろ、今回は坂本さんをはじめとした数多くの人たちの声が、ある程度現状を動かす効果をもちつつあると思う。僕等の声も決して無力ではない。ただ、この問題については、これでOKなんてことでは全然なくて、ひきつづき強く主張し、監視していく必要があると思っている。こんなおかしな法律が知らぬ間に施行されるなんて絶対におかしいもの。世の中も政治も本来は役人や大手企業の自由のためにあるわけじゃない。ぼくらひとりひとりのために、ちゃんと開かれてあるべきなんだ。

2006年3月23日
(ブログ『大友良英のJAMJAM日記』より)


Last updated: June 6, 2006