Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

旅先で読める自伝的文庫本3冊

『Love Pa!!』2001年12月号に「活字中毒者達の狂える本棚 第5回」として掲載

デュシャンは語る /(ピエールカバンヌ聞き手) ちくま文庫だったと思う
三文役者あなあきい伝 part1〜2 / 殿山泰司 ちくま文庫
完本マイルスデイビス自叙伝 宝島社

今、映画の音楽を作っている真っ最中で、原稿どころか、睡眠時間すらキープ出来ない状態なんすが…あ〜、でもテーマが面白そうなんで、1時間だけこの原稿に逃避しちゃお。

活字中毒なんておこがましい。年のうち数カ月もツアーに出てると日本語が恋しくなって本を読むだけのことだ。それも飛行機の中やホテルで読むことが多いから大抵は文庫本。それも読んだら捨てるか、あげるかする。だから上記の本も持ってない。読みたくなったらまた買う。ほかにもこの手の自伝モノなら水木しげるの『ねぼけ人生』や『ラバウル戦記』も面白かった。無論読むのは自伝ばかりじゃないが、今回はDCPRGの高井くんから借りたマイルス自叙伝が相当面白かったので、こっちの方向でチョイス。

自伝の良さは、年寄りのホラ話の面白さに、重みと痛みが加わった感じとでもいえばいいだろうか。無論ホラなんて言ったらその道の先人達に失礼だけど、でもそれが事実かどうかなんてことより、例えば殿山泰司が大好きだった川島雄三監督との交遊を語る時の独特の照れたような脚色混じりの文体とか、マイルスが初めてディジー・ガレスピーを見てブッ飛んだ話を子どものように嬉しそうに語る語り口から見える何かが面白かったりするもんだ。デュシャンの独特の言い回しで語られる有名なトイレの作品の経緯なんかも相当面白い。仮にその話がどんなに大げさになっていようと、あるいは、実際よりも小さく書かれていようと、そんなことは問題じゃない。そこからにじみ出てくるある時代の豊穣な、時に痛いまでの香りを今の舌で味わうことの出来る贅沢こそが、伝承や文化の本質だったりするんじゃないだろうか。そう、オレらが読まなくっちゃ意味がないってことでもある。

ちなみに本人がすでに死んでしまい、他人がその人生をレポートした本になると、意味あいも、味わいもまったく違ったものになる。本人が世の中をどう見ているのかと、世の中はその人をどう見たのかの間にある埋めようのない断絶の残酷さと、その両者をつなぐ言葉になならない"希望"のような淡い何か。殿山泰司でいえば、上記の『三文役者あなあきい伝』と新藤兼人の書いた『三文役者の死』を読み比べれば、その感じがよく分かるだろう。村松友覗の書いた『トニー谷、ざんす』や『黒い花びら』を読んだ時は、本人たちの自伝を読みたくて仕方なかった(そんなものがあればだが)。

実は、今年に入ってからその道の長老たちのものすごい演奏をたてつづけにいろんな国で聴く機会を得た。それ以来年寄りはあなどれないぞ…と本気で思っている。オーティス・ラッシュ、レジー・ワークマン、デレク・ベイリー、セシル・テイラー、AMM……20世紀中ごろからブルース、即興、ジャズなんかの分野で活躍してきた先人達が、60や70を過ぎてからも渋くなるどころか、若い頃以上のピッカピカの音を出している事実。しかも今の視点で見ても十分に新しい発見がその中にあるってのは一体どういうことなんだ。AMMの演奏に至っては、音響とかエレクトロニカとかさわいでいる連中に聴かせたいくらいの、オレ等若造なんかがどう頑張ったって足元にもおよばないくらいのクオリティと新しさだったぜ。オレの好きな年寄り達の「歳をとる」ってのは、渋みを増すことなんかじゃなく、若い頃は無理をして背伸して見ようとした世界に完全に突入してしまい、それが空気のように当たり前になった挙げ句、その中で発酵して、ますます得体のしれないモノになっていくことなのかもしれない。自伝にはそんな発酵具合も刻印されている。

さ〜て、原稿書いてる場合じゃない。仕事にもどるぞ〜。ちなみに今やっているのは魚喃キリコのまんが『blue』を実写で映画化したものの音楽。監督は朋友安藤尋。主演は市川実日子。すご〜く静かな素敵な映画です。いい仕事になりそうな予感。

追伸:今日近くのスタジオに自転車で向かっていたら、突然パトカーがやってきて「このあたりでひったくりがあって、あなたの特徴かよく似ているもんで…」と、陰湿に職質の嵐。あ〜もう不愉快。くそったれ、早死にしてたまるか。もっともっと発酵してやるぞ〜。

大友良英
2001年10月


Last updated: February 3, 2002