「InterCommunication」No. 35 Winter 2001 に掲載
ある音楽が音響的かどうかは、最終的には聴き手個々人の主観が決めることであるのに対して、ある演奏が即興であるかどうかを厳密に判断できるのは演奏者自身しかいない。決めたり判断することにどれだけの意味があるかは、ま、置いての話だが。
従来音楽家や聴き手はあるジャンルに所属し、それは彼らのアイディンティティに深く関係し、まるで民族のように区分されてきた。民族主義、あるいは国粋主義にも喩えられるくらいジャンルとは理屈抜きの強固な概念でもある。デレク・ベイリーらが始めた「即興」は演奏者の側からの脱民族主義宣言だったし、渋谷の一レコード店 "パリペキン" から生まれた「音響」という概念は聴き手からの脱民族主義宣言だったのではないか。それがすべてではないが、そういう側面があったのは確かだろう。
ボーダーを越えることでボーダーを固定してしまった80年代的な派手で華やかな脱ジャンルの試みとは本質的に異なり、「即興」と「音響」の交差点は、より日常的で地味で成果が見えにくいが、しかし確実に何かを変革するしぶとい戦いの最前線…なんて言い方をしたくなるくらい、面白い磁場にあふれている。
ベイリーらの「即興」が「作品」という概念の本質を揺るがしたように、聴き手から提出された「音響」の概念が「演奏」することの本質を揺るがしている。「演奏」によってしか実現しない「即興」と、それを揺るがす「音響」の間の緊張関係に私は惹かれているのかもしれない。
「即興」という言葉が示す意味はある程度は欧米や日本で共通語として通用するが、ここで言う「音響」という言葉のニュアンスが通じるのは日本のみ、しかも主に東京ローカルの方言でしかない…ってあたりも面白いポイントだ。
とまあ、こういう事を言い出すときりがない。私がどっちの言葉にも深く関わっていることは事実なので、がたがた言わずに編集部からのリクエストに答えて「即興と音響」をめぐる10枚をCD棚から選んでみることにした。「即興」だけでもなく「音響」だけでもなく、その両方に深く関わるものの中で私の好きな10枚ってところが選定基準だ。
「即興」はいまでこそジャンルを示す言葉になってしまいつまらない事になってしまったけれど、本来はもっとラディカルな概念を示す言葉だった。「音響」なる言葉も同じ運命をたどってはいるが、それでもその音楽の一部は「即興」のラディカルさを確実に現在形で受け継いでいる。デレク・ベイリーやAMMらが始めた即興演奏がここでいう「即興」の原形になっている。この偉大な先駆者たちの仕事にはすでに「音響」への視野が準備されていた。その意味で(1) (2)をまずは選んだ。ほかにも優れたアルバム、Voice Crack や MEV をはじめ取り上げなくてはならない人々は沢山いる。
(3)〜(10)は今現在の音響的傾向を持つ作品の中から即興で演奏されたものばかりを選んだ。ただし(3)のみは即興で演奏されたものかどうか私には判断できない。しかし、即興や音響のみならずノイズや電子音、テクノやラップトップといった20世紀ラストのキーワードにすべて関わる作品として見逃すことは出来ない。
「音響」と「即興」がなにかに歩みよることなくひたすらラディカルに存在しているという意味で(4) Sachiko Mの8曲目は私にとって90年代の最も衝撃的な作品。そのSachiko Mをはじめとして、数多くのミュージシャンが出入りしている(5)のバー青山での秋山徹次、中村としまる、杉本拓を中心とした継続的で地味な試行錯誤こそが、この音楽の最前線であり、希望でもある(現在はバー青山から代々木オフサイトに場所を移動している)。私自身彼らから学ぶところが大きかった。その杉本拓がベルリンの新しい即興シーンと結びついた記念碑的作品が(6)。ここに参加するアネッタ・クレプスのほかにも、アンドレア・ノイマン、アクセル・ドナーらの活動には目が離せない。
元祖音響派、永田一直 (7) のレーベル運営を含む活動は、「音響」が現実から遊離した純粋培養の無菌音楽に堕しないためにも重要な意味をもつ。彼は現実との接点の中でその巨大な体と等身大の音楽のあり方を常に見つめつづけている。
(8)のジム・オルークやギュンター・ミュラーの重要性はいうまでもないだろう。彼らこそがベイリーと今日を結ぶ重要な接点だ。(9)のケビン・ドラムとマルタン・テトロはギターとターンテーブルによる即興の現時点での極北だ。演奏と音響に関わる最前線の出来事のすべてがここにはある。
(10)は私自身の「即興」にとって大きな意味を持つ作品として取り上げさせてもらった。作曲作品の「Cathode」(Tzadik TZ7051)とあわせてここでは「演奏/音響」と「即興/作曲」の意味が様々な角度から問われている。この2作で私自身の21世紀への展望が開けた。
大友良英
2000年9月東京にて