月刊『文芸』2002年10月号より
大友良英
ちょっとした業務上の秘密事項なのだが、私が音楽の世界に足を踏み入れてからの25年間、自身の耳と足で得る音楽情報の他に、心の中で「アンテナ」と名づけた音楽ナビゲーターが何人もいて、彼等が興味を持つ音楽を密かにチェックするのが私の習慣になっている。無論アンテナにされた当人達はそのことは一切知らない。彼らは共通して皆すごい耳と情報収集能力の持ち主で、見つけてくるものは大抵面白いし、なにより、創作の指針になるような何かがそこには必ずあるのだ。最古のアンテナは、ガキの頃からの友人で私にコントーションズを教えてくれたA君。何年も会ってないが、今でも彼のWEBをこっそりチェックして貴重な情報を得ている。近年は学生のやってる某WEBやフランスのCD屋のJ氏、代々木オフサイト周辺から入ってくる情報だったり。そんな中で、A君に次いで長い間アンテナでい続けているのが、他でもない佐々木敦なのだ。初めて彼を知った80年代後半から彼のチョイスは圧倒的に面白かったし、手探りで行き来するような思索の跡丸出しの文章は、はじめから結論が見えてしまう批評よりも、はるかに現場の創作の参考になった。なにしろこっちだって手探りで次に進んでる。知りたいのは机の上で出した結論なんかじゃないってことだ。
前置きが長くなった。本書は、1989年ジョン・ゾーンについて書かれた文章に始まり、ごく最近書かれたサウンドアートに関するものまで、過去13年にわたる佐々木敦の思考と興味の軌跡そのものだ。多くは『BT』、『SWITCH』等、様々な雑誌やCDのライナーとして書かれたもので、そのうちのかなりの文章に、その音楽とともに私もリアルタイムで接してきた。したがって、ここにあるのは私のアンテナになってくれた文章達でもある。とりわけ個人的に印象深いのは、90年代中期を中心に書かれたジム・オルークと、90年代後半に書かれた「接触不良電子音楽」に始まる4章で、これらの連載に前後して私もこの手の当時まだ名もなかった音楽に興味を持ち、実際にそれらの人達との活動も増える中で、自身のI.S.O.やFilamentの手探りの活動が始まったからだ。世界中の現場を旅しつづけていた私の目でみても、リアルタイムで参考になるような文章と資料を提供してくれたのは、当時日本では彼だけだった。
今改めて彼の12年間を読んでみると、通奏音のように流れる彼の問題意識を読み取ることが出来るはずだ。深い断絶があるかに思えるゾーンの音楽といわゆる「音響」と呼ばれる音楽が、実は深いところでは地続きに起こった変化であることも見えてくるし、あわせて今年前半に出た彼の『テクノイズ・マテリアリズム』を読めば、より豊かな通奏音が聴こえてくるはずだ。それがなんなのかを数行にまとめる野暮は、ここでは避けたい。否定的に見るにしろ肯定的に見るにしろ、読者がそれぞれ独自に見つければ良い。ただ90年代から今にいたる根底から起こった激変とも言える音楽の変貌(それは20世紀にポップスが生まれたのに匹敵するような、巨大で根本的な変化だと個人的には思うのだが…)に、正面から向かう意思のある無しを読者に付きつけてくることだけは確かだし、固定のジャンルに根を置いた視点からしか音楽を見れない向きに、本書の意味は見えてこないだろう。唯一残念なのは、各文章が書かれた年と出典が記されていないこと。時間的な経過と書かれた場を確認した上で再考したい思いに駆られた。
(2002年9月執筆)