大友良英
だいぶ時間がたってしまったけど、先月の23日〜25日にかけて新宿ピットインでやったアジアン・ミーティング・フェスについて書きます。
今回のフェスは、もともとは、ここのところよく行っていたソウルや、もともとわたしの第2の故郷でもある香港、そして昨年行った台湾で、独特の新しい音楽がはじまっていて、彼等をまずは日本でも紹介したいってところからはじまっている。また、まだそれぞれ互いに交流がない段階なので、互いに紹介して、もうすこし近くに住むミュージシャン同士が自由に交流できるようにしたいってのと、自分自身も将来、彼等といろいろな形でコラボレーションをするために、ある種のモデルケースをつくりたいというのが直接の理由だった。このへんはソウルで何年ものあいだ自主コンサートをつづけ、こうしたシーンをソウルにつくってきたギタリスト佐藤行衛の影響も大きい。間接的には小泉首相の度重なる靖国参拝問題や教科書問題にはじまって、中国や韓国での反日デモや、その際の日本料理店への襲撃といった不毛な事態を見ていて、自分に出来ることを考えた末にはじめたという経緯もある。もちろん政治的なことは動機としてはあるけれど、あくまで間接的なもので、まずは面白い音楽シーンが東アジアの各地域で出来つつあることが一番の理由。
いざはじまってみると、当初予定していた北京と台北からのミュージシャンを呼ぶことが出来なかったりで、そうそう簡単にはいかなかった。前者はビザの問題。中国は近いようで遠いことを、具体的な書類を前に実感したわけだ。これについては、アジアン・フェスの感想がでていたブログ(だったと思う)に中国政府はもっとオープンになれば、みたいな感想を書いている方がいたけれど、わたしの説明がたりなかった。ビザを発給するのは日本政府のほうで、中国政府ではない。だから、中国に対してオープンではないのは日本政府のほうなのだ。このへんの誤解も上記のデモに対する日本での感覚と少し似ているような気がする。しかも政府のせいばかりではなく、今回は、わたしがビザを発給しなければ来れない国の人がいるのだ…ということに、無神経だったために、膨大なビザ発給の手続が間に合わなくなってしまった…という経緯もある。国のせいだけじゃない。わたしも悪かった。僕等が中国に行くのは簡単なのに、むこうからこっちに来るのは楽じゃない…ということだ。まだまだボーダレスの時代なんって全然遠いのだ。ボーダーは僕等の前に厳然とあり続けている。
台北のミュージシャンのほうは、これはそういう理由ではなくて、パーソナルな理由。ラップトップを演奏しているのに、メールアドレスを持っていないってのにまず驚いた。すばらしい! でも、不便でもある。言葉の問題もあるので、連絡をあいだにたった方にお願いしていたのだか、やはり言葉がうまく通じなくても、手紙でもいいから自分でやるべきだったかもしれない。彼は夏に携帯の番号を変えてしまい、どこか山の中にこもっていたらしくまったく連絡がつかなくなってしまったのだ。直前まで努力したのだが、間に合わなかった。このへんは招聘が本業ではないわたしの甘さが原因。反省している。
とはいえ、ソウルからはホン・チュルキ, チェ・ジュニョン、リュー・ハンキル,ジン・サンテ、ジョー・フォスター、そして佐藤行衛が来てくれて香港からもディクソン・ディーが来日、またソウルのシーンとは古くから縁の深いI.S.O.の一楽儀光も山口から手弁当で駆けつけてくれた。当初予定したより2人減ったけど、でも、まずはここまでこぎつけたって感じで、来てくれた皆さんには感謝している。本当にありがたい。
なによりの成果は音楽的に、面白かったことだ。しかも予想していたよりはるかに。いままではっきりとは見えていなかったけど、なにか新しいことがはじまっている…と予感させていたソウルのミュージシャン達の音楽が、相当独特の、まだあまりお目にかかったことのない、しかし確実に今のわたしの興味に触れる方向の演奏をしていることをはっきり確認できた。これは、多分、これだけの人数がまとまってきて3日間たっぷりソロや、即興、アンサンブルの中で聴くことが出来たおかげだ。エレクトロニクスを使っていながら、エレクトロニカ的な質感とは程遠い似ても似つかない音楽。明らかに、日本のノイズ系やオフサイト系の影響を受けていながら、確実に違うなにか。機械の出すバグをそのまま投げ出したような無骨さと、独特のスピードと切れ。なにより、空間系のエフェクト(ディレイやリバーブ等)で機械音を甘ったるくしたり、サンプラーを使ってベーシックを流したりしてないところが非常にわたしの好み。せっかくでてしまったバグには、音楽のふりかけ(エフェクト)なんかかけずに、あるいは従来の音楽的なストラクチャーたるベーシック的なものをつくらずに、ざっくりだしたほうがオレは断然好み。
同時に彼等のざっくりした音楽とONJOの相性がいいのにも驚いた。伊東篤宏のオプトロンや半野田拓の風変わりなギターもそうだが、フロントラインを管楽器ではなくて、彼等のような、非ジャズ的アプローチをするものがつとめるようなオーケストラってのは、かなり理想に近い。この先、多分わたしは再びONJOの中に自分自身のターンテーブルを持ち込むことになると思う。それもターンテーブルのバグだけのような演奏で。もしそうなったとしたら、それは韓国からの彼等の影響だ。本当ならアストロノイズを常時フロントにしたいくらいだ。彼等がはいることによって、たとえば大蔵雅彦のホワイトノイズ的なアプローチの居場所がより鮮明になってくるし、ジャズの語法がどうしても主流になりがちだったオーケストラのあり方をシフトできる感じもした。この辺は、まだまだ発展途上だけど、そんなことを発見できただけでも、私個人にとっては大きな意味があった。
もうひとり、彼等とはまったく異なるアプローチをした香港のディクソン・ディーは、もうある意味、ラップトップ・ミュージックのマスターといえるくらいの貫禄だった。その音楽は、ある種わたしが90年代のある時期までやっていたサンプリングを基調とした音楽を、より洗練して現代的にした感じ。彼はずいぶん前からオーケストラ・ピースを書きたがっていたけれど、演奏される内容はまさにオーケストラだ。音楽はきわめてわかりやすいし、安定していて、非常にオーソドックスだけれど、充分に今日的な音。彼が中国や台湾でこの15年まいてきた種が確実に育って、各地であたらしい音楽の芽が出てきているってことも含めて、彼の今後の活動は注目するに値すると。彼は12月にも再び来日する。
さて、オーケストラのほうには最終日、公募で集まってくれた17名の管弦楽器の方たちも参加してくれた。参加してくれた皆さん本当にありがとう。一応仮名で「新宿フィルハーモニー」ってつけたんですが、これ、実際にすでに実在してる楽団の名前だそうなので、次回からは「新宿2丁目フィルハーモニー」にしようかな。ま、名前はともかく、これが、予想よりはるかに面白かった。スキルのほうは明らかにアマチュアの方から、全然アマじゃないじゃんって方までいろいろ。シンプルないくつかのサインだけでアンサンブルを組む方法だけれど、シンプルである分、自由度もあって、ま、初回としてはこういう方法は悪くないなと思った。さらにイトケンと2人で指揮をする部分もつくってみた。2人の指揮者、かなり面白いです。この方法、もう少し工夫して将来もっとやりたいなって思いました。またきっといつか公募しますので、そのときはよろしくー。
今回、他にも素敵な収穫が。まずは杉本拓の曲をONJEのメンバーでやれたこと。初めてONJQを結成した6年前だったら、メンバーがストップウォッチを見ながら2分の無音のあとに1音音を出す…みたいな曲をやるなんてありえなかった。僕等はすこしづつ変わってきているのかもしれない。音楽的にも面白かった。その杉本拓が3日目には6弦ペースでオーケストラに参加。彼が通常のリズムやハーモニーのある音楽をステージで演奏するなんてはじめて見た。なんだかこれも嬉しかった。
ほかにもイトケン、simの大島輝之の急遽参加や、半野田拓のぶちきれた演奏、伊東篤宏と芳垣安洋のものすごいDUO。3日目昼の非常に充実した即興のセッション(なんと津上研太に電気ノイズというすごい組み合わせまであった)、超多忙ななか駆けつけてくれて素晴らしい演奏をしてくれたカヒミ・カリィ、水谷浩章、高良久美子、Sachiko M、青木タイセイ等ONJOのメンバー達。皆素晴らしい演奏をしてくれました。
ここのところONJOのサウンドを固めていく方向、構築していく方向に行っていたのが、これでなんか少し吹っ切れた感じ。うん、こっちの方向でいいはずだ。そのほうがオレがやる意味がある。
最後は収支の話。今回ははじめてカンパという形で一般の方から助成金をつのりました。集まったのは160500円。ほかに私自身が16万円をカンパ。合計320500円は全額来日の6人の交通費とホテルにあてさせてもらいました。不足している分は、PIT INNの上がりから補填。ほかに出演ミュージシャンには少ない額だけど一律最低限のギャラを公平に支払って(一般公募の参加者を除く)、これで収支はほぼとんとん。
数字上はとんとんだけれど、実際は少ないギャラ(特に海外から時間をかけて数日をつぶしたミュージシャンにとって、この金額は本当に少ない)で出てくれたミュージシャンや、手弁当で手伝ってくれたボランティアの人たち、一般公募で参加してくれた皆さん、そしてPIT INNの全面的なバックアップがなければ、実現しない内容で、皆さんのカンパ同様、参加してくださった皆さんには、心から感謝します。
とはいえ、毎回、こうした個々人の善意に頼っていくわけにもいかない。カンパやボランティアで運営していく方法は、普段出会えない聴き手の人たちとのコラボレーションでもあるので、ほんとうに楽しくもあるのだけれど、1〜2年に一度のお祭りのような特別なときに限定していかないと、あっという間に、小さなカルトをつくることになってしまいかねない。第一私自身も毎回高額の自腹を切るのは、楽じゃない。とはいえ、あまりスポンサーに頼りたくもないし、組織をつくって継続的に動く…というようなこともわたしにとっては考えにくくて、この先やるにしても、無理のない形で、ゆっくりやっていこうかなと(具体的じゃなくて恐縮ですか)。そんななかで、自分の音楽とも連動しながら東アジアのミュージシャン達が、かつての欧州のグローブユニティ・オーケストラみたいな感じで、一緒にできたら楽しいかなって夢だけは継続して持っています。ま、ここまで来るのに香港でアルバムを出してから10年以上かかってるんだから、長い目で見て、この先10年とかを考えれば、それもけしって無理じゃないって思います。
そんなわけで、いろいろ協力してくれた皆さん。影ながら応援してくれた皆さん、本当にありがとうございました。
2005年10月18日 アムステルダムにて 大友良英