Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記(98年11〜12月)

(フリー・ペーパー「Tokyo Atom」に掲載。)

@月@日
シカゴの高級ファッション店の新聞広告にこともあろうか、オレの写真が無 断使用されている。雑誌TOKIONからぱくったやつだ。オレってそーとーファッション感覚の欠けた人間なのに…絶句。無断使用を怒る以前に、こんなオレを使う情けないセンスに爆笑する。カメラマンの腕がよかったのか。それともモンドあつかいってこと? 帰国直前、時間がない。こういう場合どこに文句いやいいんだ?

@月@日
半年にわたるツアーの季節もやっと終了。いや〜さすがに疲れました。すっ かり腰にきたりして、帰国早々近所の整骨医へ。歳かな。で、電極を腰につけてビビビッ。いや〜、気持ちいいっす。この医療機械、みた目が昔のシンセっぽいし、しかもグングン響く音がパンソニックみたいなビートで…もう来る来る。まわりはじいちゃん、ばあちゃんばかり。先生もだいぶ高齢。たかだか39才で、歳だなんていってる場合じゃねーな。

@月@日
新宿ピットインで日本のフリージャズの開祖、ベーシストの吉沢元治さんの 追悼公演。享年68歳。僕らは親しみを込めて彼のことをパパと呼んでいた。フリーがなんなのか、オレはパパから沢山教わった。最後に話したのは電話。大ゲンカだった。ごめんね。4年前スティーブ・ベレスフォードか来たときには、皆で一緒に伊豆の温泉にいってうまい寿司くって、音楽やって…楽しかったなあ。パパ、お疲れさま。

@月@日
イアン・ケルコフ監督と新宿のOTOでイベント。監督は初VJに挑戦。オレはDJブースから映像に音を仕掛けまくる。実は、彼が東京で撮影している映画のサントラをオレがつけることになっていてこの日は最初のミーティングのはずだった。でも結局は、映画の打ち合わせなんか全然せずにセッションしただけ。だれも踊ってなかったけど、2人はとっても楽しんだ。映画のほうもうまくいきそうな予感。

@月@日
安藤尋監督から電話。映画音楽の依頼だ。彼とは昨年の「ピアス」につづい て2本目。彼はオレのコンサートにもよくきてくれる。イアンといい、たてつづけに嬉しい。彼となら伸び伸びと自分の音楽をぶつけることができる。哀川翔、根津甚八主演、低予算、アクションの無いやくざ映画。なんかいい響きじゃないですか。もちろんやりまっせ。

@月@日
渋谷アップリンクで電子音楽のドン永田一直のゼログラヴィティフェス。み んな素晴らしい演奏だった。I.S.O.は今年の演奏納め。なんと結成わずか1年で60公演もやった。毎回完全即興。驚くくらいスタイルも変わった。もうGROUND-ZEROが遠い昔の出来事に思えてくる。好評の永田仕切りの打ち上げで、朝まで盛り上がる。オレは一滴も酒が呑めない。でも打ち上げは大好き。笑いすぎてあごがいたくなった。

@月@日
これから3月までは東京。嬉しい。いつもツアーが終わると、もう吉祥寺の アパートからでたくなくなる。ずっとこの部屋で宅録だけしてられたらいいのになんて思ってしまう。帰国してからといううもの、用事の無い限りは起きてる時間のほとんどは、自宅スタジオのハードディスクレコーダーにむかってる。スタジオったってただのアパートの3畳の板の間だけどね。とにかくすごい勢いで、作品をつくりつづけている。絶好調。音を作ってる時間が最高のエクスタシーだ。こればっかりはドラックもセックスもおよばないぜ、なんて書いたら怒る? これってただの躁状態?


Last updated: December 15, 1998