(フリー・ペーパー「Tokyo Atom」に掲載。)
@月@日
毎年恒例秋のヨーロッパツアー。最初の目的地はイタリア、サルディニア島
にある大学でのワークショップだ。プロ級からほとんど楽器を手にしたばかりのやつ、コンピュータだけで音楽をつくってるやつ、テクノしか知らない青年、中年のジャズサックス奏者にいたるまで15人のバラバラな連中を4日間で1つのアンサンブルにまとめあげて、最終日にステージにあげなくてはならない。難題だ。なんで引き受けちゃったんだろう。きっとサルディニアの太陽とイタリア美女を期待したオレのすけべ心のせいだ。ものごとは期待どおりにはいかない。太陽どころか、滞在中はワークショップの連中とほとんど室内で過ごしたばかりか、メンバーはオール男性。イタリア美女どころの話じゃない。とほほ。
@月@日
なんていいながらも、ポジティブで思慮深いサルディニアの人々とオレはか
なり充実した濃厚な時間を過ごした。連日連夜音楽の話に明け暮れ、ワークショップのほうも、もうやらないつもりでいたカットアップ系のコンダクションを久々にやって、最終日のコンサートも大成功だった。当初、15人いても1人分の音にすらならないようなアンサンブルを考えていたのだけれど、これは諦めざるをえなかった。まだまだ自分自身がそこまでいってなかったせいもある。そういった試行錯誤を含めて、有意義な時間だった。素敵な友人も出来た。とはいえ、もう当分ワークショップはやらないだろう。知らないもの同士が出会う為に、共通のルールを考えその中で音楽を作るというやりかたへの興味が、自分の中で、今は消えつつあるからだ。無論そういうやり方を否定してるのではない。ただカットアップを使ってしまうと、どうしても「出会い」にベクトルが向いてしまう。そうではない今の自分の視点でワークショップが出来ないかぎり、自分の過去を切り売りするだけになってしまうからだ。考えるに自分が今一番興味があるのは、人間が「音を出す」という根幹の部分なのだ。
@月@日
フランス、ヴェルダン。ここで行われたデンシティフェスティバルは、この
「音を出す」ことの根幹を考える上でものすごく有意義な内容だった。初日、地元の人たちを中心に十数名の即興オーケストラがまずはステージに。まったくの即興なのに部分的にはまさに1人分の音にすらならない。オレがイタリアでやろうとして挫折したあの世界なのだ。あきらかに演奏なのだけれど、これまでの音楽とは何かが根本的に違う。どう言ったらいいんだろ。あ〜、もどかしい。オレにはこれをうまく文章にする能力がない。これをちゃんと文章にできたらオレは世界的な評論家、いや思想家になれるのに…。
@月@日
とにかくこのフェスは、無名だけれどへんてこなのが沢山でている。昨日のオーケストラの中にも、音が出る物ならなんでも使って得たいの知れない演奏をする青年ルドヴィック・フレッセや(彼はカットアップと音響の境をゆうゆうと飛び越えるようなファーストアルバムを出したばかりだ・・傑作)、中身がむき出しのオーディオに指をつっこんで電流演奏をするジャン・フィリップ・グロス等面白い人が多数いたし、昨夜のとりは、レコードを使わずにターンテーブルだけを演奏するカナダのマルタン・テトロが、音源のはいってない空のサンプラーを演奏する日本のSachiko Mとまったく起承転結のない静かな演奏をしたりで、「音を出す」ってことを考える材料に事欠かない。そもそもこのフェスの企画者のザビア・チャールズ自体がスピーカーを演奏して(って書いてもなんのことか、さっぱり分からないっすよね、でもスピーカーを演奏するんですよ、これが)不思議な音響を出したり、クラリネットの名手でありながら、ほとんど風の音しかはいってない世にも美しいクラリネットのCDをだしたりする人なのだ。そしてなによりも象徴的で興味深かったのは2日目の杉本拓とフランスのカメル・ゼクリのギターデュオだ。このまったく初対面の2人の即興演奏家は、同じようなノンエフェクトのギターでアブストラクトな演奏をするにも関わらず、水と油のように世界が違っていた。どこまでも楽器を演奏し音楽を作ることで自分を主張するカメルとは対照的に、杉本は徹底して従来の楽器を演奏するベクトルとは別の方法でギターを演奏する。う〜ん、くやしいけれど、この差異も、オレにはどう文章にしていいのかわからない。でもオレには杉本がなにをやりたいのか痛いくらい良く分かったし、それにとまどいますます楽器をかき鳴らしてしまうカメルの心も良くわかる気がした。ここで起こってることは、もうオレにとってはめちゃくちゃおもしろい、どきどきするくらい心ときめくことなっだけれど…え、なに言ってるのかさっぱりわからない、う〜ん、う〜ん、だれかこのことを分かるように説明してくれ。