Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記(98年10月)

(フリー・ペーパー「Tokyo Atom」に掲載。)

@月@日
ロシアからの帰路、機体トラブルのためパリで足止めを食う。そのままユー ロディズニーランドの西部劇に出てきそうなホテルに泊まることに。従業員ももちろんカーボーイ姿。バキューン! ガンマンの出迎えでチェックイン。とほほ。

@月@日
やっと帰国。でも1週間しかない滞在中にゼログラヴィティからでるI.S.O.のライヴ盤のマスタリングをやったり、尊敬するテレビサントラの大家、山下毅雄の古い音源の発掘を手伝ったり! 信じらんないくらい奇妙でグレートな音源がいっぱいあってエキサイトしてるのだ)、I.S.O.やドン永田一直とともに札幌でGIGをやったりと息をつく間もない。それでも音楽やってるのがオレにとっては、最高の贅沢 だし、一番の幸せな時間だ。

@月@日
あわただしい滞日を終えシカゴへ。ジム・オルークにまた会えると楽しみに してたら、こともあろうにオレがシカゴにいる間ちょうどジムはマース・カニングハム・ダンスカンパニーとともに日本にいるではないか。残念。マースの公演も見れず。う〜ん、くやしい〜。見た奴の話なんか聞きたくねーぞ。同じフェスに出るコンピュータのマエストロ大谷安宏、YUKO NEXUS6と共に、乗客わずか20人のボーイングで広々と席を独占。ひとねむりしたらシカゴに着いていた。たまにはこんな楽なフライトもある。

@月@日
シカゴのカレッジFMで、ケビン・ドラムやジム・ベイカー等シカゴ音響派 とでもいえそうな人たちと数時間のセッション。こんな渋いインプロを何時間も放送するんだからうらやましい限り。日本の某FM局で、I.S.O.のCDは、非常警戒放送の音と間違えられる可能性があるのでオンエアー出来ないなんていわれてつっかえされた事を思い出す。どこのどいつが間違うってんだよ。

@月@日
TV-POWをはじめとした若手のシカゴシーンの連中数人とコーディング。彼らの音をじっくり聴きながら淡々とインプロしていくピュアな姿勢がオレは大好きだ。この手の音楽を始めた20年前のフレッシュな気持ちに自分を引き戻してくれる。こんな場にオレを引っ張り出してくれたTV-POWにはほんと感謝してる。

@月@日
ひょっこりコンサート会場にデビッド・グラブスが来てくれる。翌日彼がクラスを持ってるアートカレッジに呼ばれて、オレのCDや生徒の作った作品を聴きながらディスカッションすることになる。映像の勉強をしている生徒達で、デビッドはサウンドのクラスを持っている。生徒の多くは別にガスターデルソルのファンというわけでもなく、楽器が出来るわけでもない。それでも自分なりに工夫して音響作品を作ってきて、その上、驚くくらい自分の意見をいう。単に感想をいうのではなく、なにがよくて、なにが問題かを明確にしようとする姿勢には頭がさがる。デビッドの愛情ある深くおだやかなひとことひとことを前に四苦八苦する生徒達を見ていて、教えることってなんなのかを考えさせられた。しゃべっているうち、この何年かの自分の変化の意味も見えてきた気がする。この人は素晴らしい音楽家ってだけではなく、優れた教師でもある。リスペクト!


Last updated: November 17, 1998