Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記(2000年9月)

(フリー・ペーパー「Tokyo Atom」に掲載。)

@月@日
役者、殿山泰司をモデルにした映画「三文役者」の試写を見る。生前何度となく氏の姿をフリージャズのコンサート会場でお見かけした。大抵は客が10人にも満たないようなコンサートでのことだ。オレもそんな客の一人だった。静かに目立たないように後ろのほうの席でひっそりと見ている姿は、ガキだったオレの目には答えられないくらい渋くってかっこよく見えた。オレもあ〜なりてえ。「人間」「裸の島」といったシリアスな作品からにっかつロマンポルノに至るまで、殿山さんの顔を何度スクリーンで見たことか。特に新藤兼人監督作品はオレの脳髄の奥底までがつんがつんと来た。そのやたらシリアスな監督が朋友殿山泰司をモデルに撮ったのは竹中直人主演のコメディ映画だった。え、殿山さんてあんなだったの? なんだか人事とは思えない。泣いたり笑ったりのの2時間。あの渋かった殿山像はオレの中で音を立ててガラガラと崩れてしまった。新藤さんにこんな映画を作らせた殿山さんがオレはやっぱり好きだ。ところでこの「JAMJAM日記」というタイトルも殿山泰司が実際に書いていた日記のタイトルから取ったもの。ご存じでした?

@月@日
青山真治の「ユリイカ」を見る。3時間半。飽きたらこっそり途中下車するつ もりだった。なのに気づいたらクライマックス。このままいつまでも終わるな…なんて思うのは稀なことだ。すごくよかった。ほぼ同時期に撮られた短編「路地へ」も良かった。この中ではオレの音楽もつかわれている。といってもこの作品のために作ったわけじゃない。CDから2曲ほど使われただけだ。でも、その使い方に打たれた。クール。映画音楽をやるならこうやりたい。もう劇伴みてえな映画音楽は作らねーぞ。めずらしく今月は映画ずいてる。黒沢清といい、なんだか日本映画が面白い。

@月@日
フランクフルトでソロ。今はギターをひくのがすごく面白い。ソロもギターに比重が傾く。探るように一つ一つ丁寧に音を出しては、その音が消えていく。たったそれだけなのに充分に音楽だ。ドイツの空気を味わう間もなく翌日はソウルへ。機内で金城一紀の小説「GO」を読む。脳髄の芯までくらくらする。痛快。

@月@日
ソウル泊。中国チンタオに向かうためのトランジットだ。やることがなくって退屈しているところに突然ROVOの勝井祐二から電話。なんとソウルにいるという。コンサートの打ち上げ会場からだ。早速駆けつけて合流。勝井くんとは10年以上の付き合いだってのに、こうしてじっくり会って話をするのは初めてかもしれない。彼は、オレが敬愛するノイジシャン広瀬淳二のアルバムをプロデュースしている真っ最中だ。リスペクト! 評論家の副島輝人さんも交えてわいわいがやがや。楽しい一夜。

@月@日
ソウル、キンポ空港でNEW JAZZ QUINTETのメンバーと合流。中国チンタオへ。チンタオビアジャズフェスティバルとやらに出るためだ。このバンドでのジャズフェス出演は初めて。期待が膨らむ。到着したホテルは、今まで見たこともないような超豪華なリゾートホテル。さすがジャズフェス。僕らを迎える"熱烈歓迎"のスタッフ達。期待さらに膨らむ。早々会場に案内される。チンタオビアランドなる遊園地の中の野外ステージ。読売ランドイーストみたいなところか。さぞや大観衆が僕らを待っているにちがいない。期待益々膨らむ。早々フェス会場に入る。が、出演しているのは営業のような超いいかげんなラテンバンド (fromオーストラリア)。しかもまばらな、でももりあがる客。おまけになぜか客より多い人民兵が会場の後ろにずらりとすわってる。なんじゃこりゃ。まるで遊園地の営業じゃねーか。ひどすぎる。どこがジャズフェスだよ、ったく。ビカビカに輝く巨大な電飾の「2000」の文字がむなしさを倍増させる。そうだった、2000年から21世紀だと言い張るこの国は僕らの常識なんか鼻くそほども通用しないことを忘れていた。

@月@日
フェス本番。オレの決意はただひとつ。いつもどおりの演奏をすること。「2000」の電飾もビカビカのライトも消してもらう。日暮れとともに強力に冷え込む。ついさっきまでのきんきんの夏日がウソのよう。冷え冷えとした空気の中、僕らの演奏するチンタオ初のフリージャズ、しかも起承転結の見えにくい音響的なアプローチは、観客を震わせるに充分だった。無論寒さでだ。すごい勢いで帰る客。ステージ上でもあまりの寒さにSAXの菊地成孔は唇を紫にして震えている。1時間半のステージ。終わってみると千の空席の最前列にいるわずか3〜40人の客の熱狂的な拍手。"熱烈歓迎"の文字が頭をよぎる。がたがた震えながら楽屋へ。本当に僕らはここに来て良かったのだろうか? 打ち上げの席、若干23才中国美人通訳のイーさんがそっと寄ってくる。「94年に私、北京で大友さんを見てるんです。あのときもほとんどの人が帰っちゃったでしょ。でも私は感動して、最後まで見てました。あれで私の音楽観は変わったんです。あの時、最後までいて拍手してたうちの一人が私です」。彼女は今北京で音楽関係のライターをしている。そうだった。僕らは充分僕らの演奏をしたんだ。それをどう受け止めるかは、会場にいる人達の個々の問題なのだ。山盛りのご馳走を前に僕らはわいわいがやがやと食って呑んだ。再見中国! 次に来るときにはどんな目に会うことやら。


Last updated: September 29, 2000