Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記(2003年9月前半その1)

どうも〜。今回はヴェニスからローマに向かう列車の中で書いてます。イタリアといえば美女とパスタですが、ヴェニスではなぜか音楽好きの男達ばかりに囲まれて美味いパスタを食べる毎日でした。ここのヴィエンナーレで演奏したのですが、これについては、また次回に。

さて今回はロンドンLMCフェスを中心に、その前半を。


@月@日
ANAの直行便でロンドンへ。機内で『スケアクロウ』と『イージー・ライダー』を見る。どっちも見るのは二十数年ぶり。最近のANAは古い映画が結構見れるので嬉しい。年間200時間以上機内にいる身としてはありがたいことだ。

ロンドンのユーストンにあるホテルに到着後、まずはオーガナイザーで親友のエド・バクスターのアパートへ。物騒といわれる地域にある関係で、なかなかタクシーが行ってくれない。4台目のタクシーでやっと行くことが出来た。彼は、大学教授で、評論家で、そのうえロンドン・ミュージシャンズ・コレクティブ(LMC)のリーダーで、世界一渋くてひねくれたLMCフェスを12年にわたってオーガナイズ、さらには去年非営利の変な音楽専門のFMラジオ局レゾナンスFMまでつくってしまった。オレの今があるのは、彼か雑誌やフェスで紹介してくれたのも大きい。もう10年も前のことだ。当時は青年みたいだったけど、お互いすっかりおなかも出て中年になってしまった。その彼が突然「もういつものフェスはやりたくない」と言い出して、企画したのが今回のLMCフェス。参加するのは17歳から70歳まで約40名。そのほんとんどは無名で、はじめてステージに出る高校生すらいる。唯一知られてる名前は、ロンドン即興シーンの重鎮ロル・コックスヒルくらい。この寄せ集めの40人のアンサンブルを3日間にわたって組織するのが私とAMMのキース・ロウの役目だ。実はこの依頼のメールが来たとき、今ひとつ、事態 が飲み込めなかった。それでも受けたのは、エドのやることなら何かあるはずだと思ったからだ。これはキースも同じ気持ちだったようだ。正直のところ、ここのところ即興原理主義者みたいになってるんじゃないかと心配していたキースが今回のプロジェクトに参加したこと自体も驚きだった。彼にきくと、「今、これをやることが必要なんじゃないかって思ってね」との返事。オレもまったく同じ気持ちだ。固定してしまった即興なり電子音楽なりノイズや音響なりの方法の中だけで、あとは演奏がいいか、悪いか程度の差異を見ることにもう興味なんてはっきりない。必要なのはそういうことじゃなくて、今までの方法ではない音楽の組織論を探さなくていけない…ということと、個人的には、今までさんざんやってきた異なる音楽のフィールドでの方法を、個人の中でどう解体、統合みたいなことをやって、納得のいく音楽をやるかという方向になってきている。拡散しつつ、でも根本的な音楽をやる楽しみみたいのは濃厚にあって、でも安定したひとつの価値に安住せずに、風通しはいいけど、明確に判断を下しながら厳しく歩む…みたいな。う〜ん、何言ってんだか自分でも混乱してるなあ((苦笑)いつもそうだけれど、音楽の方法を考える、探す…というのは、オレにとっては「おまえはどう生きるんだ」という問いとまったく一緒だ。)

キースとともに、エドの同居人アンディのつくるメシを食いながら私たちはエドに質問した。
「なんで今年はこんなこと思いついたの?」
「昨年のフェスは、もう最低、退屈で…」
「え、だって、すごく面白そうな人たちが出てたじゃない」
「演奏はみんな素晴らしかったけど…・でも、素晴らしい音楽家が順番に出てきて、で予想どおりだったり、それ以上だったり以下だったりする素晴らしい演奏を聴くだけのフェスそのものが、退屈きわまりない…って思い出したら、もうやる気がしなくなった」
「んで、今年みたいなことになったの?」
「(笑)、そう、もう自分でもなにが起こるか想像もつかない」
「いや、これじゃ俺も参加者にもまったく想像つかないよ」

彼の企画は前々から、必ずと言っていいくらい、ひねくれていて、これをやればすんなりうまくいく…みたいな手は絶対に打たない。え!? ってくらいの失敗要因なり、ひっかかりをつくるのだ。メシを食いながら、どんなオーケストラを組織していくのか、密談は続く。オレもキースも今回の参加者とはほとんど面識すらないしで、具体的な案は現場でやるしかない。ただ共通の認識として、これだけの人数を同時にステージにあげる方法として、ジョン・ゾーンがやったゲーム・ピースやブッチ・モリスのやったコンダクション、あるいはジョン・ローズのやったシアター・ピースのような方法ではないやり方を模索しようということになった。この3つともわたしは全て参加した経験があって、それぞれどれも今でも充分通用する優れた作品ではあるのだけれど、すでに結果のわかっている方法ではない、今、この時代に必要な何かを僕らは探さなくてはならない…という点で3人の意見は一致。とはいうもののまだ具体案はない。本番まであと2日だってのに。さてどうする。

帰り道、たまたま通った交差点でキースが「このビルで60年代に毎週のようにスクラッチ・オーケストラをやってたんだ」。ロンドンは東京と違って、古いビルディングがそのまま残っている。たぶん僕らが今やらねばならないのは、スクラッチオーケストラがやっていたような実験の現代版なのだ。当時と違って、様々な価値の人たちや人種が、実際に、あるいはインターネットで、高速で行き交う中で、原理主義者どうし(アメリカだって原理主義的だ)が力で自分の主張だけを押しつけあう時代の中で、それでも個人が国家とは別の価値観で生きる道がすこしずつ開かれていってる中で、どうなるか結果は見えないけれど、なんらかのアンサンブルの方法を見つけること。スクラッチ・オーケストラがなんらかのヒントになりそうな気がしてきた。

@月@日
LMCのスタジオでキースと打ち合わせ。ホテルにもどってからもナイ頭をふりしぼって、8月に白州や広島でやったワークショップをもとに2曲ほど作曲のようなモチーフを考える。

@月@日
初日。今日は別会場でキース・ロウを中心にしたエレクトロニクスのオーケストラMIMEOがあるので、40人を率いるのは私ひとりの役目。集合時間は昼のはずだけど、来ているのは数人のみ。PAクルーのみが忙しく働いている。結局全員が集まって、音が出るようになったのは本番の1時間前。いくらなんでも時間がなさすぎる。顔ぶれもすごい。本当に高校生もいれば、英語の通じないブラジル人の素人っぽいパーカッション・チームもいるし、自前のおおきな机の上に大工道具とスピーカーをならべた人たちや、家庭用品(小さい雑貨や台所用品)なんかを並べたチーム、DJやドラム・マシーンにラップトップ、数名のギタリスト、中東っぽい衣装のダンサー等々。顔見知りもいる。フィードバックのクヌート、ニンジャ・チューンの映像のベン、ターンテーブル・ヘルで一緒だったポールやレプキ、それに即興界では知られたドラムのマーク・サンダース。おおいそぎで用意した2曲のリハーサル。とても消化できたとは思えないが仕方ない。

本番。最初の曲は数分ごとに簡単な方向づけをして、わたしが軽く指揮をするエチュードのような曲。まずは互いにどんな演奏をするのか知る必要があるのでそれぞれの自己紹介も兼ねられるような構成にした。これはまあ無難に終わる。初顔合わせメンバーにしては上出来だ。すごい面白い演奏をする人もいて、特に大工道具のおじさん2人と、 家庭用品を演奏するリチャード・トーマス & シホの2人はオレのツボにはまって、実に面白かったし、これならお客さんも、ま納得だろうというレベルの演奏にはなった。でも、こんなことをやるために来たわけじゃない。このやり方なある程度の成果が得られるのは最初からわかってる。やりたいのはこの先だ。

2セット目、ロルとのDUOをやらせてもらった。楽しかった〜。こんな無茶な企画をやらされるんだから、オレにもこのくらいの楽しみがないと。

で、問題の3セット目。再び全員がステージへ。ここでオレが提示したのは、ストラクチャーのないアブストラクトでシンプルな演奏上のルールのみ。過去にやったANODEを発展させたような内容だ。即興でやらなくてはいけないのだけれど、やれることは非常に制限されていて、個人の表現みたいなものはあまり出来ないようになっている。あえていえば全体を支配するような中心点になるようなファクターを作らずに、でもなんらかの秩序がアンサンブルを組織しているような状態とでもいったらいいのだろうか。結果的には全体として漠然とした音色だけが響くような世界。30分ならそれなりにうまくいくかもしれないけれど、あえて75分演奏することにした。うまく仕上げるのが目的ではなくて、どう上手くいかないのかをまずは見たかったのもある。金をとっておいて失礼な…という意見があるのもわかるが、結果のわかったうまくいくことの保障された実験音楽なんてそもそも語義矛盾だ。LMCフェスはそもそも実験をすることが保障されている場でもあるしね。それに、どんな状況でも、たとえそれが実験音楽ではない、たとえばダンス・ミュージックでも、リスクのない演奏はオレは好きではない。今回は失敗するかもしれないことを前提に、でも何が失敗なのか、何がいい演奏なのか、それ以前に今オレに必要なことを結果はどうあれやりたい…という根本的な部分までいかなくては、こんな無謀なオーケストラをやる意味がない。案の定30〜40分をすぎたあたりから集中力が途切れだしルールを守らない人も出てきて、音に輝きがなくなってきた。でもその瞬間に見えてきたこともあった。何かが破綻してしまうぎりぎり手前の何か。手ごたえはあった。でも、結果的には作品としては、はっきり失敗だった。終演後ロンドン在住の親友、役者の楠原さんとデザイナーのきょうこさんから暖かくも手厳しい評をもらう。反論の言葉もない。その通りだから。でもなぜか参加してくれたオーケストラのメンバーは、とっても楽しそうだったし、客席では唯一エドだけが、うれしそうな顔をしていた。早々ホテルにもどって、ちょっとだけ落ち込む。しゅん。さ〜、これをもとに明日はどう出るか。続きは次回を待て。なんか紙芝居みたいだ…(笑)。


え〜、で、これを配信している今は、ローマ近郊のラティナという街にいます。今はコンサートが終わって、打ち上げをして帰ってきたところ。ほとんど英語がしゃべれない人たちなのに、なぜかとっても楽しかった。なにより、強烈にメシがうまい。ヴェニスでもかなり旨い店に行ったけど、ここはさらに一段アップした感じ。イタリアはいつもこの味と打ち上げの面白さで、他に多少まずいことがあってもハッピーにさせられちゃうからヤバイよな〜。


Last updated: October 12, 2003