(フリー・ペーパー「Tokyo Atom」に掲載。)
皆さんこんにちは、今年の夏休みいかがでしたか。私は湿度90%の香港でずっと働きづめの8月でした。そんなわけで、今月は香港からスペシャル版です。
香港は第2の故郷といってもいいくらいの場所で、多いときには年の三分の一もここにいたりした。最初のリーダーアルバムが出たのも香港からだったし、映画音楽をやることになったのも香港のプロデューサーのおかげだった。友達も多い。でも、香港がイギリスから中国に返還された1997年以降、様子は一変してしまった。表面上はほとんど何もかわってないし、今までイギリスの植民地だったところが今度は中国の植民地になっただけっだって皮肉な見方をする香港人も多い。
実際政治的なことは住んでない私にはわからないけど、明らかに変わったのは音楽や映画を取りまく状況だ。街を歩いていてとにかく変わったのはCD屋が壊滅的になくなってしまったことだ。HMVやタワーといった大型店以外はほとんど消えてしまった。一見CD屋っぽく見える店もたいていはDVDやVCDといったCDサイズのAVをあつかっている店で、ここにいけばアメリカの新作映画から日本の最新テレビ番組まで全て中国語字幕付きで手に入る。香港や日本、ヨーロッパの古い名作映画もあるし、京劇の舞台をとったものまである。もちろん99%海賊盤だ。私が音楽をやった香港映画も全てVCDになっていた。どれも海賊盤とは思えない豪華なジャケットで一枚数百円。しかも香港ではVCDを見るためのプレイヤーが3万円で手に入るし、DVDもすごい勢いで普及している。これでは、倍以上の値段はする音楽CDは売れないし、映画館の売り上げも激減するわけだ。映画業界が一斉にハリウッド進出を始めた裏の理由は海賊盤VCDなのだ。なにしろ、いくら映画を作っても収益をえられないのだから、香港をでるしか方法がない。
運良く出れた人はいいが、私が一緒に仕事をしていたような、今も香港にいて、地味だけれどいい作品をつくっていた連中の仕事はCD屋同様壊滅的だ。大学の先生になった監督もいれば、本屋をはじめた監督もいる。CDレーベルもしかり。海賊盤業界はマフィアの縄張りだから、おいそれとインディーズのレーベルが手を出せるような領域ではない。自分たちで予算を絞り出して作ったCDで採算を取るためには最低でも千円以上の価格をつけなくては赤字になってしまう。大量に元手もなく作られる海賊盤のVCDを前に、生真面目につくられた音楽CDは手も足もでなかった。90年代初頭、香港で僕らと一緒になってコンサートを企画したりCDをつくったりした仲間の多くは挫折し、ぼくのアルバムをだしてくれたレーベル「SOUND FACTORY」もとうとう力つきてしまった。香港返還後、ぼくが2年間、香港に行かなかった、行けなかったのにはそんな理由がある。
久々に香港に来て仕事の合間にかつての仲間たちに会った。皆元気だったけれど、挫折の傷はいたいほどぼくにも伝わってきた。ある監督は、デジタルカメラとコンピュータの編集だけでデジタル映画を撮り、ゆくゆくはDVDやインターネットで発表するつもりだと語ってくれた。2年前、もう2度と音楽には関わらないといってレーベル倒産を宣言した友人は、いつのまにか中国や香港映画のLDの輸出をはじめていて、私が関わった映画はすべて取り揃えてるなんて話を得意そうにしてくれた。チベットに度々行き、むこ うの伝統音楽家とともに作品を作り出そうとしている奴もいる。
久々の友人たちと美味い飯をほうばりながら、未来の見えない香港で、それでもサバイバルへの気力とアイデアを見せる彼らを見て、また香港との縁が始まるような予感を感じた。