Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記(2000年7月)

(フリー・ペーパー「Tokyo Atom」に掲載。)

戦後の混乱した経済の中で開かれたユーゴスラビア、ベオグラードの風変わりな音楽祭 RING RING 2000。先月に引き続き今回もその様子をレポートする。

@月@日
RING RING 3日目。この日のハイライトはユーゴ第2の都市、最も爆撃の激しかったノビサドから来たボリス・コバック & ラバダ・オーケストラだった。白のスーツに身を包んだ5人の無表情な中年男性達が繰り広げる無国籍でモダンなタンゴ。色香ただよう大人の音楽に、戦前の拡声器をおもわせるようなボリスのナレーションが時たま入る。まるで極上の映画を見ているようだ。夢見るうちにあっという間の90分が過ぎた。過剰な表現は一切ないのに、ぎりぎりのところで、強力にエモーショナルな音楽。もしかすると1940〜50年代のジャズはこんなだったのかもしれない。言葉に尽くせないくらい感動した。RING RINGのオーガナイザー、ボヤンが嬉しそうにやって来てそっとささやいた。「彼は過去10年間ベオグラードで良い演奏をしたことは一度もなかったんだ,いや、出来なかったんだ。今日は最良の日だよ」。

@月@日
ボヤンが一番心配していた日がやってきた。会場は大きなホールからうって変わって200人もはいればぎゅうぎゅうのクラブ。JAPANESE ELECTRONICS EVENINGと題されたこの日は中村としまるとSachiko MのDUOとオレのソロのセットがある。彼が心配したのは3年前のGROUND-ZEROのイメージで集まったユーゴの観客が、大音量のパンキッシュな演奏を期待して演奏中もざわざわと騒ぎ続けるのではないかということだった。昨年ベルリンでこのDUOを見たボヤンは2人の音量が極めて小さいことを良く知っているし、現在のオレがミニマルな演奏になっていることも承知している。開演前、案の定会場の定員をはるかに上回る客の熱気とざわめきが楽屋でもはっきりと聞き取れる。ところがいざ始まってみると心配は杞憂だった。水を打ったように静まり返ってステージを凝視する観客。彼らが期待していたのは3年前と同じものではなく、次になにが起こるのかのほうだったのだ。

@月@日
この日、ベオグラード市内では10万人以上の人たちが集まって、独裁者ミロシェビッチに反対する集会が開かれていた。会場は僕らが泊まっているホテルの目の前。いかに平和的な集会であれ、人間がある人数以上集まるというのはそれだけでも暴力的なことだ。独裁政権がこのままだまっているのだろうか。10年前の天安門広場の映像がよぎる。RING RINGのほうは今日が最終日。出演者や地元のミュージシャンがこぞってのセッション。昨日と同じ会場には数百人の人が押しかけてきている。中に入れたのは4割にも満たない。音楽的な言語がまったく異なる者同士のセッションは、スリリングだとも言えなくはないが、大抵は表面だけの反応に陥ることが多い。この日のセッションもそんな程度の内容だったけれど客は大喜びだった。僕らにとって楽しかったのは、ステージよりもむしろ楽屋での会話の方だ。電気がくるかどうかもわからなかった昨年5月の空爆下で行われたフェスのこと、楽器屋がほとんど存在しないこの国での楽器の入手方法等、話は尽きない。ここでオレはまたあの3年前のベオグラードの熱気を思い出していた。音楽がある、それだけで素晴らしい事だってことを戦争の跡生々しい、独裁国家のこの国のなかで活動している彼らはオレに思い出させてくれた。

@月@日
ユーゴを出た日の夜、ロッテルダムのホテルで見たCNNニュースにベオグラードの街が映っている。「民主勢力の放送局が軍によって占拠」なんだか息苦しくて、ホテルにいる気になれない。夜の街をとぼとぼ歩くことにした。若いジャンキーのような青年が金をせびりにくる。おもわずオレは日本語で叫んでしまった「うるせー」


Last updated: July 16, 2000