@月@日
過去に3回ソウルに行ってはいるが、演奏で行くのは今回が初めてになる。いつものように徹夜明けのまま、早朝の新宿駅へ。ゴールデン・ウィーク中だってのに通勤客が結構いてびっくり。みんな働きもんだ。なんて思ってるオレだって労働中だもんなあてなことを電車を待ちながらぼ〜っと考えていたら、突然大きな鈍い音がはるか後方で響く。とっさに音の方向を見ると中学生くらいの女の子が到着した電車のドアの前で倒れている。電車から降りる時つまずいたらしい。ひどい倒れかただったのか起き上がれずにいる。電車は今にも発車しそうだってのに、誰も彼女を起こそうとしない。それどころか乗り降りする大人達は皆彼女をよけて、さっさと電車を降りたり乗ったり。いったいどういうことなんだ? とにかくオレは彼女を起こそうと駆け寄った。幸いオレの到着前に会社員風の若い女性が彼女を安全な場所に移動。しかしそれ以降も痛がっている彼女に誰も皆見向きもしない。治安が悪いと言われているようなところも含め、いろいろな都市を見てきたオレの目で見てもこれは異常だ。NYでもパリでも、こんなことがあれば多くの人が助けてくれるし、声くらい掛けるもんだ。腹が立つ、まったく〜。
せまくて高くて乗りごごちの悪い成田エクスプレスで空港へ。今回同行のヴォーカリストさがゆきと合流。ソウルへ。自宅の吉祥寺から成田までより、成田からソウルのほうが全然はやいってのはどういうことなんだよとか思ってるうちにさっさとソウルの新空港へ。ここで今回僕らをよんでくれた韓国即興音楽の開祖、サックスのカン・テーファンさんが出迎えてくれる。オレが心底尊敬している音楽家のひとりだ。ホテルのチェックインやら会場の下見やらをした後、カンさんの招きで夕食。プルコギ(牛肉のジンギスカンみたいなやつ)やケジャン(ワタリガニの醤油漬けキムチ)の美味いこと。この国では年長者に素直におごられなくてはならない。ごちそうさま〜、カンさん。
その後、さがさんといった喫茶店のようなバーのような謎の店で一波乱。さがさんはわたしの敬愛する歌謡曲の作曲家中村八大晩年の専属歌手だった人で、彼女から八大さんの話をいろいろ聞き出そうと思ったのもつかの間、突然入れ墨指無し角刈りの男が僕らの席の前に立ちはだかって、さかんに「ヤマグチグミ、ヤクジャ、トモダチ」のフレーズを繰り返しながらからみ出したのだ。顔がたこ八郎にそっくりなのが愛嬌だが、いかにもやくざ風で、なぜが千ウォン札をオレに渡そうとする。それ以外は何を言っているのか、さっぱりわからずで、とにかく、ものすごい力で暴力的に握手をしてオレの手をはなさない。どこを見てるのかわからない目でさかんに何かを訴えているようなのだが、やはりわからないもんはわからないし答えようがない。もしかしてからむというよりは友だちになりたいだけだったのかも知れないが、どう考えてもオレもさがさんもこの男とは友だちになりたくないので、壁ずたいに蟹のように少しづつジリジリと出口に這い、ドアに到達すると同時にすごい勢いで男の手を振り切って階段を駆け降りた。ネオンの中を足早にホテルへ。夜のソウルはオレがガキの頃育った横浜にどこか似ている。そういえば昔横浜にも映画に出てきそうなやくざが沢山いたっけ。
@月@日
ソウル大学路。その名のとおり学生街で、シアターやライヴ・ハウスが多数ある。特に小劇団の演劇がさかんなことで有名な場所だ。ここの一番大きなコンサート・ホールで数日間にわたって民族音楽とアヴァンギャルドのフェスティヴァルが行われていて、今日はアヴァンギャルドの日。朋友、パーカッションのパク・ジェチュンとオーストラリアから来たなんとかいうサックスとピアノDUOとの共演と、カン、さが、オレのトリオの2セット。座りながら様々な打楽器を演奏するパクさんの即興演奏は世界的に見ても、十分通用する独特の世界観と技術、美しい音色を持っていて、もっと広く評価されるべき存在だと思う。それにひきかえオーストラリア2人組の方はアロマテラピーとかで流れてるC調いやし音楽みたいな演奏をしやがる。見ていてパクさんがかわいそうだった。それでも客にはわかりやすい内容だったのかもしれない。僕らよりはずっと受けていたような気がする。二千人は入る会場はそこそこの入りで、高校生や中学生も多数いる。僕らを知っていて来ているというよりは、なにか授業の一環みたいな感じもあって、僕らの演奏がどこまで伝わったのかは正直わからない。それでも自分のなかでは今出来る最善の演奏が出来たと思っている。僕らに出来るのはここまでで、あとはリスナーを信じるしかないって点だけはどこの国での演奏であろうと変わらない。満足して楽屋に戻ると2000年の暮れにシンガポールのフライング・サーカス・プロジェクトで一緒になったパーカッションのチャン・ジェヒョ、韓国ロックの生みの親にしてカンさんとともに即興演奏を開拓してきたキム・デファン、ソウルを拠点に活動しているミュージシャン佐藤行衛、そしてカンさんの娘さん等が詰めかけてくれた。嬉しい時間だ。そのまま打ち上げ会場のダッカルビ屋へ。この日はさがさんから中村八大の話を沢山聞くことが出来た。オレにとっての60'sは山下毅雄を裏に例えるなら、表は中村八大やいずみたくだ。いつかこのへんの表の作曲家にも取り組んでみたい。
@月@日
さがさんはカンさんとDUOで全州へ。オレはパクさん、ピアニストのミ・ヨンさんとソウル郊外のギャラリーで演奏。美人のミさんはパクさんの奥さんでもある。数十人も入ればいっぱいの小さな会場。客の反応が見えるのはいいもんだ。休憩時間に何人かのお客さんと話すことができた。インターネットで情報を集めてアメリカの通販でオレのCDを買っているという若い男の子3人組。たまたま昨日ラジオで流れたオレのサントラ『シャボン玉エレジー』を聞いて来てくれた英語を流暢に話すNY帰りの女の子。現代美術をやっているという男性。シカゴでAACMのワークショップに参加していたこともある、やはり流暢な英語を話すソウル唯一のフリー・ジャズ評論家等々。打ち上げはスタッフとともにカルビ屋へ。韓国ではカルビといえばまずは豚肉。今回のツアーでオレは確実に2kgは太りそうだ。
@月@日
前日と同じパク・ジェチュン、ミ・ヨンとのトリオでスタジオに入ってレコーディング。即興演奏でスタジオを使うのはパクさん、ミさんともに初めてだという。ピーンと一本緊張感のある録音すごくいい内容だと思う。出来れば良い形でどこかからリリースしたい。この日パクさん、ミさんと韓国の音楽シーンの話、どうやって彼らがここまで演奏を進化させてきたのかって話、これからの韓国のシーンの中で彼らに出来る最善の方法はなんなのかって話、映画とのコラボレーションの可能性、そして日本のシーンや、オレがどうやって今の音楽にまで至ったのか等様々な話を何時間もした。彼らは今、ものすごくいろいろなことを知りたがっている。そしていろいろなことを必要としている。オレに出来ることはなんだろう。かつての香港での挫折に近い経験が頭をよぎる。シーンなんてつくるもんではなく、出来る時には勝手に出来るもんだ。オレにやれることがあるとしたら彼らと音楽をつくること、それだけしかないように思う。夕食はパクさん、ミさん、スタジオ・スタッフとともにサムゲタン屋へ。これから韓国との付き合いが増えるかもしれない。
@月@日
ソウル最終日。この日もパクさん、ミさんとともにJAZZ CLUBの「La Cle」で演奏。ひところのアンテーィクを沢山おいてある日本のジャズ喫茶によく似た会場。会場のまかないメシはトンカツとハンバーグの定食。ごはんとサラダがついて日本の定食を思い出す。みなでパクパクやりながらパクさん達とシリアスな音楽の話の続きを。彼のこんな姿勢が大好きだ。開演。客席には韓国即興の生みの親の3人、カン・テーファン、チェ・ソンベ、キム・デファンの顔が。佐藤さんも来てくれる。それとなんとすごい偶然なのだが、イタリアの現代音楽のギタリスト、マルコ・カペリがスイスに住む韓国系の作曲家リー・ジャンヘとともにひょっこり現れる。ソウルで現代音楽のコンサートがあったらしい。マルコはジョン・ゾーンのギター曲なんかをCD化しているギタリストで、ほんの数週間前にイタリアから作曲依頼のメールをくれたばかりだった。こんな早く会えるとは思ってもいなかった。2セット目にはさがさんも飛び入りしてくれて、楽しい一夜だった。この日はカンさんと夜おそくまで語り合った。というか、ほとんど一方的にカンさんの英語と日本語にハングルがまざった筆談まじりの話を聞いていた感じだ。カンさんの歩んできた道は、山あり谷あり、それはそれはもう大河ドラマにしてもいいくらい面白くて、ほんとはここにも書きたいくらいだ。さすがにプライベートなことなんで控えるが、いつか誰か日本の音楽ジャーナリストがちゃんとインタビューをするべき内容だ。韓国でなぜカンさん達だげが世界中のどこの音楽とも似ていない独特の即興音楽に至ったのかをちゃんと考証する必要があると思うし、韓国現代史を考える上でも貴重な話が沢山聞けた。歴史はえらい政治家が動かしてるんじゃなくって、ぼくら下々の生活者の総体が歴史なんだ。個々人の細部にこそ歴史が見えるってもんだ。ヤンバンの裕福な家に生まれ、後に政治的な理由で常に警察の監視下にあったカンさんの幼少時代の話や、米軍の進駐とともにものすごい数のジャズ・バンドが生まれた中でカンさんがもっとも若いリーダーだった話等々貴重な話が沢山聞けた。言葉が互いに通じにくいせいもあって、これまで知り会ってから12年間、こういう話をすることは今まで一度もなかった。外は雨。ホテルの蒸し暑い部屋で韓国ノリをパリパリと食べながら夜が白むまでカンさんの話は続いた。