Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記(2001年4〜5月)

(フリーペーパー「Tokyo Atom」に掲載。)

ジャパノラマ英国ツアー編

ロンドン・ミュージシャンズ・コレクティヴ (LMC) の招きで日本特集のコンサートが英国9都市とベルギーのヘントで開かれることになった。準備がはじまったのは2年前。音楽ライターとしても知られるLMCのエド・バクスターと私で人選をし、正月早々、僕らはイギリスへ。メンバーは 石川高(笙)、江上計太(テープ・インスタレーション)、大島保克(唄、 三線)、Sachiko M(サイン波)、杉本拓(ギター)、中村としまる(ノー・インプット・ミキシング・ボード)、HACO(ヴォーカル、エレクトロニクス、パーカッションほか)、古田マリ(パーカッション)、八木美知依(箏)。

@月@日
ロンドン・ヒースロウ空港で成田、関空、福岡の各空港から到着の11人の仲間と、5人のイギリス側スタッフ& クルーと合流、自己紹介をしあう。オレにとっても杉本拓、中村としまるといった見知った顔ばかりではない。初対面の人もいる。いろいろなジャンルから集まった日本のミュージシャン9人と美術家によるオムニパス形式のコンサート・ツアー JAPANORAMA の幕開けだ。これから半月、ほぼ連日コンサート会場から次の会場へとバンで移動する毎日が始まる。天気は暗く冷たい雨。イギリスらしい。今日は西部の都市エクスター近くまで行ってドライブ・イン泊。

@月@日
到着翌日、この日は午後からサウンド・チェックのみ。エンジニアのロンドン在住のドイツ人クヌートとは一度ドイツで仕事をしたことがある。エレクトロニクスを演奏するミュージシャンでもある。初めての和楽器や調子の悪いPAに手こずるが、彼なら安心だ。ところで、さっき "いろいろなジャンル" なんて書いたけれど、具体的に書くと、雅楽、邦楽、沖縄民謡、オルタナ系やら音響系、現代音楽等々…ってことになって、正直ピンとこない。それより箏の八木美知依さんとか、打楽器の古田マリさん…とかって個人名を書くほうが、オレにはしっくりくる。ま、カテゴライズはCD屋さんと評論家にまかせておけばいいか。オムニパス形式ってのは、それぞれの人が、それぞれの音楽を10分前後演奏して、合計で約2時間。見るほうにすれば、いろいろ聴けていいが、演奏するほうとしては10分は物足りない量だ。オレとしては、語法が異なる者同士をなんでも共演させてれば、交流が生まれるっていう80年代、90年代型のワールドミュージックやミクスチャー的即興演奏への疑問もあってこういう形式にしてみた。それに同じ日本人だからといって同じ言語を使うとは限らない。例えば、大島保克の唄う沖縄民謡とSachiko Mのサイン波が、石川高の奏でる笙とHACOの歌う不思議な世界が、単に 日本人というだけで、同じ枠組みで語られていいのかどうか、はなはだ疑問だ。そんな者同士が例えば、「即興」とか「音響」あるいは「ダンス・ビート」をキーワードにして共演することを否定はしないけれど、オレ個人はそういうことに安易な夢を持っていないし、自分ではやりたくなかった。それぞれの共通点を見つけて最大公約数的なまとめかたをするよりは、異なるものは異なるままいればいいと思うからだ。だからといって、価値観の違うもの同士が無関係であればいいとも思わない。同じ価値観の人だけが集まったり、逆にひとくくりに(例えば、日本人というだけで)同じものに見られてしまうことにも強い抵抗を感じる。会場には美術家の江上計太さんが、毎日すごい勢いで、何十メートルものビニールテープを使って大きなミニマルな作品を壁に作ることになっている。僕らは無理をしてこの美術作品の為に音を作らないし、江上さんも僕らの音に直接反応して作品を作るわけではない。ただ僕らは同じ時間と空間にいて、互いの作品に敬意を持っている。演奏家同士にしても、この程度の関係がオレにはいい距離感に思える。その先、この距離を理解したり、縮めたり、溶かしたりすることができるのは作り手以上に、聴き手の役目だと思うからだ。とまあ、理想を書いたところで、現実はもっと多様でやっかいで、豊かで貧しかったりもするから面白い。明日からは連日移動とコンサートの日々が始まる。

@月@日
初日はイギリス南西部の都市エクスター。会場は満席。コンサートはPAの不 調に見舞われつつも無事終了。江上計太のステージ・インスタレーションが独特の空気を作る。彼は壁一面にビーニールテープをはり巡らし、ミニマルで巨大なインスタレーションをわずか数時間で作る。

@月@日
2日目、ブライトン。クルーのロブはここの出身。イギリスでは名の知れたオ ルタナ系のミュージシャンでもある。この日はオール・スタンディングのクラブ・ギグだ。ざわつく超満員の会場。一発目はオレが大音量のノイズ。この手の会場ではノイズは受ける。でもオレのはお客さんに安心を与えるただのイントロに過ぎなかった。それも古典的な。事件はこの後の杉本拓のギターとSachiko Mのサイン波のDUOの時に起こった。まったくアブストラクトな上にほとんど音がない。ただステージ上で静かに起承転結のない物音が時々鳴っているような状態。めちゃクールな音響にうっとりしていると、 3分を過ぎたあたりから客がざわつきだした。「FUCK!」。切り裂くような大声のヤジをきっかけに、会場はものすごいテンションに包まれた。「聴きたくねえならお前が出ていけ!」。「騒ぐんじゃねー」。「おめーのほうがうっせんだよ」。缶ビールを足でつぶしてわざと音を立てる奴。紙クズをほおる奴。支持派と不支持派。客席がざわつけばざわつくほど、演奏の音量はさらに小さく、音数も少なくなる。まるでステージから無言で喧嘩を売ってるようだ。かなりやばい空気。オレは、すぐにでも飛び出せるように袖に待機して客を睨み据える。いつも笑っている巨体のクルー、サイモンや身長2 m近いロブも臨戦体勢で客席を睨んでいる。わずか10分の演奏が30分にも40分にも感じられた。割れんばかり拍手と激しいヤジ。サイモンがにやりとオレを見てウィンク。ロブが耳元で嬉しそうに言った。「70年代に初めてこの街でパンクを見た日を思い出したぜ」。

@月@日
常時誰か1〜2名が交代で発熱したり、食中毒になってへたっていることと 、よく道に迷うこと、そしてスケジュールがきついこと以外は順調だ。毎日へとへとになるくらいまで働いているのに、夜中ホテルに戻ると、必ずロブの部屋に集まって宴会になる。オレが音楽家を続けてる理由の3分の1は、下戸にもかかわらず打ち上げが好きだからだ。クルーのロブ、サイモン、ポールは最も疲れているのにもかかわらず、必ず、このロブズ・バーに集まって朝までうだうだしている。すごい体力だ。団長のエドは、いつもクルーとの関係にナーバスになりながら、食中毒になったのにもめげず、マメに、かつ不器用に動き回っている。日本チームの皆勤賞は杉本拓と、中村としまる。舞台裏の日英外交の中心人物はこの2人だ。まるで霧のような視界のなか、朝 まで宴が続く。

@月@日
5日目、ロンドン。これまでほとんどの会場でソウルド・アウト。今日のクィーン・エリザベス・ホールも超満員。会場の外にまで、入りきれない人で溢れている。大島保克の歌う無伴奏の沖縄民謡やHACOのソロが会場をゆるがす。八木美知依の箏が美しく響く。ノー・インプット・ミキサーの中村としまるはロンドンではスターだ。笙の石川高の演奏にはオレも感動した。自分のセットCATHODEも素晴らしかった。もう文句なく皆いい演奏をした 。本当にいいコンサートだった。でも、あまりにも完成した音楽を前にすると、そしてそれが絶賛されるのを見るとむずむずと不安になってくる。本当にこれでいいのかって? 杉本拓が楽屋で難しい顔をしている。

@月@日
今日は何日目だ? ここはどこだ? 連日のバンでの移動と演奏で疲労の極 に。それでも僕らは毎日、ステージでいろいろなことを試みた。杉本拓や古田マリが曲を作りだす。今まで思いもつかなかった方法でアンサンブルを組む試み。公演ごとに様々なプロセスがそのままステージに上がる。失敗もある。でも、なんだかいい感じだ。完成させるのではなく、プロセスそのものの中から豊かな可能性を聴き取るような音楽。これこれ、これだよ。オレが高柳昌行の演奏に感動して音楽の世界に深く迷いこんだのも、デレク・ベイリーにはまったのも、ジョン・ゾーンのケツを追っかけたのも、ジム・オルークに目を開かせてもらったのも、彼らがこの創作の深遠の縁を見せてくれたからに他ならない。ロンドンの大舞台で、少々舞い上がっていたのかもしれない。こんな大切なことを忘れていた。賛否入り乱れたブライトンでの喧騒こそがオレの出発点じゃないか。


Last updated: April 21, 2001