@月@日
六本木ゾーンにてポステク・サミット。久保田晃弘編『ポストテクノ(ロジー)ミュージック』と佐々木敦著『テクノイズ・マテリアリズム』の発売記念イヴェント。すげえ数の客が来てやがる。どちらも素晴らしい本だ。このくらい人が来て当然か。オレのほうは花粉症と映画音楽の疲れから扁桃腺がはれて発熱、体調は最悪。近くの薬局でドリンク剤に手を伸ばしていたら、となりで佐々木敦がやはりドリンク剤を物色している。おもわず顔を見合わせ苦笑「お疲れさん」。久保田さん、佐々木さんに加えクリストフ・シャルルやオレで座談会のようなことをやったが、わずか1時間しかなく、ちょっと消化不良。もっと話したかった。この日は演奏もあって、久保田、クリストフともにすばらしい演奏だった。久保田さんを見たのはこの日が初めて。なんだか負けてられない気がして、体調のことも忘れてターンテーブルのフィードバック・ソロを30分ほど。演奏にも客の反応にも確かな手ごたえ。録音さえよければCD化したいくらいの内容。この日はPAシステムもすばらしかった。ここまで音の細部が見えるPAにお目にかかったのは初めてだ。オレの最近の演奏の80%は機材の良し悪しでとエンジニアの腕で決まると言っても過言じゃない。そのくらい音のクオリティそのものが音楽の内容を左右する。終演後、エンジニアをしてくれたセレサの桜井さんと小林さん(この2人はその昔、クリスチャン・マークレイの100ターンテーブル・オーケストラのサウンドを担当した人達だ)の紹介で、PAを作られた田口製作所のみなさんがステージに来てくれる。開発したばかりの新しいシステムとのこと。こういうPAでいつも演奏出来たら幸せだ。
@月@日
映画美学校にてフィリップ・ガレルの映画『孤高』にライヴで音楽をつける。もともと、この映画には音も入ってなければストーリーもない。ひたすらニコやジーン・セバーグ等の顔が出てくるモノクロ無声映画だ。監督があえて音をつけなかった、ストーリーすらつけなかった映画に、オレは最初から通常のサントラをつける気はさらさらなかった。もしも音楽家にやれることがあるとすれば、それは、ガレルが常に耳元に聞いていたであろうフィルムの回る音、つまりは映写機の音を浮き上がらせることしかない。共演者に選んだのは杉本拓とSachiko M。彼らのひたすら即物的な音の中で映写機の音が音楽にすら聞こえてくる。終演後、今回の企画のプロデューサーの越川道夫が涙を流しながら飛んでくる。「あのサイン波の切れるラストで不覚にも泣いちゃったよ」。「え? そうなの????」。僕らはステージ上でひたすら即物的になんの感情も込めずに、ストイックにただただ音を出していたにすぎない。このほとんど何も起こらないライヴの演奏を岸野雄一氏がCD化してくれるという。聴き手が音楽を発見する。そういう環境になってきたことをオレは嬉しく思う。
@月@日
ONJQ (OTOMO YOSHIHIDE'S NEW JAZZ QUINTET) のライヴ・レコーディング。場所は新宿PIT INN。この日は僕らの演奏前に、ベルリンのアンドレア・ノイマン (inside piano)、ロンドンのカフ・マシューズ (computer) そして Sachiko M (sine waves) によるトリオがあった。客こそ少なかったが演奏の質、内容ともに素晴らしかった。演奏を聴いていて鳥肌が立った。この日ここで起こったことがどれだけすごいことかを知っているのが20人くらしかいないってのは、何だかちょっと残念でもある。僕らのほうは幸い満員の盛況でつつがなくライヴ・レコーディングも終了。ONJQ現時点でのベストと言っていい内容だと思う。みな素晴らしい演奏だった。私生活で元気のない菊地成孔も、こちらの心配などどこ吹く風で、ジャズ史に残るくらいの名演を残してくれた。こんなメンバーとやれてオレは幸せもんだ。
なぜ今オレがジャズをやるのかという問いを何度受けて来たことだろう。本当の理由はよく分からない。分からないが、ひとつはっきり言えるのは、青年期に日本のフリー・ジャズに接することがなかったら、オレの人生は今とはまったく違うものになっていただろうってことだ。このことにオレは決着をつけなくてはならない。一方でアンドレアや杉本拓等の音楽を座視に入れつつ、もう一方の足で、オレはこの部分にもふんばり続けようと思っている。過去の伝統を踏襲するためではなく、むしろそれを今の現場に引きずり降ろすために。
打ち上げは歌舞伎町裏路地の中国人しか来ない上海料理屋。アンドレアはパクチーを気にいり、何回もお代わりする。ここは本当に美味いうえに、隠れ家みたいに長い出来るのがいい。菊地成孔とメシを食うと美味いもんがさらに美味くなる。ライブ盤の発売は7/25。DIWから。正統派ジャズの自信作です。