(フリーペーパー「Tokyo Atom」に掲載。)
(前回のあらすじ)赤道直下のシンガポールで、東南アジアを中心に十数カ国から数十人のアーティストが集まり、1カ月にわたり連日ワークショップやセッションが繰り広げられた。名づけてフライングサーカス・プロジェクト。主催をするのはシンガポールの劇団シアターワークス。ところが、ここに着いた初日、音楽家の舞台が用意されていないことを知り、オレは久々に切れてしまった。
@月@日
オレの「帰国宣言」を受けて、急きょ、音楽関係のメンバーを集めて緊急会議が開かれた。それぞれの国から集まった音楽のエキスパート達が、その本領を発揮する場もないまま、ただその場にいなくてはならないのは苦痛以外のなにものでもない。ぼくらは芝居のワークショップの伴奏をしに来たわけじゃないし、ビギナーのようにお勉強をしに来たわけでもない。オレはそんなことを主張して帰るつもりだった。ところが事態は思わぬ方向に進展しだしたのだ。オレの意見を受けて、建設的な意見が次々出され、ついには音楽専用のスタジオを設置して、毎日日替わりでリーダーを決めてセッションをするって話にまでなってしまったのだ。帰れなくなってしまった。
@月@日
セッションする場ができて、ミュージシャン達は一瞬だけれど、開放されたような気持ちで音楽を楽しんだ。が、それも3日ともたなかった。誰かがビートを出す。それをフォローするように同じビートで反応する。誰かがキーを出せば、みな器用にそのキーでアドリブをとり出す。はた目には、さぞやクリエイティブな作業に見えたかもしれないけれど、こんなのはまやかしだ。普段それぞれの音楽家が自分のフィールドでやっていることを100とするなら、みなそのうちの10の力も出せてやしない。文化も言語もまったく違う、そして音楽語法のまったく異なる人間が同時に音を出せば、どうしても最大公約数的な音に落ち着かざるをえない。異なる文化の人間が即興を介してわかりあえる…なんてことが起こったら、どんなに素敵だろう。でも、そんなことはまずありえない。英語しかわからない人間と、日本語しかわからない人間が話をする状況を考えてみれば、よく分かることだ。「音楽は共通語」というのは聴いて楽しむ場合の話で、音楽を創る側には、どの音楽にも言語のような体系があって、それはそう簡単に理解しあえるようなものではない。この日の夜、メレデス・モンクのソロパフォーマンス。素晴らしかった。音楽のクオリティについて考えさせられる。
@月@日
中国奥地のナシ族の長老達のパフォーマンス。そして田中泯さんのソロダンス。感動した。それぞれのアーティストのライブを見るのは楽しい。しかし、ワークショップのほうはいよいよ行きづまる。オレはとりあえず、この場を抜け出してさぼることにした。いつのまにか、他のミュージシャンも抜け出して、みんなでビールを呑んだり、なんてことになってくる。宴はワークショップ終了後も続く。片言の英語にうまいつまみ、そして笑い。オレは初めて異境の地から集まってきた言葉も民族も宗教も、そして音楽も文化も違う彼らと、少しだけ理解しあえたような気がした。彼らとできる即興以外の方法ってなんだろう。それぞれのキャラクターを生かしたままアンサンブルする方法は? プロジェクトの精神的な支柱になっているマレーシアの哲学者の大学教授に問いかけられた。「おまえはここにどういうつもりで来たんだ」。オレはこう答えるしかなかった「ミステイクだった。まだなにも発見できないよ」
@月@日
一晩考えて創ったシンプルな曲をみなで試してみる。オレの指揮を通して伝えた情報を受けて、各自がその場で作曲し、自分の演奏をしてアンサンブルを組む。簡単なゲームピースのような作品だ。悪くない。異文化同士の交流に必要なのはやみくもなセッションではなく、制度と構造を民主的に構築する視点しかないのではないか。いつのまにか沢山のアーティストが僕らの試行錯誤を見守っていた。一曲終えると、すごい拍手が帰ってきた。そうだ、音楽家には聴衆が必要だってことも忘れてた。音楽を意味あるものにするのは聴き手なのだ。
@月@日
これまで発表の場を与えられず、セッションにも行き詰まりを感じていた音楽家それぞれが、自主的にコンサートをやりだした。雲南省の笛吹きとフィリピンのラスタ系シンガーのセット。田中泯とメレデス・モンクのデュオ。福岡ユタカと中国のシンガーの共演。韓国のチャン・ジェヒョの琴のソロ。どれも素晴らしいクオリティだ。その時、それまで、ほとんどマイペースにまわりの状況とはほぼ無関係にピアノを弾いていた女の子(オレは彼女を不思議ちゃんと呼んでいた。多分、自閉症的傾向のある娘だ)が、突然自作の弾き語りフォークを歌い出す。ふやけたキャロル・キングのような変てこな、クオリティのやたら低い音楽。うわ、なんじゃこの状況は。しらけた空気があたりを包む。そのとき、ワークショップに否定的な意見を持っていたシンガポールのアバンギャルディスト、ザイが突然立ち上がって不思議なダンスを踊り出した。彼はこんなことをしても無意味だと言いながら、いつも僕らにくってかかっていた。オレには彼のキモチは痛いほどわかっていたけれど、参加した以上、文句を言うだけでは駄目だとも思っていた。そのザイが突然、すごいテンションで立ち上がり、ゆっくり舞いだしたのだ。この時のことを文章で説明するのはすごく難しい。ただ、ザイの動きとともに空気が変わり状況も一変したのは確かだ。孤立してしまった不思議ちゃんは状況の一部となり、しらけた空気は別の何かになった。そして少なくとも、オレはココロを動かされたのだ。ザイを包むいろんな状況、彼の孤独が一瞬にして見えた気がした。「異文化との交流」なんて、甘っちょろい言葉を語る作品やプロジェクトをオレは信用しない。が、もしそういうものが本当にあるとしたら、それは作品の中にではなく、こうした未完成な混沌とした状況の中だけに瞬間的に起こるピカピカとした何かなのかもしれない。教授がいつの間にか隣にいる。「ここに来た意味が少しだけ見えたよ、教授」。無言のままにやりとりした彼の顔が忘れられない。南国の風が暑い。
@月@日
最終日。クラブでのパーティ。オレはここで、初めてオレの音楽をソロで演奏した。ただひたすらフィードバックさせるだけの音楽を40分。元ダムタイプの山中透や福岡ユタカも素晴らしい演奏をした。暖かい拍手。これは友だちへの敬意をこめた拍手だ。素直に「ありがとう」って思う。でもオレは思う。どんなに素晴らしくっても、例えば中国奥地の笛の音楽にオレがリアリティを感じるのが難しいように、カンボジアから来たイスラム教徒の影絵芝居師にとって、オレの音がリアリティあるものに響くのだろうかって。アジアはひとつなんかじゃないし、理解なんてしあえていない。せいぜいが遠慮しながらニコニコと握手をしあえた程度だ。それでも、国や文化とは関係なく友だちができることもある。ザイがやってきてオレにいった。「あんなワークショップより今日のお前のソロが最高だったよ」。「ありがとう。でもね、それならソロだけやりにくればいいんだ。それより、お前のあの瞬間が最高だったよ」。お世辞じゃない。オレは二度とこのプロジェクトに参加することはないだろう。最初は本気でそう思っていたけれど、皆と踊っていると、なんだかまた参加してもいいなって思えてきた。悪くない一歩だ。