Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記(2001年末〜2002年2月)

どもども、半年ぶりのご無沙汰です。

@月@日
下北の台湾料理屋。安藤尋監督、漫画家の魚喃きりこさん、脚本家の本調有香、殺し屋一で一躍脚光をあびたプロデューサーの宮崎大さん等と忘年会。昨年やった映画『blue』の完成記念の打ち上げだ。安藤監督とは日本の映画人の中では最も古い付き合い。一緒にやるのは今度が3作目になる。でも、考えてみたらプラベートで会うのは今回が初めてかもしれない。だいたい現場以外で、めったに仕事仲間と会うことないもんな〜。安藤監督の酒グセは有名で、泣くわ、歌うわ、裸になるわらしいのだけれど、ま、今回はそれも少々楽しみ。

映画のほうは、録音編集したのが昨年の秋。ここのところ密に仕事をしていた相米監督が死んで、なんだか抜け殻みたいになっていた時の仕事だった。ところが、こんな時に限っていい仕事をするもんだ。2時間を越える作品中、音楽はわずか4分しかついていない。手を抜いた訳では無論ない。実際使われた4分以外に40分もの使われなかった音楽を録音しているのだ。原作者も含めた音楽案の打ち合わせに始まり、スタジオでもわずか4分のために、4人のミュージシャンや監督と面を突き合わせながら何度もやり直した。監督がとにかく粘る。絶対にあきらめない。もうこちらも腹を決めて何度もトライする。こういう時のやり直しは嫌いじゃない。人数が沢山動く映画だと、なかなかここまでは出来ないし、低予算だからこそ逆に出来たやり方かもしれない。気づいてみたら相米ショックも忘れて映画に入りこんでいた。結果にも強力に満足している。安藤監督感謝してるぜ。

作品の公開は多分今年の夏。オレが関わった作品の中でも3本の指に入る傑作だ。ぜひ見てほしい。サントラCDリリースのほうもお楽しみに。さすがに、CDは4分ってわけにゃいかないので、新たに録音したりして出す予定。

あ、で、忘年会のほうはどうなたかってえと、いやもうお噂どおりで、とてもここには書けないっす(苦笑)。頑張れ、安藤!

@月@日
デートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデン新年会。え〜と、なんだかあまりの長い名前に?マークの人も沢山いらっしゃると思いますが、これは朋友菊地成孔の大編成ファンク・バンドの名前。あまりに長いので身内はみんなデトコペ呼ばわりしている。ちなみにメディアではDCPRGって書かれることが多い。オレはこのバンドのギタリストでもある。で、その新年会がなんと浅草橋発の屋方船だってえじゃないの。バンマス、粋なはからいじゃござんせんか。もう口調まで江戸落語のようになって、なぜか気分だけはおはるの漕ぐ舟に揺られる剣客商売の秋山小兵衛。

浅草橋の駅を降りるとなんだか下町って風情で期待がふくらみますねえ。で、早速船内へ。畳の匂いがぷーんとしたりして、なんかいいじゃないの。25歳から50歳まで、こわもての男ばかりのメンバー11名もこの日はみな上機嫌だ。全員そろうまで待つこと15分。なんか思ったより揺れる船に不安を感じ、用意してきた酔い止めを1錠。揺れるとはいえ、たかだか隅田川くらい大丈夫っしょ。小船は止まっているときのほうが揺れる…って、確かなんかで読んだような気もするし。羽織袴姿のバンマスと着付けの着物美女Kさんの登場で船内は一気に正月気分。薬が効いてきたせいか、酔いも止まってきた。香港のフェリーでさんざん鍛えたこの体、まだまだ衰えてないな。ゆっくり船が出るってと、さっそくビールとお通しが運ばれてくる。「あけまして〜、カンパ〜イ」。下戸のオレはウーロン茶でかんぱ〜い。次々運ばれてくる美味そうなてんぷら。さ〜てどれから食おうかななんて、テーブルをしばし見つめたとたん、あ〜来てしまった、激しい酔いだ。こうなるともう江戸情緒もへったくれもない。船はただの拷問台、てんぷらの匂いすら吐き気の原因になってくる。くそ寒いのにひとり窓際に行って風にあたりなが ら酔い止めをもう一錠。遠くで皆わいわい楽しそうにやってやがる。なんか、この風景、昔経験したぞ。なんだったかな〜。さらに次々運ばれて来る料理の数々。「うめえ」。料亭の伜だったバンマスが遠くであんなこと言ってやがる(あとで聞いたらバンマスもすごい酔いに、この後ダウンしたそうだ)。あ〜てんぷら食いてえ。こうなったらドーピング、酔い止め沢山飲んでてんぷら食ってやる。15分後。突然ハイになって戦列に復帰。少し冷めたてんぷらを食いながら皆とわいわいしたのもつかの間、ものすごい眠気 が襲ってくる。遠い意識のなかで、バスの中でげ〜げ〜吐いてる自分を思い出す。子供の頃の遠足だ。遠くで皆がおいしそうにおやつなんか食ってやがる。あ〜オレも食いてえ。

どのくらい時間が経っただろう。目が覚めると、テーブルには食い散らかされた食器類。「大友さん、ついたよ、ついたよ」。えっ? ここは? 船はもう桟橋についていた。くそ〜、なにが江戸情緒だ、なにが秋山小兵衛だ、もう屋方船なんて2度と乗らねえぞ〜(涙笑)。(その後、ほうほうの体で帰宅後20時間ベッドから起き上がれず、約束を飛ばしてしまった上、さらに翌日のライヴ中も椅子がないと駄目なくらいふらふらしていた。子供じゃあんめえし酔い止めでらりってどうすんのよ。 みなさんドーピングはやめましょう。)

@月@日
昨年の9月11日以降、飛行機はいつもガラガラで、4席取って熟睡みたいな楽な旅が続いたのに、今回2月のエール・フランスは満席。喉元過ぎればってやつなんですかね〜。でも今回はオーバーブックでビジネス・クラスをゲット。これだけ旅をしてると2年に1回くらいはこういうこともある。あ〜もうなんて楽なんだろ。「ビジネス・クラスじゃなきゃ行かねえよ」なんて言える身分になってみてえ。

今回はパリでは50人のエレクトリック・ギタリストの為の作品を上演する。奇才バイオリン奏者ジョン・ローズがキューレートするローゼンベルグ・ミュージアムというフェスのエンディングを飾るイベントだ。彼との仕事も数年ぶりだ。50人とはいえ、来るのはパリの地元のアマチュア・ミュージシャン達だ。立派な技術がある人達ばかりじゃない。というか、むしろメチャクチャなやつらばかりといってもいいくらいだ。

オレが考えたアイディアは地下から3階まである会場のいたるところにギタリストを配置して、一切弦には手を触れずに、ギターを静かにフィードバックさせるというもの。静かにってところがミソだ。ボリュームを微妙に調整して、フィードバックするかしないかのところでずっと音を出す。ギターの最も美しい音のひとつだ。こまかいルールはあるが、基本的にはこの方法一発で、ビルディング中が楽器のように鳴り出すはずだ。ただこのアイディアだと、参加者が皆と一緒にやってるという満足感が得られにくいという主催者の強い要望で、最後には全員がひとつの部屋に集まり、音を出してエンディングにすることにした。「ここの連中は集団の作業ができねえぞ」。ジョンがにやりと耳うちする。

当日、いかにも悪そうな顔、ひとくせもふたくせもありそうな顔の連中が50人集まってくる。うわ〜、みんな本当に言うこと聞いてくれるの? こまかいルール、音の出し方、基本コンセプト等を英語で説明、それを主催者がフランス語に訳して皆に伝える。飛びかう質問、結構やる気あるじゃん。早速場所取りから始める。いくつかコンサートがあった後、いよいよ本番。オレはただビル内の皆が配置されている場所に行って、音を聴くだけだ。開始時間、いろいろなところから静かにフィードバックが始まる。ビル内を歩くとクラデーションのように音世界が変化していく。アンプのサ〜というノイ ズすらいい具合に音楽になっている。皆言うことを聞かないんじゃないかと心配していた主催者達もすれちがいざまに「サクセス!」を連発していく。実際今まで経験したことのない音世界に、オレ自身が驚いている。すげえ〜。

が、完璧にうまくいったのは最初の20分だけだった。ジョンが心配したとおり、ストイックな演奏に我慢しきれなくなり好き勝手なことをやり出すやつが出てきたのだ。延々とソロをとるやつ、ギターを床に押しつけてジミヘンばりのことをやるやつ…。それに触発されてパンキッシュにはねまわるやつ、あきらめてウィスキーのボトルをポッケから取り出してすわり込む奴。いつのまにかバーのカウンターで女の子としゃべってる奴。オレは笑いをこらえながら歩き回わった。次は何をしでかすやつが現れるやら。それでも半分くらいのギタリストが曲をキープしてくれているおかげで、実のところ、曲自体はまったく破綻しなかった。むしろ面白いバグがそこここで起こって、楽しいくらいだ。

1時間近く経ち皆がひとつの部屋に集まりだしたころには、オレの曲なんて、すっかり消し飛んで、皆サーストン・ムーアやアート・リンゼイ、灰野敬二になりきっていた。あはは、レニー・クラビッツもいやがる。カオス! でも、こんなピースなカオスなら大歓迎だ。なにがおしゃれなパリだ。もうおかしくって大笑いした。わかった、わかった、止めねえから行け行け! やりたいだけやれ! 朝までやれ〜!


Last updated: March 25, 2002