11月3日
秋のロング欧州ツアーも中盤戦にはいる。ロンドンでの数日間の後、オーストリアのウェルス市で行われるフェスティバル"MUSIC UNLIMITED"に乗り入れる。13年目の今回は私の特集が組まれていて、自分自身のいくつかのプロジェクトの他に、私がリスペクトする音楽家が多数集まって、3日間に渡り26もの出し物が披露される。1年前から、準備をはじめ、紆余曲折の末、やっと今日に至った。当初、フェスティバル側は、私のセレクトで、ジョン・ゾーンやフレッド・フリスなんかが続々集まることを期待してたらしい。が、選んだ音楽家が、むしろ最近の私の渋目の好みにことごとく偏っていて、知名度のない人が多かったこともあって、当初はフェスもずいぶんとまどっていたようだ。正直自分でも、この方向でフェスとして成り立つのか(人がくるのかどうか)不安ではあった。蓋をあけてみれば大入りで、杞憂の必要もなかったのだか。おまけに私自身も、このフェスで初めて演奏するバンドや、作品がいくつかあって、めずらしくロンドン滞在中に、不眠症になるくらいナーバスになっていた。今までヨーロッパで自分が作ってきたイメージみたいなもんに安易にのりたくなかったし、この何年かでGROUND-ZEROの解散も含めて、自分の変化をはっきりと示したいという意図もあって、力がはいりすぎていたのかもしれない。でもそんなこと以上に、今の自分の好みにウソをつきたくなかった。ようは正直に自分が聴きたい音楽家をえらんだにすぎない。いずれにしろ、はじまっちゃえば、くよくよ考える必要もない。到着早々深夜までリハーサルの後、ひさびさにぐっすり寝れた。
11月4日
ぞくぞく皆が到着する。もう緊張してる暇なんてない。ミュージシャン専用につくられた食堂は食べ物ばかりか、ビールもワインものみ放題。初対面の人々もあっというまに打ち解けた。
11月5日
フェス初日。会場には小宮伸二の手による巨大なインスタレーションがいくつも天井からぶるさがっていて、独特のイルミネーションとともに、いい雰囲気を作ってくれている。
まずは私のターンテーブルソロからはじまる。直前にCD-Jが壊れたので、ターンテーブルのみの演奏。それもレーコードはほとんどつかわずに、ターンテーブル上に乗せたシンバルのフィードバックだけで演奏した。いい感触。ここまでくるともうターンテーブルである必要すら、ないような気かする。もしかするとオレはもうじきターンテーブルをやめてしまうのだろうか?
となりの小部屋ONKYO ROOMでは笙の石川高さんのソロ。この楽器そのものの魅力もさることながら、音楽家石川高に私はものすごい興味がある。この人の笙はたんなる伝統の枠にはおさまらない何かがあるように思う。たった一音で空気がかえられるってのはすごいことだ。
2つめは、ドイツ語の朗読と私の作曲で日欧混合の8人編成のユニットで島田雅彦の小説をテクストにした作品「ミイラになるまで」を久々に再演。これまでは私が全面にでて、即興演奏家達を指揮で統率していたが、今回私は朗読者の後ろに隠れて、ミュージシャンからだけ見えるようにして、ほんのわずかのサインを送るだけで、あとは8人の優れた即興演奏家の耳に全てをまかせた。即興を指揮してコントロールするのがいやになったのだ。おかげで前回とはまったく似ても似つかない、恐ろしいくらい静寂でストイックな作品になった。個人的にはいままで数回演奏されたこの作品のなかで、一番気にいった出来になった。自殺者の日記をあつかったこの作品はヨーロッパではかなりの客に生理的な拒絶反応をあたえたようだが、それでも演奏後、オーストリアの2つのレーコード会社からライブのCD化の話がきた。参加予定だったディレク・ベイリーは残念ながら病気でこれなかった。でも今回に関してはそれが吉とでたような気もする。
ONKYO ROOMはオーストリアのなぞのDJタケシフミモトのユニット。編成はビデオとギター、そしてDJ。セット替えの関係ですべて見れなかったが、ミニマルなビデオがすごくよかった。
オーストリアからはミニマルジャズ、というか、テクノというべきか、一度見てみたかった注目のバンド「ラディアン」が出演。まったくアドリブのないジャズ、静かにつきささるエレクトロニクス、ベースもドラムもひたすらストイックにパターンをくりかえす。その音色のゾクゾクするくらいクールなこと。
ONKYO ROOMでは山本精一のソロ。彼の新刊「ギンガ」、よんでない人はぜひよむこと。おもしろくって、かなしくて、深くてサイケな謎の世界観に、酔いしれてしまった。今回も飛行機にのりおくれたりと、本の内容どうりの奇行で登場してくれた。独特なソロの中に彼の世界観が輝いていた。
ラストは海外初演インキャパシタンツ。ファンのビデオが何十台も回る中、大暴れのステージ。まるでプロレスを思わせるステージアクトとは対照的に、その生まれ出る音は、めちゃくちゃ音楽的だ。個人的にはメルツバウは最良のオーケストラに聴こえ、インキャバは最高のロックに聴こえる。今ごろはインターネットで海賊版のビデオコピーがでまわってるんだろうなあ。ジャパノイズの底力をみごと見せつけてくれた。
11月6日
2日目。日中はササキヒデアキ編集のGROUND-ZERO HISTRY 1990-1998の上映。私も山塚アイもみんな若い。篠田昌巳の顔もでてくる。ただひとり植村昌弘だけが今とおなじ顔、洋服だ。5分も見ると耐えられなくなって、会場をでて、またしばらくするとのぞく…なんてことのくりかえし。やっぱり自分のビデオは恥ずかしい。自分では当時のような演奏をする気はもうまったくないが、それでもいい演奏をしていたとおもう。ビデオをリリースしてほしいという意見がずいぶんでたが、う〜ん、どうしよう。
さて今日のオープニングは、空間の多いスピード感ある乾いた音をだすベルリンのインプロバイザーのアンドレア・ノイマン(ピアノの中身を取り出した自作楽器)とアネッタ・クレブス(テーブルギター)の絶妙なコンビネーションにロンドンのコンピュータ奏者カフィ・マシューズの女性即興トリオ。ベルリンの2人とカフィとの間がいまひとつしっくりきてないところがあったものの、独特の音響を生み出しつつあるベルリンの若手シーンへの興味がつのった。音へのこだわりがはっきりと見えるところが気にいった。演奏するだけの、音へのこだわりのない音楽は、私ははっきりと嫌いだ。
ONKYO ROOMはウイーンのAKOASMAことシルビア・フッサーとワーナー・ダッフルデッカーのエレクトロデュオ。コンタクトマイクでガラスの音をひろった音響が部屋中に響きわたる。いい演奏だった。シルビアにはオーガナイザーの顔もあって、今回もいろいろな面ですごい世話になった。ウイーンで世話になっている日本のミュージシャンも沢山いる。そのシルビアがまさかこんないい音楽をつくるなんてみんな想像してなかったんじゃないかな。12月に彼女は日本に来る。寿司でもおごらせてくれ。
カナダのターンテーブル奏者マルタン・テトロとサンプラーのジョアン・ラブロッセのDUO。Filament結成前夜、Sachiko Mや私が一番おおきな影響を受けたのはこのDUOだった。忘れもしない,1997年の春GROUND-ZEROの解散ツアー中にイタリアのボローニア、アンジェリカフェスで二人をみたのだ。ストラクチャーらしきものはほとんどつくらずにテクスチャーだけで耳を開いてくれるような演奏があることを初めて知った。今日の演奏はその時にくらべるとずいぶん分かりやすくなっているようにきこえたが、これはもしかすると私の耳がこの2年で変わってしまったせいかもしれない。いずれにしろ最高水準の素晴らしい音楽だった。マルタンにはこのあと「このままだとおまえはターンテーブルをやめちゃうんじゃないの?」と質問された。彼は、多分私が今なにをやっているのか心底理解してくれている数少ない音楽家のひとりなのだ。私にも彼がなにを考えているのか良く分かる。現実には彼のまわりのケベックのシーンも含めて彼のやっていることを理解している音楽家はおどろくほど少ないのではなかろうか。
ONKYO ROOMは注目のターンテーブル奏者ERIK M。数年前、彼がターンテーブルを始めたころの演奏に私はすごい刺激をうけた。へたくそだったけれど、音がきわだっていたのだ。音に愛情がこもっていたし、音響的だったともいえる。それにくらべて今の彼は、別人のようにうまくなった。それも素晴らしいことだ。演奏も素晴らしかった。でも彼にはもっと先のことをやってほしいと私は思っている。かつての無骨だけれど一音一音をいとおしむように出していた彼と、今の技術がむすびついたときを楽しみにしたい。
海外初演永田一直のアープシンセ・ソロ。テレビカメラが彼にかぶりついていた。まったくの無表情で、淡々とアープを操る彼の姿とその音楽から、まるで恋人を愛するように彼がアープを愛していることが伝わってくる。だれのものでもない永田ワールド。本当に文句なく素晴らしかった。終演後彼が持参した数十枚のCDはあっというまに売れてしまった。彼はもっと注目されるべきだ。
ONKYO ROOMはAMMのキース・ロウのテーブルギターソロ、いつもとは打って変わってノイジーな演奏。さすがに彼くらいになるとなにをやってもすばらしい。貫禄というべきか。
ルーマニアのジプシー・マーチング・バンド「Fanfare Ciocarlia」。ほとんど全てのミュージシャンのセレクトは私がやったが、唯一このビッグバンドだけは、フェスティバルの意向だった。祭りの夜にぴったりの1時間半ノンストップ・ダンスミュージック。さすがに私はつかれはてて30分で楽屋件レストランに退散させてもらったら、ほかのミュージシャンも皆ここでもりあがっていた。ヨーロッパのフェスのいいところはこのレストランでの交流のひとときだったりする。ここで次のなにかがうまれることもあるのだ。連日ロンドンの大物オーガナイザーで辛口批評家でもあるエド・バクスターやキース・ロウ、ギュンター・ミュラー等と冗談とも本気ともとれる議論をかわす。ベルリン組や拓ちゃん、SACHIKO Mは新しい即興についてどうも意気投合してもりあがっているらしい。インキャパと永田チームはものすごい酒量で、高円寺感をオーストリアに持ち込んでくれた。なんだか、いい感じだ。
お祭り騒ぎの直後のONKYO ROOMはSachiko Mのサインウェイブソロ。欧州の辛口の批評家達や雑誌のカメラマン、ボイスクラックやキース・ロウ等ら老練のアバンギャルディストの顔がずらりと最前列に。そういえば今回のツアー中のインタビュウで一番多く聞かれたのは彼女のことだった。こっちの雑誌で賛否両論取り上げられることが多くなり、注目を集めだしているせいか。わずか1音(実際には4音だったらしい)だけで20分、今回フェス中もっともラディカルな演奏はこのソロだった。どんな評が後々出るのだろうか。
すでに夜中の1時。メインステージは日本からNOVO TONO。このバンドも海外初演。山本精一、PHEW、えとうなおこ、西村雄介、植村昌弘。このメンツと一緒に演奏できるのはすごい幸せだ。この何年かで、参加していたバンドも、自分のバンドも全てやめてしまったけれど、このバンドだけは参加していて本当に楽しい。最近でた私のCD「山下毅雄を斬る」のなかでも演奏している「ガンバのバラード」や「ジャイアントロボ」が、オーストリアの会場に朗々と響きわたる。日本語のしかも少し風変わりなポップスが、日本以外でどう聴かれるのか不安がないといえばウソになるが、それでも自分の好きなものをプレゼントするという意図にそって、土曜の夜の一番いいところにこのバンドをいれてもらった。すごいアンコール。不安は杞憂だったようだ。
ONKYO ROOMではタケシフミモト(fromオーストリア)のターンテーブルソロ。別に日本を意識したわけでもないようだが、机をつかわず直接ステージにプレーヤーをセットして正座で演奏するスタイル。針のばちばちいう音だけのいい感じのソロを披露してくれた。
夜中2時半、DJタイム。ウイーンの女性DJ、DJ-EL。めちゃくちゃ美人。でも彼女を選んだのは美人だからじゃない、信じてくれ。昨日のラディアンやウイーンのメゴにも通じるつきはなしたクールさ加減と、気に入らない客がいるとFilamentのCDをまわして、客を追い出してしまう攻撃性が気にいったのだ。5時までやってたらしいが、私はさすがに疲れてしまい早退させてもらった。
11月7日
最終日。AMMのキース・ロウ、杉本拓、私の3人で客のざわめきよりも静かな演奏をするギタートリオ。自分の耳がステージ上で、どんどんひらいていくのがわかる。ロンドン公演同様、ほとんど動かないのに、汗だらけになった。極小の音量の緊張感とどこまでも開かれた自由さみたいなものを、味あわせてもらった。拓ちゃんには、ほんとうに多くのことをおしえてもらった気がする。日本でも数少ない本当の即興ができる音楽家だ。彼が秋山徹次、中村としまるとともに毎月バー青山でゲストをまじえてやっている即興の企画は、のちのち語り草になるくらい重要な出来事だと思っている。
このあたりで自分でもただ単に好みで集めたっていうだけではない、もっと深い意味がこのフェスや人選の中にあることに気づいてきた。多分私は自分の音楽の次を模索するヒントをいつもほしがっていて、それはいつも自分の中からではなくて、だれかの素晴らしい演奏にさらされることでおこる自分の中の化学反応みたいなもんによっておこるようなのだ。今回のフェスでも、おそらく無意識のうちに私はそういう人達を集めていた。結果的に自分自身のアイディアもどんどん明確になってくる。マルタンがいったように、もしかしたら、次に私は完全にターンテーブルないしはサンプリングを放棄してしまう可能性すらある。でもそれは私がJAZZ GUITARに帰ることを意味しているわけではない。JAZZ GUITARは単に私にとって手付かずの領域だってことにすぎない。JAZZをやるのもサンプリング以降の次の何かにいくのも(それはエレクトロニクスを使ったなにかかもしれないし、そうではない実験になるのかもしれないが)、多分おおきな目でみればおなじ現象かもしれないけれど、自分ではこの2つの「過去」と「未来」へのフォー カスがそれぞれどう焦点をむすぶのかはよくわかっていない。ただ自分か本当に好きでやりたいことをつづけるまでだ。いずれにしろ、このフェスにはものすごくインスパイアされた。ここまで贅沢な思いをさせてもらって、私は本当に幸せ者だと思う。もう死んでもいいとさえ思ったくらいだけれど、でも、もう少し生きて音楽をやっていたい。おっと、はなしがそれちゃった。
さて ONKYO ROOMの方はカフイ・マシューズのコンピュータソロだったのだが、残念ながら、煩雑な事務におわれて聴き逃してしまった。
次は80年代から大好きだったスイスのギュンター・ミュラーとボイスクラックにターンテーブル奏者ERIK Mが入ったニューグループ。昨年フランスでみたギュンター、ボイスクラック、メタムキンのセットがあまりに素晴らしかったせいもあって、ついついそれとくらべてしまうと、まだ新ユニットによくあるこなれてなさが見えかくれするが、でもそんなもんは、音楽の大きな流れの中では些末なことにおもえるくらい、大きな音楽だった。うっとりと聴かせてもらった。このへんの動きは、本当に目がはなせない。3月にはボイスクラックとのレコーディングの話も来た。わざわざその話をしにNYの小さいレコードレーベルの人がきていたのには驚いた。
次のONKYO ROOMのソロが素晴らしかった。中村としまるのミキサーだけのソロ。不思議な音楽だ。ミキサー内のフィードバックを使っていながら、独特の柔らかい世界。やはりこれも彼にしかできない音楽だ。ほとんど無名に近い彼にジャーナリストの注目が一斉に集まった。彼のような音楽家の演奏の場が東京で少ないのが残念でならない。
私の新バンドNEW JAZZ QUINTETもいい演奏をしてくれた。私はほとんどエフェクトも通さずにフルアコのみで押し通した。JAZZという古いフォーマットの中にも私にしかできないことがあるはずだ。普段はJAZZの世界にいることの多いメンバーも、この3日間の新しい音楽体験で、以前よりは耳がひらいてきた演奏をしてくれた。どうやら最初一歩が踏み出せたようだ。
ONKYO ROOMは杉本拓とアネッタ・クレブスのギターデュオ。片づけにおわれわずかしか聴けなかったが、この2人なら文句無く最高水準の即興をきかせてくれたと思う。
フェスティバルのラストは、HACO、八木美知依、SACHIKO Mの女性バンドHOAHIOがキュートで感動的な演奏でしめてくれた。昨春のフランス、ミュージックアクションでもそうだったが泣いているお客さんまでいる。さんざん難しい音楽のあとの脱力した感じが、かえって効果的なのかもしれない。アンコールの拍手が何度も何度も会場に鳴り響いた。
以上キューレイトをした私の目から見た意見なので、好意的すぎたかもしれないが、これでもだいぶ控えめに書いたつもりだ。気づいた人もいるかもしれないが、キューレイトの骨格は札幌で2年前に行われたNOW MUSIC FESTIVALをかなり参考にさせてもらった。このフェスティバルもすばらしかった。この時のマルタン・テトロ、SACHIKO M、大谷安宏と私のライブ盤「FORE FORCUSES」の中に見られた萌芽が、確実に開花し、さらに次の種を生み出そうとしている、そんな感じだった。多くのフェスが同じ顔ぶれで、なんとなく保守化している感がいなめないなかで、さすがに私もフェスそのものに大きな幻想はもういだいていない。ただ、大好きな音楽にかこまれて贅沢な3日間をおくらせてもらったことにとっても感謝している。本当はポストモダンのスター達が大好きなオーガナイザーのウォルフガングが文句ひとついわずに、私の選んだスターではないひとたちを受け入れてくれたことに心から礼をいいたい。
PROGRAM
5th NOV (FRI)
6th NOV (SAT)
7th NOV (SUN)
5th NOV
6th NOV
7th NOV
"the history of GROUND-ZERO" 1990-1998
edited by sasaki hideaki
original videos by numayama yoshiaki, sasaki hideaki, ikunishi yasunori, and takeuchi ganseki
INSTARATION
komiya shinnji / wolfgang bretter
PRODUCER
MUSIC UNLIMITED/wolfgang wasserbaure