東京地方はやっと梅雨あけです。とはいえ、いまいち煮え切らない感じで、かつーんとくる、スイカの旨いあの暑さが恋しい。
え〜、夏好きの44歳になったばがりの大友です。10年以上前に中国の占い師に、あなたの人生は濁流の中を逆に歩むような人生だけれど、44歳になったら成功するから…と言われたのですが、う〜ん、どうなんだろ、これ。これまでも、別に濁流ってこともなく、なんだかふらふらと来てしまったし、44歳の誕生日に目が覚めると、枕元に1億円…みたいなこともないし、ただこの1年間は、家賃に困った月ゼロ…という、この10年の中でも画期的な状況なので、これをもって成功と考えれば、ま、いいのかな。いわゆる「お仕事」みたいなことをせずに、好きなことだけやって、旨いもん食って生きてるんだから、これ以上望んだら贅沢ってもんですよね。中国の占い師さん。
え〜と、久々の「聴く」の連載です。4月にツアーをしたマルタンについて、デレク・ベイリーなんかのこともからめつつ3回にわけておおくりします。なをマルタンは11月に来日の予定。
今回は映画の音楽について書く予定でしたが、マルタン・テトロとの欧州ツアー中にいろいろと思うところあって、即興演奏とイディオムについて書きたくなりました。この内容はいずれ前回書いた映画と聴取の問題につらなるものです。そんなわけで映画の話に入る前に、しばらく道草させてください。
この4月、わたしはケベックのターンテーブル奏者マルタン・テトロと欧州ツアーを行った。16日間で15コンサート。今はこの手のきついツアーは受けないことにしているのだけれど、マルタンだけは別だ。というのも彼との演奏はいつもなんらかの発見があって、辛い思いをするだけのことはあるからだ。
彼はもともと美術の人間で、レコード盤のコラージュをしているうちに音もコラージュしだした挙句、音楽の世界に入ってしまったところはクリスチャン・マークレイとよく似ている。僕等はすでに10年以上前にそのクリスチャンを通じてお互いの存在を知っていて、当時は2人とも慣れない英語で文通をしたりしていたのだけれど、実際に会うことになるのは95年、カナダでのことだ。その頃の彼は、切断してつないだレコードを使ってつなぎ目のぶちぶちいうリズムを全面に出して、ぎくしゃくしたビートを出しつつ生楽器奏者も加えて、すでにクリスチャンとはまったく別の、お洒落なアバンギャルド・コラージュ・ミュージックを作っていた。
しかし彼が、その化けものぶりを発揮するのは、彼が自身の作った方法を完全に捨て去った97年のことだ。忘れもしない、イタリアのボローニャ、GROUND-ZEROのラスト・ツアーの最中に、彼と同じケベックのサンプラー奏者ジアン・ラブロッセと彼のDUOを見て、わたしは腰が抜けるくらいの衝撃を受けたのだった。このとき彼はほとんど演奏にレコードを使わなかった。多少は使ったけれど、その中の音楽はほとんど使わずに、ひたすらカートリッジが拾うありとあらゆる音を利用していた。レコードのプチプチいう音は無論のこと、ターンテーブルのモーター音や、レコード盤の代わりに紙ヤスリのようなものを使って、ひたすらがさがさビービーいうだけの音を演奏していた。ジアンのほうも、マルタンの音をサンプリングしたような、極めてストイックなガサガサいう音だけ。あえて言えばノイズ・ミュージックに近い音の選択なのだけれど、いわゆる「ノイズ」とは何かが決定的に違っていた。まずパワフルだったりアナーキーな感じがまったくない。かといって、いわゆる即興やフリージャズのような展開ややりとりはほとんどない。まったく盛り上がらないし、淡々と接触不良の音みたいな、あるいは機材がこわれたような音だけが出続けているのだ。むろん会場ではほとんど彼等の演奏は理解されなかったみたいで、お客さんの反応も形式的な拍手だけだった。ブーイングするような嫌悪ももたらさなければ、パシッとくるような通常の音楽の持つカタルシスもない。ただ、その場にいた、少なくとも私とSachiko Mだけは、震撼するといってもいいくらい感動して、しばらくは動けなかったほどだ。これがその後 Filamentの音楽に至る最初のステップだったのだけれど、それについては別の機会に書きたい。
この演奏のすごさを、当時は言葉にすることが出来なかった。ただ何か今までにない新しい事態が起こっていて、それは私にとって感動するくらい素晴らしいものだってことが分かっただけだった。当時わたしはどこかの雑誌に、彼等の演奏について、レコードの中の音楽というメモリーを一切使ってない、カートリッジの音だけをクローズアップした音楽…みたいなことを書いたかもしれない。無論それも重要なファクターだった。でも今考えると、そういうことが問題なのではなく、一番根幹にあった私の感動を呼び起こしたものの正体は、音の質、あるいは音のテクスチャーのようなものだけで音楽が成立していたことだったように思う。マルタンはこのとき、「音を並列にならべて音楽を構成していくのではなく、垂直に存在する音だけを考えて即興している…」みたいなことを言っていた。
もう少し分かりやすく説明しよう。音質や音のテクスチャーのようなものだけで、あるいは垂直な音だけで即興演奏が成立している…というのは、どういうことなのだろう。これを考えるには、まずは音楽というものが、どのように聴かれ、どのように認識されるのかということから考える必要がある。たとえば、通常演奏するにあたって、出した音が音楽として成立するためには、その音が前後のつらなりの中で、ある音楽的な意味を持つことが必要で、これを言葉におきかえれば、やや乱暴な例だけれど、「い」と一音発した場合、前後の文脈がないと言葉としては機能しづらいばかりか何語かすら見えないが、これが「どこが痛いの?」という質問の後だというのがわかれば日本語で「胃」だとすぐ分かるし、「胃…がしくしく痛くて」となればさらにその意味は明確になる…みたいな感じで、実は音楽も前後の文脈の中で、音がある音楽的なボキャブラリーの中に組み込まれて理解されているのが通常なのだ。例えばピアノが「ミ」の音を一音出しても、それは了解不能だったりするのだが、前後の音程やリズム、あるいは他の楽器との兼ね合いの中で「ミ」の音の意味が見えてくる…みたいなことが瞬間瞬間に起こって、これを演奏者と聴き手、あるいは踊り手が共有することで、ある音が、どんな種類の音楽か了解され成立するというのが、通常僕等が「音楽」と呼ぶものの正体だ。この場合、音楽は時間軸の中の並列的な音の並びを中心に認識されることになる。したがって、一音よりも、あるまとまったフレーズが認識されることが、この場合重要だったりするのだ。ところが、マルタン等がやったのは、このあるまとまったフレーズが認識されることを徹底的に排除することだったのだのだ。排除することによって、並列にならぶ音から音楽を認識する聴取の仕方を断ち切ろうとした。結果的に私たちの耳にあらわになるのは、瞬間瞬間の音の質感、テクスチャーのようなもので、これを彼は垂直な音と呼んだのだ。
それがどういうことか、なぜそんなことをはじめたのかについては、また次回に。