Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記別冊 連載「聴く」第22回

消失と君が代 2回

音楽を強制するなんて、国歌を歌ったり演奏することを、それを望まない人に強制するなんて全体国家のすることだ、と思っているわたしは、四半世紀ぶりに再会した古い友人、高校教師のOさんが、君が代伴奏拒否をして、見せしめ人事で飛ばされてしまった…という話に驚いたこと、そして、それを切っ掛けに、あえて「君が代」の伴奏のみをクローズアップした「 ミ ヨ」という作品を飴屋法水の展示の音楽としてつくった…という話を前回書きました。

ところで、わたしは小中学校の音楽の時間が大嫌いでした。その嫌いさかげんは、半端ではありませんでした。まさか自分が音楽の仕事につくなんて、当時はまったく思えませんでした。わたしは小学校3年のときに横浜から福島に転校しています。横浜時代の学校では、音楽の授業は、あそびみたいな感じで、みな適当に地声で歌ってわいわいやってる感じだったのですが、たまたま転校したさきの学校は合唱コンクールにも出るようなところで、音楽の授業では、みながまるでウィーン少年少女合唱団のように澄んだ発声で、しかも常識では考えられないようなにこにこさで歌っているのです。ここでわたしは転校早々地声で歌って大失敗、以後クラスメイトから音痴のレッテルをはられ音楽の時間は常に嘲笑の対象になってしまいました。

一番苦痛だったのは歌のテストです。みなはわたしが地声で音痴に歌うのを楽しみにしていました。今なら皆の笑いをとる大チャンス…なんて考えられるのですが、当時10歳だったわたしには、そんな発想はまったくなくて、結局わたしは歌のテストのときに、いつも口をつぐんでいました。それまで活発で友達も多かったいわゆるクラスの人気者だったわたしは、このあたりから家に閉じこもる、協調性のない、友達の少ない少年になっていきます。

「音楽を強制する…」ということに過敏に反応するのはそんな過去の経験があったからかもしれません。国歌どうこう以前に、歌いたくもない歌を歌わせられるというのは、地獄のように苦痛なものです。その地獄を味わせてくれた音楽の先生が、今度は教育委員会だかなにかに、やりたくもない伴奏をさせられて、いやな思いをしているってのは、考えようによっては、ちょっと皮肉な話でもあるんですが、さすがに、もうあれから35年、音楽の先生にも、音楽の授業にも、なんの恨みもありません。それどころか、こんなことがあったとすら、今回の事件がなかったら思い出さなかったかもしれません。

さて、その音楽の先生のOさんが、友人の同じく音楽の先生達をつれて、わたしのライブを見に来てくれました。いずれも、君が代の伴奏をせずに、処分され裁判を起こしている先生達です。会場は前述の飴屋法水の展示「バ  ング  ント展」をしている六本木のP-House。演奏したのは、石川高の笙とSachiko Mのサイン波による「 ミ ヨ」とわたしのギターと飴屋さんが作った拍子の見えないメトロノームを2台つかった「ギ ー ロ」の2曲。前者は君が代が雅楽だった頃の伴奏をモチーフにした作品。後者は、君が代の音符をばらばらに並べ替えて、そのひとつひとつの音に単独にギターで伴奏だけつけていく作品。どちらも伴奏だけで、主旋律はなく、しかもばらばらに解体しているのでもとが君が代だったことは、まったくわかりません。
君が代の伴奏で出処分まで受けた3人の先生達は、これをどう聴いたんだろうか? 演奏が終わったあとすこしだけですが彼等と、話をしました。そこで、彼等から、君が代裁判支援のコンサートをやろうと思っているので、参加してくれないか…という提案を受けました。

わたしはある時期以降、政治集会の類に、それがどんなに正しい内容であろうと、音楽で参加することはやめています。政治のコンテキストの中で音楽を聴かれたくないからです。

当日は、そのことを話す時間が充分になかったのと、彼等のやっていることは、政治集会なのか、それとも音楽そのものの問題なのか、自分でも判断がつかなかったのでいただいた資料や本を読んでから返事をおくることにしました。

その返事のメールが以下のものです。


先日はわざわざお越しいただきありがとうございました。

あの日のライブは自分の中でも5本の指にはいるくらいいいライブだったという確信があってそんなわけで、あの日の演奏を聴いていただいてとっても光栄です。

手渡された資料読ませていただきました。やはり学校の現場で「君が代」がある種の踏み絵になっているんですね。非常に重たい気持ちと同時に不愉快な気持ちになりました。

わたしは音楽はかならずしも演奏家の『ココロ』とむすびついているとも思っていないですし、ある人にとっては苦痛になるようなものでも音楽になる…と思っているような人間です。学校で教えている「音楽」というものにも実はこれまでほとんど興味がありませんでした。逆に多分教科書を見たら、揚げ足をとりたくなるような人間です。実際学校の音楽の授業は小学校から高校を通じて大嫌いでまさが自分が音楽家になるなんて当時は考えてもいませんでした。

ただ、だからこそと言うべきか、人間がやりたくもない音楽を強制されることがあってはならいと強く思っている人間でもあります。

わたし自身は実際の学校の現場を知らない立場ですし、裁判そのものになんらかの発言ができるとは思えませんが、ただ、音楽を強制する…というようなことがあっていいとは断じて思いませんし、ましてや「国歌」のような位置づけの歌を強制的に歌わせる…というのは全体主義国家のすることだと思ってましたので、そういうことには音楽家としてではなく、まずは一都民として反対したいと思います。わたしは日本に限らず全体主義というものには真っ向から反対ですから。

その上で@月@日、もし、わたしになにかできることがあれば参加したいと思います。この日は空けておきます。

ただ具体的にどうするかまだ判断がつきません。というのは、わたしの音楽は音楽そのものの中にシンプルな言葉に置き換えられるようなメッセージが込められているわけではなく、むしろそういうものとは対極にあろうとする音楽だと思っています。先日の演奏にしても作ったわたし個人の動機はともかく、実際の音は君が代に対するYes Noを明確に出すのが目的ではなくむしろ見方によって、聴く人の見る角度によってまったく異なる意見や感想がでてくるような作品だと思っています。見方によっては君が代の美しさを極限まで引き出したと見えるかもしれないし、逆にグロテスクさがあらわになったと見るかもしれないですし、君が代をただの音列という数字みたいなものにまでして、 意味を剥奪しようという試みとみることも可能でしょうし、いや、そもそもまったく君が代と無関係だともいえるわけで、そのどれもが正解で、でも、どれもひとつの答えだけでは不正解だと思っています。いや、そもそも正解も不正解もない。あの場にいた人たちがあの音を共有した…という事実以外はだれにもなにも分からない…あるは分かるという類の受け止め方ではない聴取の可能性のようなものをみつめたいと思っています。ですからあの作品にかぎらずですが、わたしの作るものというのははっきりと言葉に出来るようなある意見を表現しているというふうにとられないような具体的な結論をもたないような、そういうものを常につくってきています。

なので、この演奏会で仮に演奏するとしてもその音楽が、あることを支持している…というシンプルな構図はつくりたくないと思っています。ですから裁判の無罪を勝ち取るための音楽はわたしにはつくることが出来ませんし実際、そんな音楽はこの世に存在しないとも思っています。

じゃ、わたしになにが出来るのか。このへんを○○さんと一緒に考えられればと思っています。

その上でステージ上でわたしに出来ることがあれば喜んでなにかやらせてください。

具体的な内容については○○さんと■■さんの間のコンセンサスがとれたうえで、わたしに参加する余地があればよろこんで考えたいと思います。

こんな感じで双方の意見交換をしながら、やるやらないを含め内容をきめていってもいいかと思います。

必要あれば、このメールのやりとりを会場で配るパンフみたいなものなんかで公開してもいいかなとも思っております。

とりいそぎ資料を読んだ感想まで。状況が悪化しないことを願って

大友良英


Last updated: October 19, 2005