Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記別冊 連載「聴く」第14回

「ミュージシャンはステージで何を聴いているのか その2」

私と共演経験のある20名以上のミュージシャンに「あなたは、ステージ上で演奏中に何を聴いて(聞いて)いますか?」という質問をメールでしてみました。どの答えも削ったりするのは不可能な、ミュージシャンがステージ上で感じている真実、あるいはそうあるのではないかと本人が推測する真実です。なのでこの連載では内容に一切手を加えずに3〜4回に分けて、回答をそのままを載せることにします。

今回はその2回目。ステージでもっとも肉体に近い楽器「声」を使い歌を歌うミュージシャン。もっとも肉体と遠い電子楽器を使うミュージシャン。そして通常の楽器を演奏するミュージシャン。それぞれが独特の視点をもって答えてくれています。


Phew (VO, electronics)

メロディーとリズムを同時に表現できるベースとドラム(ドラマーにもよりますが)のキックしか聞いていません。


Haco (VO, multi-instrumental)

会場の規模や演奏形態にもよるのですが、ステージ上ではだいたいにおいて擬似的な空間の響きを聴いています。モニタースピーカーからの音も含めて、客席とは違ったバランスなんだろうなと思って聞いています。かつ、会場に向けたPAスピーカーの客席からのはね返りや、空間の鳴りや、聴衆のざわつきも同時に混ざっていて、頭の中にはもう一つの仮想空間ができていてる感じです。そういう響きの中で音楽しているかんじです。じゃあ、肝心な楽音はどうなるのかと言われそうですが、"響き" という点では等しく含まれていますね。それは車に乗った時に、風景が目の前に現れては、瞬時に背後にいってしまうように、その瞬間、瞬間の "響き" の少し前か少し後を意識的に聞いているような気がします。私は歌うのですが、聞いているのは自分の肉声じゃありません。マイクで拾って増幅された空間の響きにほかならないのです。エレクトロニクスで演奏する時にも同じことがいえます。小さな会場でもやはり小さいなりの空間の響きというものがあり、それに演奏中はかなり作用されます。その "瞬間" のわずかな前に頭の中で鳴らすということも時々ありますので、それは実際は音にまだ出ていないですけど、"聞いている" とも言えますよね(笑)。 けっきょく、耳で "聴く" だけじゃなくて、こめかみや骨や皮膚や足の裏まで身体全体で響きを感じているのだと思いますね。


Sachiko M (sine waves)

何も聴いていないのかもしれない。空気吸うのと同じように、ただ音を体全体で受け入れているだけというか。ソロでも他人との共演でもあえて音を聴くということをしなくてもいい時ほどいい演奏である場合が多い。音は音だし。所詮。


天鼓 (VO, guitar)

即興演奏について答えます。

何を聴いているかと言われれば、実は、何も聴いてないなあ。聴くという作業じゃなくて、その場の空気を、どのように感じ取るかという作業をしているかんじ。だから、もしかしてある日、耳が聞こえなくなっても、最悪、見ることができれば、演奏はできると思ってます。

大友くんの質問は、多分、どのように聴いているかということではないかと思うのですが。もしくは、音の何を聴いているか、とか? どのように聴いているかというのは、私の場合は、音の中にいるようにしています、というか、音の中にいてしまう。魚座ですねえ。魚は水の中にいて、泳ぐには水を意識しない。その中の一部と化してしまう。つまり、一部となってしまえれば成功。人の出す音をただ聴いてしまうと、水辺に立ってる感じで、飛び込むのはたいへん。音の何を聴いているかという質問ならば、エネルギーの方向? もしくは、そのクオリティ。音ではあるんだけど、音として聴いてはいない。ひとつの音が出たときに、すでに山ほどの要素がその中にある。リズム、メロディ、楽器の性質、演奏者の状態などなど。音の中の真実、真相の中から、自分がその瞬間に意味づけられるものを探す。私にとって音は、たとえば、そよ風だったり揺るぎない岩であったり、どくどくと流れる血であったり、喜怒哀楽であったり、天使であったり悪魔であったり、テーブルの上のリンゴであったり.....(実際にステージ上でそれらを思い浮かべるわけではありませんけどね)。それがどんな物語になるのか、どんな彩色をされるのか、誰も知らない。自分の音も含めて、それがどこへ向かえばいいのかを瞬時に掴み出すのが(私にとって)即興の面白さ。同じ音は二度とないわけで(時間が経過すれば同じ音とは言えない。たとえ電子音でも)、無限の可能性の中から、たったひとつをピックアップするスリルが好きで即興を続けていると言えるかも。

 

山本精一 (VO, guitar)

即興演奏のときは、自分の出す音、共演者の出す音を聴くのは当然ですが、なにかそれらが交わり合って出来上がってくるんでしょうか、自分達が出してる音とは全く別の次元で鳴ってるような、そんな不思議な音が聞こえてきませんか? ぼくはその音をずっと聴いていたいです。

普通のうたものをやるときはもっぱら必死でモニターで、自分の声を聴いています。でもやっぱり即興のときよりかは確率はひくいけれど演奏している曲とパラレルなかんじで、すこし別の場所でなりたってゆくような奇妙な秩序を感じることがあります。曲だとか、楽器の鳴りだとかを超えたもっと大きな何か? そんなの幻聴なんでしょうか?


田中悠美子(唄、義太夫三味線)

演奏してる時のことを思い出して書いてみますと…

○ 昔やってた正式な古典の場合は、共演者(浄瑠璃を語る人)がいるので、自分の三 味線の音と語り手の声を当然聴いていますが、もっともよく聴いているのは、語り 手の「気」(これは「聴く」というより「感じる」ですが)や、語りのストーリーの世界における登場人物の心の声、自分自身やお稽古してくれた師匠や弾いている三味線の「声なき声」でしょうか。ホールで演奏するようになって、お客はとてもお行儀がよくなり、彼らが発する音はほとんどきこえてきませんが、彼らの声なき声がきこえてくる場合があります。

○ 現代曲の場合は、ソロなら当然自分の音、共演者がいれば相手の音や気も含めて聴きますが、譜面を視ることがほとんどなので、音符がすでに発している音、譜面の意志(作曲家の意志)を聴いて、自分の音を重ね合わせている…という感じです。ホールで演奏することがほとんどなので、お客はお行儀がよく、音響が良いにもかかわらず彼らが発する音もあまりきこえてこない。気は感じますけど。以前、高橋悠治さんの儀式的な曲で、神の声なき声が聞こえてきたこともありました(笑)。

○ 即興は、自分の音、共演者がいれば当然相手の音も聴きますが、相手の「気」をやはり感じてたりします。最近は、相手の音をわざと聴かないようにすることもあります(はやりですかねえ?)。PAする場合がほとんどなので、しゃーっという音とかも始めのうちは聴いていますが、そのうち演奏の音で気にならなくなり、演奏が終わったあと、またしゃーときこえてきますよね。あと、ソロでは自分の心の声もきいてますが、最近、静かで隙間の多い音楽をやってるので、自分の楽器の倍音や噪音、静寂に耳を凝らしてます。ただ、この手の音楽の場合、いくら集中していても聴衆の発する音や気がきこえてしまうのでけっこうやっかいです(笑)。それも音楽のうちなんですが…。その点、録音してる時は、ヘッドフォンをつけていると「しゃー」とかいってたりしますが、ギャラリーがいないので、自分が演奏している「空間の音」(なんじゃそりゃあ)もきこえてきます。

○ 以前、ノイズバンドの中で演奏してた時は、爆音および共演者や聴衆の発するエネルギーに飲み込まれて、スタジオ録音の時以外は結局何もきこえてなかった(笑)。そのほか、「キッチン・ドリンカーズ」(2004年ボックス出版予定)というカヴァーバンドの形態(笑)を取っているユニットは、それなりにお客さま参加型バンドなので、彼らのノッテル音やかけ声、拍手などおもしろいです。

日頃から何を聴いているか考えずに演奏してるので、このぐらいしか思いつきません。


芳垣安洋 (ds, perc, tp)

ステージの上の音だけでなくその場で聞こえるものはわりと皆聞いています。ただ音楽を構築するために必要なものに意識を向けるようにする必要があると感じて、特定の音に意識を向ける事もあります。


竹村ノブカズ (computer)

共演者がおられる場合は、自分の音より相手を聴こうとしています。が実際は相手の音に魅かれればひかれるほど、冷静でいられなくなり必要以上に音を発しがちで、ちゃんと聴けていない自分に気付きます。

一人の時は、出している(出てしまった)自分の分身を追って(聴いて)いる感触です。海外ではオーディエンスの反応が敏感なので、客席から聞こえる雑音と共演している気持ちになることもあります。

どういう時も、道具が生楽器でない場合は、体で直接振動を確認するのが難しい為、ミリセコンドというごく僅かではありますが、スピーカーから戻ってくる音の遅れに、自分の過去のような、死骸のような、影のようなモノを常に聴いていています。


一楽儀光 (perc, ds)

いろいろ考えたあげくごく当たり前な答えになってしまいましたが私の場合は、「耳に入ってくる音」を素直に聴いていると思います。

ただ最近、耳に入ってくる音と演奏を直結しないようにしています。音がトリガーになってしまうのを避けたい気持ちが在るからです。(昔は聴覚と演奏の距離をどうやって無くすかを考えていましたが)なるべく耳に入る音と自分の音に距離を置きたいと思っています。聴くことと音を出す行為の距離を大きくすることにより経験や技術ではなくリアルタイムな思考で音が出せるのではと思っているからです。


Last updated: January 29, 2004