こんにちは。すっかり秋になっちゃいましたね〜。ソウルからもどってきて1週間だけ東京にいます。この間にビル・ラズウェル、芳垣安洋と3人で録音したアルバムの編集、
中村としまる、Sachiko Mとのトリオのミックス、Emergency! の新作の録音をあげなくてはで相変わらずへろへろの毎日です。いずれも年内から来年初頭には発売予定。
今回は2ヶ月ほど前に書いて配信し忘れてた「聴く」の10回を。実は11回ももうあがってますが、フリー・ペーパーのplan B通信にも載せているので、そっちが10月頭で出てから、配信します。
次回は多分ドイツからJAMJAM日記を。ではでは。
前回の内容は、レコードを使わずに、ターンテーブルやカートリッジの持つノイズや接触不良音等の音の質、あるいは音のテクスチャーのようなものだけで音楽が成立しているマルタンのライブに接して衝撃を受けたこと(1997年のことだ)。その演奏は「音を並列にならべて音楽を構成していくのではなく、垂直に存在する音だけを考えて即興する…」ことによって成り立っていること。さらにそれは、あるまとまったフレーズが認識されることを徹底的に排除することよって、並列にならぶ音から音楽を認識する聴取の仕方を断ち切ろうとした結果であるという話をした。
今回は、それが具体的にどういうことなのかを私自身のまとまらない思考のままに蛇行しつつ話していきたい。
ある音楽のフレーズというのは、時間の流れに沿ってあるタイミングなり、ある音程や音色の関係性なりを提示することによって初めて認識されるものだ。前回も説明したとおり、それは言語によく似ている。例えば、「か」と発音しても、前後の関係の見えないところでは、それが言語なのか、どんな意味を持つのか他者には認識できないが、「かき」と発音すれば、日本語であることや、アクセントによっておおよそ「柿」なのか「牡蠣」なのかが見えてくるし、話の前後の脈絡から「かきの営業時間は…」と連
なれば「夏季」だったのか…といった具合に見当がつくものだ。同様に、音楽のフレーズというのも、その人が過去に経験してきた音楽体験を無意識のうちに参照して、前後の脈略から理解しているのが普通だったりする。
これを逆から考えてみるとどうなるだろうか。「かき…」と発音せずに、ただ「か」とだけ発音してみる。当然言葉としてはすぐに認識することは不可能になる。したがって聞き手のほうは、相手の話につきあうのを放棄するか、あるいは、それがどういう意味なのかをイチから考えなくてはならなくなるわけだ。これを音楽でやるとどうなるか。フレーズとして認識されるような音を出さずに、ただある音を投げ出してみたとする。聴き手のほうは、そこからフレーズなり、音楽的な文脈なりが読み取れない場合は、それを音楽として聴くことを放棄してしまうか、あるいは文脈の中で音楽を聴く方法とは別の聴取方法を探し出すしかなくなる。マルタンが意図したのは、まさにこのことなのだ。
前回も書いたように、97年当時のマルタンの即興は、音色こそノイズ的ではあったけれど、いわゆるノイズ・ミュージックが持つような音圧によるカタルシスもなければ、ノイズ・ミュージック的振る舞いもなかった。かといって即興とよばれるような音楽ジャンルにある語法や、ジャズ的、あるいはロック的なやりとりや起承転結もない。ステージで演奏しているから「コンサート」の文脈にはなるのだけれど、かといって、これまでのどのタイプの音楽の文脈にも置きにくい、悪く言えばどこにもはまらない中途半端なものにすら聞こえかねない代物だった。だから客席の反応もいまいちだったのだ。だが、そこで起こっていたことは中途半端なものなどではなく、確信に満ちた出来事だったのだ。
この時、私がすぐに思い出したのは、デレク・ベイリーのレコードを初めて聴いた時のことだった。70年代後半、当時住んでいた福島のジャズ喫茶で、入ったばかりのベイリーのソロ(なんと当時はビクターから日本盤がでていた)をリクエストしてしまった時のことだ。このとき私には彼の演奏がまったく理解できなかった。すでにフリージャズを聴きだしていたにもかかわらずだ。要するに、当時のフリージャズ的な文脈では、ベイリーの起承転結もなければテーマもない、とらえどころのない演奏を理解することが出来なかったのだ。それもそのはずで、当時ベイリーがやろうとしていたのは、簡単にいってしまえば、当時存在したどんな音楽のイディオムにもたよらずに即興演奏は出来ないだろうか…という試みで、これまでの音楽の文脈を感じさせたり、暗示させたりするような演奏を細心の努力で避けつつ演奏していたのだ。
具体的にはどういう方法だったのか…以下はあくまで私なりの分析だけれど…ベイリーは演奏の中に中心点が生まれることを注意深く避けつつ演奏していたのだ。たとえば拍子というのは1拍目の音が分かるから初めてカウント出来るのだけれど、この「1拍目が分かる」というのは、その音楽の文脈なり語法を知っていて初めて可能なわけで、ベイリーの始めた即興には、その手の過去に経験してきた音楽の文脈が見えないために拍子という概念がほぼ完全に消失している。そんなのはフリージャズもそうじゃないかという反論もありそうだが、そんなことはない。フリージャズには完全にそれ以前のジャズからつらなる語法が影響していて、あきらかに拍子、あるいはそれに近いものが感じられて、その範囲の中で演奏されている。たしかにビバップのように、はっきりと全員が一致した拍子をきざんでいるわけではないが、大雑把にはビートが存在するし、当時の多くのフリージャズには明確な起承転結があって、それ以前の音楽の文脈で理解可能な要素でほぼ構成されていたといっても良い。
これは和声についても同様で、多くのフリージャズがある種の中心をもつ和声と言えるようなトーナリティを維持していたのに対して、ベイリーはこの部分でも過去の文脈からほぼ決別していた。むろんギターという和声楽器を演奏する以上、その音はなんらかの音程を示し、なんらかの和音を鳴らすことになるのだけれど、前後の文脈的なつながりを極力避けることによって和声の中心点を作ることを回避しているのだ。出鱈目に演奏したからって、そうなるものではないことは演奏してみればすぐにわかる。それでも何年か経つにしたがってベイリーのように即興をする…という文脈が出来上がり、ひとつのジャンルのようになってしまったのだが…これについては次回に。
マルタンの演奏した97年当時は、ノイズ・ミュージックというジャンルもとっくに確立していたし、ベイリーのような即興演奏も充分に歴史的なものになっていて、今更何をやったところで、どのみち何らかの文脈の中に置かれるだけだ…という空気があった時だ。そんな中で、マルタンは充分にどの文脈にもはまらないような音楽を演奏した。それは、ただ機械の発する、本来なら機材のノイズでしかないような音を選んで、それをノイズ・ミュージックのように誇張して演出するわけでもなく、まるで接触不良音をランダムに投げ出してるようにすら聞こえた。
マルタンもベイリー同様、時間軸に沿ってある音楽の文脈が見えてしまうような演奏を注意深く避けていたのだけれど、しかし、ベイリーと大きく異なるところがあった。すでに充分に語法の定まったギターという楽器でどう「即興演奏をするか…」という視点でこの難解な方法に取り組んだベイリーに対して、マルタンの場合は、彼が持ち込んだ古いターンテーブルから出てしまう半分はコントロール不能の音を前に「どう演奏するか…」という視点ではなく、あるいは「どう聴かせるか…」という視点でもなく、もっと突き放したような、演奏者本人が「この音はこんな風に聞こえるのか」という発見を維持するような、音の響きかただけに聴取の焦点がいくような演奏を試みた…とでも言ったらいいのだろうか。ベイリーが文脈に置かれない演奏をイディオムを回避することで 実践しようとしたとすれば、マルタンの場合は、まずは演奏という要素をなるべく廃し、音の響き方のバリエーションだけを無造作に投げ出すような方法を取ったと言えるのではないだろうか。さらに言えば演奏者が演奏によって難解な問いを解く姿をステージに乗せるのではなく、演奏する人も聴く人も等しく同じ聴衆として同じ音を聴きながら、いくつもの異なる聴き方を聴き手自身が発見するような音楽。私にはそう思えたのかもしれない。そして、そのことにものすごい可能性を感じたのだ。ではなぜマルタンはそんなことを? なぜ私は可能性を感じたのかという話は次回へ。