今回はJAMJAM日記別冊「聴く」の連載第1回ですが、その前に雑談をちょっと。
先日副島輝人著『日本フリージャズ史』(青土社)を入手しました。あまりの面白さにあっという間に読了。60年代、東京文化の中心が銀座で新宿が文化的には辺境の地であったこと、だからこそ新宿がフリー・ジャズ勃興の中心地になったなんてみなさん想像つきます?
もうずいぶん古い話になりますが、10代の頃わたしは福島のジャズ喫茶で 副島さんの手による8mmドキュメンタリー『ドイツ・メールス・ジャズ・フェスティバル 78』というのを見ています。デレク・ベイリーやハン・ベニンク、ブラクストンなんかが出ているフィルムでしたが、わたしはその内容はほとんど覚えていませんし、もしかしてちんぷんかんぷんだったのかもしれません。それでも、上映後、わたしは副島さんに何か質問をし、それにものすごく丁寧に答えて下さったのだけははっきりと覚えています。今となってはどんな質問だったのかまったく思い出せないのですが。
その後も副島さんとは現場で何度となくお会いしてきました。若造だったわたしには常にあたたかいアドバイスを、実際に音楽家として活動するようになってからは、厳しい批評家の視点をいつもぶつけてきてくれました。時には東京のライヴ・ハウスで、時には欧州のフェスティヴァル会場で。わたしが初めてお会いしてから今日に致るまでの25年間、副島さんは、常に現場の人であり続けています。ここまで現場に長期間にわたり、絶やす事無く足を運び続けた評論家はわたしの知る限り副島さんと清水俊彦さんだけです。この一点においてわたしは副島さんを支持出来ます。生意気をいえば副島さんには『日本フリージャズ史』を書く資格があると同時に、現場にいた証人として、これを書くと義務があるとわたしは思っていました。
残念ながら、わたしと同世代の即興やフリー・ジャズ関係の評論家のほとんどは90年代後半を境に現場で顔を見かけなくなりました。現場に来なくなった批評家が、見てもいない最近のわたしのことを書いているのを発見すると背筋が寒くなる思いです(正確にはものすごく腹が立って、ぶん殴ってやりたいくらいだ!)。「だって現に面白くないじゃない」。ある人はわたしにそう答えました。わたしのことではなく、今のシーン全体に対してです。少なくともわたしがこういう音楽にかかわりだしてから一度だって、東京から面白いミュージシャンがいなくなったことなんてないと思っています。固定したCDと異なり、現場で起こることはいつだって不十分で不完全だけれど、輝く何かの宝庫でもあります。ほんの数人しか客の来ない東京の若いミュージシャンのライヴで、欧州の強豪が列挙して出るようなフェスにでても十分通用するような音楽に出くわすことだってあるし、しょうもないたれ流しの即興の中に、今の世代が切実にやりたい何かを見つけることだってあるわけで、そう考えると、クオリティはともかく、いつだって新しい出来事はそここで起こっていると思っています。わたしが現場が大好きなのはそういう発見があるからです。自身の感受性の疲弊を音楽の現状のせいにしてとまでは言いたくないけれど、少なくとも音楽について批評なり文章を書く以上、その音楽にココロをときめかせていてほしいし、さもなくば、それについてなぜ何かを書かなくてはいけないのか、わたしにはさっぱりわかりません。そういう文章を前に徒労を感じた時に、ちょうど読んだのが、この『日本フリージャズ史』でした。この本の最大の良さは 副島さんのココロのときめきが、音楽を語る大前提になっているってことで、だからわたしは、まるで面白い物語を読むかのように読了してしまったんだと思います。人生が変わるくらい70年代の日本のフリー・ミュージックにココロをときめかせていたわたしには、この本は本当に素敵なプレゼントでした。
音楽を好きになることと恋はそっくりだと思うんだけどおっとっと、なんかちょこっと書くつもりがついつい長くなっちゃいました。
え〜と、他に最近読んだ本で深く深く考えさせられたのは、スーザン・ソンタグ『この時代に想う テロへの眼差し』(NTT出版)。これについては、とても今は感想なんて書けないけど、機会があったらぜひ読んでほしい本です。
では連載「聴く」1回目です。
「聴く」という行為と音楽の関係を少し整理して考えたいこれがこの連載を始める第一の理由だ。無論、自身の創作の糧になればと思ってのことだが、わざわざ文章にするのは、そのことによって、リスナーがわたしの音楽を聴く際の手助けになればいいとも思うし、もうひとつはマイナーな現場でやや流行語的に語られ、時にそのことによって不当な反発すら買うことになってしまった日本生まれの「音響」なる言葉に対する私の態度を明確にしておきたいという気持ちも含まれる。
この言葉が使われ出したこと自体は、単なる流行や新しいジャンルを示す言葉などではなく、音楽史の上で必然的なものだと思っている。菊地成孔が5月より音楽美学校で始める「商業音楽理論」講座概略の中でわかりやすく指摘しているのでそのまま引用させてもらう。
「音響」もしくは「音響派」という言葉を御存知だと思います。90年代の終わりから現在に至るまで、流行現象のようになっていますが、これは単なるモードに属する現象ではなく、20世紀音楽史の終了から21世紀音楽に向かう中継地点である現在に於ける、必然的かつ重要なムーブメントのひとつなのです。
とはいっても、じゃあ音響的な音楽って何? と聞かれても、漠然としか答えられない方も多いと思います。「音響的」という考え方は、総ての音楽の聴取の仕方に対して「どんな音楽も、メロディーやリズムや歌詞や様々なファクターである以前に、総ては音響情報の塊なんだ」という、フラットな状態にリセットする規模を持った概念として重要なのです。「小説や取扱説明書や手紙である以前に、総ての文章は視覚的記号だ」といった考え方と似ています。
とはいえ、これは音楽を形成している二大概念の片側からの視点なのです。もう片側である概念を、ここでは「音韻」とします。以下略
菊地の講座は主にこの「音韻」に焦点を当てるもので、概略の冒頭であえて「音響」を持ち出してきているのは、そもそも音楽は「音韻」と「音響」という別々のパラメータで見たり、聴いたり、分析することが可能で、実際には、どちらか一方だけで成り立つことはなく、両者は不可分な関係にあるという前提を示すためだ。したがって、ここでまずわたしが明確にしておきたいのは、わたしがあえて「音響」なり「音響的」という言葉を使う時は、音楽のジャンルやある音楽のスタイルを示しているのではないということだ。それはその音楽がどういう文脈や態度で創られているかを示す場合もあるし、リスナーが音楽の何に焦点を定めているかの態度を示す場合もあるし、従来どおり客観的な音の現象を扱う用語として使う場合も出てくるだろう。音響派と呼ばれることの多い音楽家の多くが「音響派」と呼ばれくくられることにははっきりと抵抗を感じるのは上記の理由によるものだ。とにかく今回の連載では、このへんについてはなるべくあいまいにならないよう注意しつつ進めたい。
先ほど音楽史の上でと書いたが、そう書くと、ならなぜ「音響」が日本だけのローカルな概念でしかないのかという反論が来そうなので、先手を打てば、まず全ての用語は初めはローカルなものでしかなくて、西洋から来た用語や概念だって所詮は、初めはローカルな概念でしかなかったはずだ。実際には欧米語圏でも「エレクトロ=アコースティック」とか「リスニック」という言葉で、これに近い概念が同時発生的に流通しているし、日本のこうした現象は「ONKYO」という用語で紹介され、そのままこの言葉が「KARAOKE」のように流通しているのだが、現時点では日本語の「音響」も含め、双方で互いにいい訳語を見つけられずにいるのが現状だ。それともっと大切なことを書けば、わたしがここで言っている音楽史というのはロマン派から現代音楽へみたいな西洋ローカルの進化論的な音楽史の話ではなく、20世紀を通じて音楽の授受方法がメディアによってなされるようなったという巨大な変化を大前提とした音楽史の話なのだ。各ジャンル内で起こっている音楽進化それは主に音楽家による音韻の更新と複雑化を進化と呼ぶ歴史でもあるの歴史絵巻ではなくて、音楽をわれわれはどう聴いてきたのかという歴史の中で「音響」という言い方が出てくる必然をわたしは感じている、という話だ。
前提が長くなった。次回からは、概念論的な話ではなく、わたしの日常と創作にもっと即した形で、実感してきたことを中心に、時に脱線や道草をしながら「聴く」について、あれこれ考えてみることにする。