大友良英
今回は、個人的に書き溜めていた原稿から未発表のものを。昨年3月のブッシュ政権によるイラク攻撃の際に、JAMJAM日記でも配信した「戦争と日常と」という文章を受けて昨年の秋の選挙前に書いたものですが、発表する機会を逸してました。それからさらに半年以上が経過しているので、さらに内容を書き加えて配信します。
前回「戦争と日常と」という文章を書いたのは、アメリカがまさにイラクを攻撃した2003年の3月のことだった。世間も、私自身も多分気持ちがたかぶっていて、同時に無力感も感じていて、だからあんな文章も書いた。あの時、この戦争は長引くだろうと思った。実際アメリカが早々に戦争終結を宣言したにもかかわらず、現実には1年以上たった今も戦争が終わったようにはとても思えない。それどころかパレスチナも含め事態は悪化しているとしか思えない。空爆やら地上戦、あるいは首都陥落といったような、ニュース・バリューのある、映像的にも「面白い」出来事がないと、僕らはすぐに戦争のことを忘れてしまいがちだ。デモにしても、この手のニュース・バリューのある事柄に対しては反応しやすいし、一定の効果も出せそうだけれど、戦争が日常化、恒常化したときには力を発揮しにくくなる。たとえば、今反戦のデモをしても盛り上がるだろうか? わたしはここでデモには意味がないと言っているのではない。こういう場合のデモは絶対に必要だ。しかしデモが効果的なのは、戦争の華やかさと対になっているからだということを言いたいのだ。問題は、戦争が華やかではなくなったとき、つまりは今現在の反戦をどうするかだ。こっちのほうがよっぽどやっかいだ。なぜなら、それは地味すぎて盛り上がらないから。人間は盛り上がらない事柄には、なかなか反応しないものだ。
なぜ前回「戦争と日常と」というタイトルにしたかと言えば、それは無論、「日常」の生き方そのものが戦争に対するアンチになっているべきだ…という意味もあるのだけれど、それだけではない。戦争はむしろ恒常的にあって、テレビ的に、新聞的に派手にとりあげられないだけのことだ。僕らはメディアに出ないような事柄はいとも簡単に無視してしまいがちだ。そういう中で、恒常的に続く戦争、あるいはそれに近い不条理なものに対して、実際に戦場にいない僕らは、どういうスタンスをとるべきかを考えたかったから、ああいう書き方をした。前にも書いたことをもう一度ここで引用する。
「どうせ戦争はなくならない…」という意見があることも知っていますし、それは多分本当なのかもしれませんが、この手の無力感は、わたしは好きではありません。僕らは無力かもしれないけれど、自分で生きたいように生きたいと思う意志を持っているわけですから。数年前に「音楽は武器のように人を殺せないから美しい…、音楽家に出来るのは無力に音を出すことだけだ」と書いたことがあります。わたしはここに来てこの確信をますます強くしています。日々の食事を作るように、1000枚しか売れないCDを出し続けるように、自分も決して腕力にはならないような無力な音楽をつくり続けていこうと思っています。わたしのような意見は実際の戦争や暴力の抑止には直接的には役立たないのかもしれません。それでも個人個人の無力な生活が世界をつくっているような世の中を夢見る自由は失いたくないなと思っています。(『戦争と日常と』より)
昨年の3月テレビから流れる戦争の映像を前に、無力感を感じながらも書いた文章だが、今ならもう少し積極的なことが出来るかもしれないと思っている。それは反戦のCDを出すといったような派手で見栄えのすることではない。もちろんそれもいいけれど、私はなぜか乗れなかった。そういうことではなくて、わたしが選択したいのは、もっと積極的に、非生産的な音を、安易な美的方向に向かわない音を出し続けること。そしてそんな音を出すことを私個人の生活の基本にすることから考えよう…という、なにか漠然とはしているけれど、でも、はっきりと信念と言えるような態度で生きていくことだった。
その上で具体的な提案をしたい。
もし昨年3月のあのとき、アメリカのやっていることにあなたが憤りを感じ、たとえばデモに参加したり、参加しないまでも反戦について思うことがあったなら、今この時期にあなたは何をすべきかといえば、わたしの答えは極めて地味で、「次の国政選挙に行くべきだ」と答える。応援したい候補者なんてひとりもいないかもしれない。でも、戦争を支持した政党の候補者を落とすために選挙に行くべきだ。わたし一人が投票したって…って思うかもしれないが、半分もの人が選挙に行ってない現実を考えてほしい。この半分の人々の中の3割の人が、ある意思をもって投票に行くだけでも、ずいぶん違うと思うのだ。頼りなさそうな回答だけれど、こうしたことの積み重ねと、あなた自身の継続的な生き方の中からしか、しぶとい反戦運動は出てこないのではないか。国会承認という手続きを経ずに自衛隊を多国籍軍に参加させてしまうような暴挙をおこなう自民党と公明党が次の選挙で勝ってしまったら、僕らはブッシュ政権のやってきたことを容認することになってしまう。
もうひとつ、わたしが日本にいなかったこの数ヶ月の間に著作権法改悪のとんでもない法案が自民党と公明党の賛成多数で通ってしまった。詳細はすでにご存知の方も多いと思うが、この法案をそのまま使えば、場合によっては、これまでのように自由に輸入盤CDを購入することが出来なくなってしまう。中国からの海賊盤被害をなくすためと銘打ちながら、実は国内レコード会社の目先の利権を保護するための、とんでもない悪法だ。自分のほしい音楽を簡単に買うことが出来なくなるかもしれない法律…こんなものは暴力と変わらない。失礼きわまりない下品な悪法だ。詳細はネット等でぜひチェックしてほしい。この法案も自民党と公明党の多数決で通ってしまった。こんな横暴をほっておいたら、とんでもないとになる。このひとつをとっても国会に選出された政治家やら、役所の人間が文化や音楽についてどう考えているかがわかるというものだ。こういう人間達に好きにさせておいたら僕らの居場所なんてなくなってしまう。前にも書いたが、以下にいくつかサイトを書いておくのでぜひ参照してほしい。こんなやつらを落とすためにもやはり選挙に行くべきだ。
幸い、これらのサイトにもあるとおり、小野島大さん他数多くの音楽関係者、音楽ファンが動いたおかげで、法案阻止は出来なかったものの、13項目の付帯条件が法案につくことになった。このことを私は評価したい。たとえ法的には無力に近いものでも、横暴な政治家やレコード会社の都合の良いようにだけはさせないぞ…という意思表示と、一定の抑止にはなったと思うからだ。しかし問題はこれからで、この法案がどう使われるかを僕らは常に監視しなくてはならない。少しでも表現の自由にかかわるような、おかしな使われ方をしたときには大声をあげるべきだ。無力な人間にだって大声をあげる権利はある。