Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJMA日記番外編

香港、中国、そして台湾〜ディクソン・ディの挑戦、その1〜

大友良英

ども〜 大友です〜。

先日もお伝えしたとおり、JAMJAM日記はさしあたり『はてなDIARY』のほうに移行、1月4日より毎日書いております。ブログでの日記のほうが即応性があって手軽にパッとアップできるので、とりあえず、そっちのほうで日記を毎日アップしつつ、こちらでは、planB通信に連載している「聴く」をはじめとする、各種文章の配信、それからコンサートやCD,映画の案内、そして『はてな』のほうにアップした日記を短縮版にして時々配信…という形をとりたいと思います〜。「はてな」のほうでは2週間後にせまったPIT INNでのフェスの速報を中心に、いろいろ書いていきますので、そちらのほうもよろしくです。あ、ちなみに『はてな』のほうは写真をアップできて、なんか非常に楽しいせいもあって、これ書くの毎日寝る前の楽しみになってます。

PIT INNのフェスについては詳細を下につけておきます。20、21を含む4日間以上来た人には未発表の80年代のわたしのソロCDR+おまけCDを。20、21を含む3日間来てくださったかたにはCDをプレゼント。詳細は追って発表しますが、とりあえずスケジュールは下につけておきます。ぜひぜひいらしてくださ〜い。

ってことで今回は韓国レポートにつづいて中国語圏レポートです。


彼、ディクソン・ディと初めて会ったのは今から15年も前1990年香港でのことだ。わたしは東京でさほど音楽の仕事もなく、年の内3ヶ月くらいは香港に行っていた。まだバブルの頃だったからバイトで小金を稼いでは、当時香港に住んでいた妻の家に転がり込むという暮らしぶりで、飯はうまいし、物価もそこそこ安くて、おまけに東京であったいろいろ煩雑な事情からも逃れられるとあって、格好の逃げ場だったのかもしれない。せっかく香港に年中行くのなら、向こうの面白いミュージシャンともなんかやってみようと思って、音楽雑誌に出ている「雑音音楽」や「地下音楽」の文字を手がかりに、それ系のCDをあつかっているCD屋を見つけ、そこにあったカセットの連絡先からいろいろな人にコンタクトをとってみた。最初に出会ったのが、『音楽一週』という雑誌のライター達で、そこからノイズをやっていたXperXrの情報を得たり、インディーズのバンドをやっていたAnsonを知ったり。で、『音楽一週』主催のインディーズのライブに香港のベーシストとドラマーで、当時東京でやっていた私のバンドGROUND-ZEROの香港版をつくって出たりもした。当時の香港には、この手のバンドがいなかったこともあって、見に来ていた人たちの多くは「?」だらけだったと思うのだが、それでもわずかだけど、この音楽にピンときた人たちがいたのだ。

ほどなくヘンリー・クォックというわたしと同世代の男性から連絡があった。CDレーベルをつくるので会いたいという。で、彼といっしょに現れたのが当時まだ20歳そこそこだったデイクソンだった。2人ともあのコンサートのとき客席にいたのだ。僕等は夜中までいろいろな音楽の情報を交換しあった。彼等もすでにノイズ系の音楽情報はかなり持っていたしで、僕等はすぐに仲良くなった。それからわずか数ヵ月、彼等は「SOUND FACTORY」というレーベルを立ちあけ、あれよあれよという間に私の最初のリーダー・アルバムやXperXrのアルバムをリリースしたのだ。91年当時、香港ではこの手のアルバムは当時非常に珍しかったのと、彼等が熱心に欧米に輸出してくれたおかげで、このリリースが欧米で活動の場を得る大きな切っ掛けになった。当時まだイギリスの植民地だった香港は、税金の安い自由貿易港としての地の利を生かして、中国と外を結ぶ貿易で栄えていて、特に個人貿易が非常に盛んだったのだ。彼等もそのノウハウを生かして、人口600万の香港内でのCD販売はそこそこにしておいて、最初から輸出に力を入れた結果だった。僕等3人は、これを切っ掛けに香港でのコンサートを一緒に企画したり、その後わたしが手がけることになる中国や香港映画のサントラをリリースしたり、生涯の友人と言えるような関係になる。この頃は本当に頻繁に香港に行った。しかし時代の流れはいろいろないたずらをするもので、その後ヘンリーとディックの運命は大きく別れることになる。

最初ヘンリーのサポーターの青年だと思っていたディックは、実は当時からこっそり音楽もつくっていた。PNFの名義で手作りカバーのカセットを何本もリリースしていて、しかしそれはほとんど販売されることなく、主に友人にプレゼントするためにつくられていた。内容は、轟音のノイズもあれば、コラージュやフィールドレコーディングもあった。まるで彼の日記のような内容で、それをもらうのがいつも楽しみだった。福建省の奥地の住む90歳を超える彼の祖父が、「おまえのやってるような音楽ならオレでもできるぞ」といってドラム缶を叩きながら歌ってるトラックなどは絶品だった。そのカセットがジョン・ゾーンの目にとまった。ほどなく彼のファースト・アルバムがゾーンのTZADIKから全世界に発売、この中には彼の祖父の演奏も入っていた。この時彼はアーティスト名のPNFでも、香港名のDickson Deeでもなく、中国語名「李勁松(リ・チンシン)」を選んだ。当時香港でヘンリーとともに音楽ビジネスを生業にしていた彼にとって、香港で皆が知っている名前でリリースすることに抵抗があったのも事実なのだが、それ以上に、これから香港が中国に返還される…という時期に、香港の人々が、どこの国に自分のアイデンティティを帰属するかで大揺れに揺れていた時期に、あえて彼が中国名を使ったという選択にはそれなりの意味がある。母方はフィリピンに住むスペイン人と中国人の間に生まれ、父方は中国生まれの福建人、彼自身も幼少の頃は香港ではなく福建で育ち、中国の標準語である北京語と両親の言葉である福建語を話し、少年期に越した香港で広東語を覚え、香港で育った彼にとって、どこのサークルにアイデンティティを置くかは、わたしのような日本育ちの日本人と違って、自明のことではなく、自ら選択するもの、大袈裟に言えば勝ち取っていくべきものなのだ。彼はこれから香港が呑み込まれていく「中国」の中での生き場所を見つけなくてはならなかった。あの名前にはそういう意味も込められている…とわたしは思っている。しかし、彼は単純に中国に身をあずけるような選択をしたわけではない。これについては次回に詳しく書く。

一方のヘンリー・クォックは、革命のあった中国上海から逃れて香港に住み着いた裕福な家庭に生まれ育っていて、広東語と英語を自由に使い、イギリス植民地としてのフリーポート香港にアイデンティティを持っている人間だった。インディーズやノイズの可能性と香港の国際化を夢見た彼は、1997年香港の中国返還と前後して、SOUND FACTORYの経営に行き詰まり、強い失意と失望を抱き、音楽業界から去っていった。彼にとって香港が中国に呑み込まれていくことは恐怖でもあったのだ。それとは対照的に、中国返還と前後して、水を得た魚のように活動を開始したのはディクソンのほうだった。まずは自分自身で「SONIC FACTORY」というレーベルを立ち上げ、中国本土のオルタナティブな活動をするアーティストを次々リリースすると同時に、「NOISE ASIA」の名前で欧米や日本のノイズや音響、アバンギャルド、現代音楽、フリー・ミュージック等のCDを中国本土に輸入、雑誌やWebでさかんに、これらの音楽を紹介しだした。彼にとっては、香港が中国になることは、自分自身の浮いたアイデンティティを再獲得するチャンスだったのかもしれない。その後彼は光州、北京、台湾と活動の場をひろげていくのだが、それについては次回に。


1月19日(水)〜23日(日)
OTOMO YOSHIHIDE's NEW JAZZ FESTIVAL
新宿PITINN 電話 03-3354-2024
http://www.pit-inn.com/shin_p/navi_s1.html

1月19日(水)
●OTOMO YOSHIHIDE'S NEW JAZZ ENSEMBLE
plays Eric Dolphy「Out to Lunch」:
大友良英(g)、アクセル・ドゥナー (tp / from Berlin)、津上研太 (as, ss)、アルフレート・ハルト (ts, b-cl / from Seoul)、マッツ・グスタフソン (bs / from Stockholm)、Sachiko M (sine waves)、高良久美子 (vib)、水谷浩章 (b)、芳垣安洋 (ds, tp)

1月20日(木)
●アクセル・ドゥナー (tp)、井野信義 (b) DUO
●アクセル・ドゥナー (tp)、大友良英 (turntable)、Sachiko M (sine waves)、大蔵雅彦 (reeds) Quartet
●コル・フラー (p / from Amsterdam)、秋山徹次 (g)、マッツ・グスタフソン (bs) Trio
●コル・フラー (p)、大友良英 (turntable) Duo

1月21日(金)
●アルフレート・ハルト (electronics)、杉本拓 (g)、吉田アミ (vo) Trio
●マッツ・グスタフソン (bs)、大友良英 (turntable, g )、Solo & Duo
●大友良英作曲作品:芳垣安洋 (perc)、Sachiko M (sine waves)、伊東篤宏 (optron)、大友良英 (turntable)、宇波拓 (computer)、中村としまる (no-input mixer)

1月22日、23日(土、日)
●OTOMO YOSHIHIDE'S NEW JAZZ ORCHESTRA:
大友良英 (g)、アクセル・ドゥナー (tp)、津上研太 (as, ss)、アルフレート・ハルト (ts, b-cl)、マッツ・グスタフソン (bs)、青木タイセイ (tb)、石川高(笙)、コル・フラー (p)、Sachiko M (sine waves)、高良久美子 (vib)、水谷浩章 (b)、芳垣安洋 (ds, tp)
スペシャルゲスト:カヒミ・カリィ (vo) 他、特別ゲストあり

19日、20日、21日:各3,500円 / 22日、23日:各4,000円 / 5日間通し券:16,000円
新宿ピットインにて、チケット前売りおよび予約受付中


Last updated: January 11, 2005