インタビュワー:武政英穂
音楽を始めた頃、それから即興演奏と音響工作を始めるようになったあたりの話を伺います。
「音楽を始めた頃」のことと、「即興演奏と音響工作を始めるようになったあたり」のこと。両方とも「現在の自分がやっていること」から随分離れているという気持ちが強いので、ポイントとなる事柄だけ、手短かに説明したいと思います。自分が過去からどのような道を辿ってきたか、というようなことは、ふだん全く考えません。その必要も感じていないです。
音楽を始めた頃の話としては、楽器を手にしたのが遅かったことがポイントだと思います。ベースギターが初めての楽器で、20歳過ぎでした。徐々にではなく、急激にいろいろな情報に接することになりました。
友人の劇団で音の制作を手伝ったりしているうちに、シンセサイザー、シーケンサーやマルチトラックレコーダーを使った、今で言うDTM的な作品を自作するようになりました。私は若い頃から現在に至るまでポップスの愛好者ですが、自分の中にはポップスの資質はないと、この頃からすでに認識しています。
ソロパフォーマンスを人前で行うということを30歳のころから始めており、当初はいろいろなことを試みた記憶がありますが、間もなく「全くの即興で演る」ということを決め、さらに「主にベースギターを弾く」という形になってきました。
昔の話というものは、これくらいで十分ではないでしょうか。
現在のベースの演奏スタイルはどのようなきっかけで始まっているんでしょうか。
ボリュームペダルでゆっくり立ち上げたベースギターのロングトーンを、タイムの長いディレイに供給していく。供給の継ぎ目が判りにくいように繰り返して、シームレスなドローン風サウンドにする、というのが、現在の自分の演奏における中心的なスタイルです。これは、思いついたことをいろいろと試すうちに辿り着いた手法です。
時おりエフェクターが増えたり減ったり、マイナーチェンジを施すことはありますが、基本的に同じセッティングで、同じスタイルの演奏を長く続けています。その理由は2つあります。
ひとつは、この演奏が自分に対して問題提起をしてくるためです。演るたびにいろいろ発見がある、飽きない、いまだに面白い、などの言い方を全て「問題提起」と言ってしまっていいと思います。このセッティングは、演奏と出音の関係や、演奏の中での呼吸について考察することを求めてきますし、重畳するディレイ音による微分音ハーモニーや、倍音構成や定位の不可思議な変化は、自分が予期しないものとの対話のようです。また、調性感/無調感および拍意識の揺らぎや、持続音によるドラマツルギーの構築/放棄など、即興行為の立ち位置の問題として考えさせられるところも多くあります。
もうひとつの理由は、時に表現の探究が、スタイル更新への執心にすり替わってしまう危険性を感じているため、自分はスタイルというものに対して慎重に接しているということです。ただ、それでも変わっていってしまうもの、変えざるを得ないものはあると思います。
現在の演奏家としてのtamaruさんを見ていると、音響的なアプローチよりも、演奏家としていかに強い表現ができるかという部分と向き合う部分が大きいように感じます。
未知なる音のテクスチャーを知覚することが、自分の中に未知なる情感を喚起する、それが私にとっての「音響的なアプローチ」です。私には、その領域で出す音と、その領域を含むさらに広い領域で出す音があるのでしょう。いずれにしても自分のチャレンジとしては、心地いい音やユニークな音を出すというところで終わらない行為が当然だと思っています。
私は音楽において、「聴き手にどう感じてほしいか」ということ以前に、「自分が何を感じ、どうありたいか」という部分を凝視しており、特に即興演奏の場においては、それが顕著になります。また、録音作品においても「自分にとって何かしら力が感じられるものを作りたい」という意識が強くあると思います。その結果として、聴き手に「単なる心地いい音やユニークな音に触れたということ以上のもの」を受け取ってもらえたら嬉しいですが、それらは全て「結果として」しか成せないと考えています。
tamaruさんの演奏を「アンビエント」と呼ぶ人もいますが、その呼称は否定されていますね。
はい。その理由は今の話の中ですでに述べたことになります。
聴き手としての自分は、ブライアン・イーノのアンビエント作品を頻繁に愛聴しています。しかし、いわゆる「自称アンビエント系」ミュージシャンの音楽にはほとんど関心が持てませんし、「ヒーリング」「癒し」といった類の音楽には嫌悪感しか持てません。
自分の演奏の問題として直面しているのは、精神的にエッジが立ってないと、自分がなぜこうした音楽を演っているのか分からなくなってくる、ということです。こういう音楽は生活のために演るわけでも、他人に求められて演るわけでもない。演奏する必然性が自分の中にしかないので、誠実な姿勢や緊張の維持に欠けたり、あるいは手慣れや手順としてこなしてしまうと、どんどんエッジが丸くなって、結局演奏への意思が希薄になっていくと思います。その貧弱さは聴き手にも伝わってしまうでしょうね。
ライブを録音しているところを見たことがありませんが、自分の演奏を録音して聴き返すことには関心がないですか。
関心薄いですね。たまたま演奏会場や主催者が録音してくれることはありますけど、自分自身としては、ライブを録音して聴き返すことは多くないです。まず、記録を集める気持ちがないし、習慣的に何となく録ってしまったものが溜まっていくのも好きじゃない。いつも演奏の場に持っていく機材を極力減らしたいと思っているので、録音の準備も負担に感じるし、「演奏前に録音ボタンを押さなきゃ」というのも結構気が散るんですよ。
そもそも、ふだん家でこういう音楽をあんまり聴かないんです。家の居間で聴くのはほとんど普通のポップスで。それが理由として大きいんじゃないかな。
即興演奏のレコードはライブの録音を集めて作られてるものが多いですね。録音してみて結果が良ければ、それをまとめてレコードにするといったことも関心がないですか。
自分だったら、たぶんそういう制作プロジェクトとして、あらかじめ発表を意識したライブ録音を企画すると思います。ライブのついでにCDが出来ちゃった、というのは気が進まないです。
CDリリースでも、自分が興味の持てる音の実験、例えば、気持ちいいシーケンスを聴きたいからシーケンスだけを収録したCDを作るとか、そういう動機でCDにする感じで。やっぱり自分が強く希求しているものでないとダメなんですよ。自分のライブ演奏については、演奏し終わった時点でその希求が解決していることが多いわけですから。
演奏に自作のスピーカーを使ったこともありますね。オフ・サイト閉店直前のライブでのスピーカーユニットが下向きで紙筒が上に伸びているユニークな物や、別の会場ではウーファーを納めたスーツケースを会場の後ろにセッティングしたり。
いろいろ試行錯誤として行なう実験の一環ですね。自分が経験を積んでノウハウを整理し、結果が判っているシチュエーションだけではなく、結果がよく見えないようなことの中にも自分の身を置いてみるということです。気軽に、というか臆せずにいろんなことを試すようにしたいですね、これからも。
自作のスピーカーなどはハイファイではないということは判っているし、単にいい音を求めるならば既製品の方がいいわけですが、思いつきを形にするという一種のわがままの中で、ああいうものを作りながら何かを考えていたり、探ろうとしているところもある。結局、自分との対話なんです。
横川理彦さん、杉本佳一さん、大蔵雅彦さん(2003年脱退)の3人とinstallingを始めた経緯を聞かせてください。
ソロとしての音楽制作だけでなく、他のミュージシャンの才能に触発されながら作り上げていく経験をしたいと。ただ、それまで自分の周辺では、他のミュージシャンとの出会いがどうしても即興演奏のセッションを中心としたものになりがちだと感じたので、もっとじっくりとしたプロセスを踏まえた音楽の共同制作を、パーマネントメンバーで演りたい、という発想で始めました。
デジタルベースのサウンド環境の中で、身体をもって楽器を奏でることの意味を捉えつつ、新しい表現ができたらいいなと思っていたので、メンバーは、楽器奏者としてのオリジナリティとサウンドクリエイターとしての資質を両方持っている音楽家、という視点で選定し、参加してもらいました。
音楽的には、即興余地の広い作曲作品をベースに、拍のズレを大きく許容したり、雅楽のように横に伸びる時間軸の中で、即興演奏の瞬間をストレッチしていくようなことを考えていました。
どういった経緯でHEADZからinstallingのアルバムを発表したのでしょうか。次のアルバムの曲は作っているのでしょうか。
付き合いのあるところもないところも含めて、私の方からいくつかのレーベルにリリースのオファーを出したところ、佐々木敦さんが興味を持ってくれました。installingの音楽は、自分の音楽以上に多くの人に聴いてほしいと思っていて、そうなると自主で出すのではなく、認知の進んでいるレーベルから出した方がいいだろうと考えました。
メンバー間では、2枚目を出すためのミーティングもすでに行っているので、時期は未定ですが制作予定です。どういうものになるか、まだちょっとわかりませんが、私自身は「演奏の良さ」について、1枚目以上にいろいろと思うところがあります。
以前お話を伺った時に、ライブも録音もなければ、その間楽器に触ることはないと聞いて驚きました。毎日でも楽器に触れたいという演奏家も珍しくないですし、3日離れるだけで不安になるという演奏家もいます。楽器に触れる喜びやそこで得られる発見が演奏家としての活動につながっているケースも珍しくないんじゃないかなと思います。tamaruさんは自身の演奏をそういったものと意識的に切り離しているのかなとも思ったんですが。
まず、いわゆる練習はしないですね。自分の演奏手順の精度や運動神経の機能を高める、という意味での練習はしませんし、それを積めばお客さんに対してより良い演奏を聴かせられる、という風にも思っていません。ただ、ライブの前日か当日早めに、エフェクターなど電気仕掛けのものがきちんと動くかどうか、それだけは家でチェックしておきます。そういう時に、気がつくとベースギターをひとしきり弾き続けている、ということはあります。それは手の喜びというか、楽器を愛でている感じです。
ひとつ付け加えると、installingの演奏にはある程度の構成があるので、これは本番までに少し練習しておきます。
楽器に触れるということについては、家が広くないので、ふだんは楽器や機材は収納してしまっているという状況が大きい。私は音楽と関係ない仕事で生計を立てていますし、日常生活と演奏活動の密着度は希薄だと言っていいでしょう。
それでも、ライブの日程が近づいてくれば、やはり何かそこに向けて高まってくるものがある。あるいは録音制作についても、ふだんの生活の中で、何かテーマにつながってきそうな、モヤモヤとした思考をじっと見詰めていることがある。それを大切にしている、という説明しか出来ませんが。
質問の内容に戻りますと、私の場合は「楽器に触れる喜びやそこで得られる発見」を自分の演奏から意識的に切り離すということはしていません。そして、生活の中でそれらに日常的に接してもいませんが、今のところ支障はないようです。
2006年には21回のライブをやられていますね。今の演奏スタイルは、思いついたことをいろいろと試す過程で辿り着いたということですが、ライブの機会が多い現在は、そういった発見は本番に求めるという感覚でしょうか。
ライブ本番とは限らないですね。ライブ本番で、新しいアイディアにつながる何かを思いつくこともありますが、そういう時もまず頭の中でひらめいているので、実際にそれを試すとどうなるのか、ということは家で検証します。その際には、自分の生活の中で、音楽に対する興味が優先され、収納してある楽器や機材を引っ張り出してくる、ということになります。
ライブでのコラボレーションについて伺います。コントラバス奏者のスズキケンタローさんとの即興デュオでは、スズキさんが空白の多い演奏を始めてからtamaruさんはベースを構えたまま10分以上音を出さなかった。それを見ながら「もしこのまま最後までtamaruさんが音を出さなくてもデュオとしての演奏が成立するのではないか」と感じました。
それはおそらくケンタローさんのソロ演奏です。ステージには2人で出ていて、彼に先に演ってもらい、10分ほど経ってから私が加わるという打ち合わせがあったのだと思います。即興を演奏する人の中には、無音・空白を強調する人もいますが、私はそういうことは演らないです。
私が即興デュオで演奏する場合は、いわゆるダイアログな即興ではない、相手との反応・呼応の応酬ではない感じで演っています。もちろん相手の音は耳に入ってくるのですが、反応を形作ることでひとつの絵にしてやろうという創作行為ではない。といって、相手を無視して音を出すのでもない。相手の音を「聴くこと」と「聴かないこと」の中間ぐらいのところで捉えているんですよね、うまく言えませんが。
ビデオアーティスト、映像作家、影絵といった、映像分野のアーティストとのコラボレーションでは、どのようにやりとりを進めて、また、どういったことを意識しますか。
映像作家との事前の打ち合わせというのは、ほとんどありません。だから、今の即興デュオの話とほぼ同じことが言えるわけで、すなわち相手の映像を「視ること」と「視ないこと」の中間ぐらいのところで捉えている感じです。
一般的な映画・ドラマなどの場合は、悲しい場面に合わせて悲しげな音楽が挿入されたりするので、メッセージの伝達としては判りやすく効率的でしょうけど、その時その場で新しいものが創出されるという可能性は極めて少ないですよね。ある種の方向づけというものが、表現の世界をすごく限定的なものにしてしまう。それは慎重に排除したい、そういう考えです。
シンバルで即興演奏することもありますが、tamaruさんにとってベースという楽器は絶対的な位置付けでなく、ベースの演奏で培ったものがあれば、楽器を他のものと置き換えることも難しくないということでしょうか。
絶対的な位置付けというのはないですが、今弾いているベースギターが自分に馴染んでいて、この楽器による演奏を前提に発想していることが多い、ということだと思います。
楽器はあまり変えたくないですね。それは、インタビューの最初の方で述べている通りです。シンバルを演奏したりというのは、先ほどの自作スピーカーの話と同様、「いろいろ試行錯誤として行なう実験の一環」で、これも前述の通りです。
1040と1050の2つの自主レーベルについて聞かせてください。
リリースは95年に1040で出した自分のアルバム『meiousei』が最初です。その後は吉田アミさんの『spiritual voice』、1040としてリリースしたものはそれだけです。『meiousei』とか吉田アミさんのアルバムは、自分では音響工作と位置付けていました。
当時、自分が見聞するシーンでは、音響工作をプレゼンテーションする手法が、結果的に即興によるライブになってしまう、という混在を感じていて、即興演奏としてのクォリティはあまり高くないものが多いと思っていました。それで、そういった音響工作とは別に、東京の新しい即興演奏のシーンに出会いたくて、1050という別レーベルを作りました。その頃、杉本拓さんのギター演奏に接して、「正にこういう感じ」と高揚し、『intercity』というオムニバスCDを制作しました。私と杉本拓さんの他には、ドローン・スタイルでギターを演奏する今和泉皓文さん、サックスの大蔵雅彦さん、トランペットの池野考造さんが、それぞれソロ演奏で参加しています。
その後、1050からは私のベースギターによるソロアルバム『basso continuo』と、installingのシングルCD『saraswati』をリリースしています。
1040、1050というレーベル名の由来について訊かれることがありますが、何かから拾ってきたものではなくて、なるべく意味のない数字の羅列にしようと思って名付けたものです。
『basso continuo』のいくつかのトラックには情景を喚起させるタイトルが付けられていますが、このタイトルもそれぞれの情景と音が結び付いているわけではないということでしょうか。
レーベル名の話と、『basso continuo』の曲名の話はまた異なりますが、後者については情景と音を結び付けるものではありません。タイトルというもので、その曲を説明しない方がいいと考えています。タイトルを付ける場合は、その音物語が伝えている抽象性の中にその言葉を投じた時に、触媒として機能していくようなものにしたい。それを説明だと思ってしまったら、すごくつまらないと思います。
即興演奏と音響工作、この2つに関心があるアーティストは大抵その両方を同時にやろうとする。もともと身体から遠いものであるラップトップなどを楽器の側に引き寄せて演奏したり、反対に、即興で演奏した楽器の音を素材としてコンポジションの内側に取り込んだりする。この2つをはっきり分けた形で続けていることがtamaruさんの活動の特徴と言えます。しかし、tamaruさんのベースの即興演奏と音響工作作品は、同じ作り手によるものだと納得できる。この2つを分けるという考え、それから両者に跨がっているものについて伺いたいと思います。
即興演奏と音響工作をはっきり分けていても、混在させていても、クォリティが高ければ構わないと考えています。
私自身のこととしては、当たり前のことを言うようですが、即興演奏は再現のきかないリアルタイムの表現としてのチャレンジ、音響工作は時間と手法の自由度が高いチャレンジであり、そのどちらにおいても、自分が気に入るものを生み出したいだけです。即興演奏の方では、演奏者としての資質やいわゆるミュージシャンシップというものを自分の内に感じています。
両者に跨っているものはどういうものなのか? このインタビューでは自分の志向や態度について随分述べさせていただいたので、この問いにもすでに答えている気がします。付け加えるとすれば、自分はロマンティックなものを好むということでしょうか。
uran!discについて伺います。手渡しで無料配布、さらにアーティスト名の表記なしというやり方に、どのように作品が他人に届いて、どのように聴かれるか、といったあたりのtamaruさんの問題意識が表れているように思います。
「手渡しする」「アーティスト名を表記しない」ということについては、uran!discの方針として堅持していません。堅持しているのは、uran!discという名の通り「有料販売しない」ということだけですね。
端折って言ってしまえば、uran!discも先ほどの自作スピーカーの話と同様、「いろいろ試行錯誤として行なう実験の一環」です。
CDを制作販売しても多く売れない、ならばいっそ無料で配付してしまおうというのは、パンキッシュな気分を含んだ行為ですが、同時に制作費や自宅の押入れを占める在庫の問題を解決する現実的な手法でもあります。
しかし、こうした無料配布をプロモーションとして行なうのではなく、配付行為自体に何かを見出したいという発想が出てきたことは、自分にとって大きな転換点になっています。それは「作り手と聴き手の、お互いの顔が見える音楽の受け渡し」ということではありません。uran!discにはそうした側面があるかもしれませんが、それは一部分にすぎません。無料配布という行為が持つ一番大きな意味は、「配付したくない相手には配布しない」「配付したくない気分の時は配付しない」ということだと思います。無料配布してみようと考えたら、無料配布だから出来る自由があった。それはもともと私が手にして構わない自由だったんだけど、今まではマスプロダクトの世界のフォーマットを、零細プロダクトの自分がわざわざなぞっていたから、気付かなかった。この視点に立ってしまったら、「作者名を表記しない、音だけのアルバムにする」「表記したくなったからやっぱり表記する」「収録時間が極端に短い作品を作る」「1枚しか作らない」というようなことも気負わずに実行するだけですし、そうした先の見えない行為の中に自分を置いてみることは、自然な欲求なのだと感じられてきました。音楽家が作品をリリースする、そこには聴き手という他者がいる。それでもやはり、これもまた「自分との対話」なのでしょう。
ただし、自分の音楽制作の全てにおいて、マスプロダクトの世界のフォーマットと無縁だとは考えていません。例えばinstallingの音楽については、やはり多くの人に聴かれる方法を探りたいと思っていますし、そういう意味で自分の行動を限定的なものにする律儀さは不要だと思います。
ずっと東京で活動されていて、アーティストに限らず、こういったインディペンデントな分野で活動している方と交流を持つ機会も多いと思いますが、そういった人との関わりの中で感じている事があれば聞かせて下さい。
自分の知らないところで、しっかりした活動を持続している方が、大勢いるんですよね。
だから、層は意外に厚いなと感じています。その中で、共演させていただいたり、お互いのイベントに呼んだり呼ばれたり、という関係は大切にしているんですが、自分の音楽の中身が変わってしまうような出会いは、なかなかないですね。
今後の活動について聞かせてください。
installingについては前述の通りです。ソロとしては、アルバム制作に関していくつかの具体的なアイディアがあり、いくつかはuran!discとして配付されるかも知れません。
ライブ活動については、いままでも決して多く展開してきたわけではないですが、もう少し本数を減らしてみたい気持ちがあります。ただ、こうしたことは多分に変化するので、このインタビューが公になった時点で、どうなっているか判りません。
(2007年3月19日)