手塚治虫氏の作品とシンクロしたのは、僕の場合、単行本や雑誌ではなく、テレビ・アニメでした。「アトム」や「ビッグX」、「ワンダースリー」なども見ていましたが、赤塚不二夫氏などのギャグ漫画が好きだった僕は、「悟空の大冒険」にとてもハマッてしまって、ノートに大量の悟空を模写したりしました。
手塚氏の絵は、他の漫画家に比べて、とてもスマートで、なめらかなタッチで、よく例えられるように、ディズニーみたいで、ドリーミーで、スケールが大きいので、紙の上よりブラウン管やスクリーンの方が似合っているように思います。世代的に、手塚氏の初期の作品に衝撃を受けたりというような体験は残念ながらありませんでしたが、当時、僕が好きだった漫画作家の、ほとんど全員が、氏からの影響の大きさを語るにつけ、改めて、手塚治虫という作家の突出した才能に、ある種畏怖の念に近い感情を持ったものです。
ドストエフスキー、アインシュタイン、ベートーヴェン、毛沢東、聖徳太子、僕は大げさでなく、手塚氏は、そのような人々の系譜に連なる存在だと思っています。人類の、文明や文化を飛躍的に発展させてゆくような、天与の才を授けられた人格。なので、僕の中では、氏は、「漫画家の先生」というよりは、作家、芸術家というイメージの方が強いです(ゲージツ家ではない)。重厚で、格調の高い、音楽で例えるならば、ポップスではなく、まさにクラシック、そんな印象です。氏が、ギャグ漫画を描いても、何か高尚なものを感じてしまって、素直に面白がれない。手塚作品がどうも苦手だという人々のメンタリティーも、その辺りにあるのでしょう。
しかしながら、「悟空の大冒険」(原作は「ぼくの孫悟空」)というアニメ作品は、そのような、「格調の高い」手塚作品の中でも、ひときわ異彩を放っている、大成功したといってもよい「ギャグ物」です。原作漫画の「ぼくの〜」も、「西遊記」のパロディなのですが、テレビ・アニメ化された「悟空の大冒険」は、原作をさらにハチャメチャにデフォルメした、非常にクオリティーの高いギャグ満載の、傑作でした。
どこか、井上ひさし氏の「ひょっこりひょうたん島」や「モンティ・パイソン」にも通じるセンスを感じたりしましたが、どうなのでしょう(そういえば「ひょうたん島」も「悟空」も、音楽を担当しているのは、僕の大好きな宇野誠一郎氏です)。今さらながら、当時の虫プロの、アニメ・スタッフのセンスワークが、手塚アニメに果たした役割の大きさを思います。35年経った、今見ても、充分面白い、いや、現在のアニメよりも、台詞廻しなど、センスそのものは、むしろ新しい。それって、もの凄いことなのではないでしょうか。
僕は、「火の鳥」で、氏が描く「存在についての永遠の問い」と、全く同質のテーマが、「悟空の大冒険」のような作品にもやはり形を変えつつも、しっかり流れているのを感じます。そしてそのことと、この作品のとびきりの面白さとは、決して無関係でないと思うのです。
河出書房新社 文藝別冊「手塚治虫総特集」1999年