Improvised Music from Japan / Seiichi Yamamoto / Information in Japanese

スラップ・ハッピー来日によせて

山本精一

 スラップ・ハッピーの音楽は、とてもホップで陽気で、分りやすいけれども、同時に、少々奇妙な、独特の翳りというか、底の知れない深みのようなものが有って、私は無条件に魅かれてしまう。来日おめでとう。

 元々は、オルタナティブなフィールドで活動を続けてきたアーティストが、時に、非常にポップなアプローチを見せることがある。そして、彼らによって生み出された"ポップス"の中には、極めて " 普通に " ポップスとして優れた楽曲も多い。しかしながら、その色合いや香り、" 光の粒の多さ" は、所謂、ポップスを職人的に作るアーティスト達の作品とは、明らかに何かが異なっている。表面上は似通っている部分も有るが、両者はおそらく、同じ種類のものではないのである。

 スラップ・ハッピーの " ポップス" も同様に、一般的な意味合いのポップスとは、別の地平にある。確かに彼らの作り出すメロディや、ダグマー・クラウゼの可憐な歌声を聴けば、充分に " 美しいポップス" として成り立つ要素はある訳なのだが、何かが違う。そこには、やはり、スラップ・ハッピーというバンドの土台を形作っている、怪しげな " 闇" のようなもの、得も言われぬ、カオティックな海のようなものの存在が、どうしようもなく見え隠れしているのだ。彼らが " アイ・ラヴ・ユー" と歌うとき、それは到底ただの " アイ・ラヴ・ユー" には留まり得ない。 " アイ" は、一人称にも、二人称にも、三人称にも成り得るし、" ラヴ " は、それこそ万物に向けられたアジテーションとも感じ取れるだろう。" ユー" には、無限の時空、無限の自己をイメージできるかもしれたい。

 アンソニー・ムーアと、ピーター・ブレグバッドの、長年に亘る音への問いかけの成果も、確実に重要な役割を担っている。一音一音に " 強い意志 " がこめられたサウンドは、決してサラッと流れない。シンプルなリズムの刻みであるほど、それは明確になり、まるで不揃いの真珠の列のようなビートが心地よい。

 彼らが " ファウスト" と共同で制作した『アクナルバサック・ヌーム』が、昨今、音響派やテクノ等を経て、音や歌の質感に、意識的なこだわりを見せる、新機軸の " 歌モノ" を志向するアーティスト達にとって、特別な意味を持つ作品になっていることは、スラップ・ハッピーが内包していた可能性の大きさを示す、ひとつの証左だろう。私達の周辺でも、少しメインストリームから離れた場所で、" 歌モノ" をやり始めていた連中の多く(特に女性ヴォーカリスト達)は、スラップ・ハッピーを、ひとつの指標にしていたものだ。先鋭的なサウンドメイキングの妙はそのままに、いかにそこへ的確に、且つ最上のメロディーを対時させるか。メロディーなり、声なりが、演奏に、乗っかってもいけないし、従えてもいけない。両者が全く自然に置かれるべきポイント、そういう微妙なポイントが確かに存在する。その場合、決してどちらか一方の、片方への " スリ寄り" が有ってはならない。歌(声)と演奏は、常に厳然とした対峙によってのみ、最も理想的な調和を得ることができるのだ。彼らの音楽から一番大きく教わったのは、たぶんそのことだと思っている。

 とは言え、スラップ・ハッピーの音楽は、可憐で、儚くて、軽やかなことこの上ない。あの独特の突き抜けたような " 軽み" には、" アヴァン・ポップ " などと言う凡庸な商標は全く似合わない。彼らの音楽は、アヴァンギャルドでポップだが、その本質は、明かにもっと別のところにある。今回の来日公演の最大の見どころは、まさにそのことを確認できるということに尽きるだろう。

図書新聞 2485号 2000年5月13日


Last updated: March 10, 2001