昭和五十年五月某日、自分は高校は当然フケて、阪急ファイヴ向いの路地のロックビデオ喫茶「キューピッド」で、午後二時まで過した後、やはりファイヴ通り沿いの純喫茶「れい」に入って、そこでドキドキしながら、大久保伶を待っていた。
素人名人会は、大久保伶が好きで毎週見続けていた。「れい」は、当時大久保伶がオーナーというので有名だった。なので、この店には、自分を含め、全国の大久保ファンが集う店としても有名だったが、自分としてはもうひとつ、漫画家の川崎ゆきおが来る店としても重要なスポットだった。
その日はいくら待っても、大久保も川崎も来る気配が無く、やはりな、と思いながら堂山町あたりのレコード屋をはしごして、何枚かの、サンフランシスコのサイケバンドのLPを万引きし、紀伊国屋で二時間ほど立ち読みした後、帰宅した。
次の日、久しぶりに登校するため、守口車庫行きのバスに乗り込むと、車内は気が滅入るような男子高校生によるサウナ状態で、窓ガラスは真白く水蒸気でおおわれていた。外は大雨だったが、一刻も早く外へ跳んで出てしまいたかった。まるで家畜輸送車だった。
淀川べりにあった男子高では、六月になると、教室にゲジゲジが出た。それも一匹や二匹ではなく、一度に十匹近くもあらわれ、壁や、黒板などを、猛スピードで走りまわる。それを、キャーキャー言いながら、スリッパで追いかけまわし、たたきまわしているのが、自分たちのクラスの担任教師で、これがとてつもなくしょうもない人物だった。
その日も、教室に入ると、担任がゲジゲジを追っていたが、生徒たちは、皆ゲラゲラ笑っている。何だと思い、黒板を見ると、黒板に担任の似顔絵が大きく描かれており、しかも、その絵には衣服が描かれていなかった。ごていねいに、デフォルメされた性器などが強調されている。そういうレベルの男だったけれど、自分は担任教師を、ある異なった次元で、注目していた。それというのも、彼は顔といい、風体といい、あの「北中君」に酷似していたからだった。特に顔はウリニつであり、それこそ、漫画から抜け出たなんてものではなかった。北中君そのものだった。自分は、何とか、この男に忍者の格好とか、させてみたくてしょうがなかったが、その前に、彼とのツマラナイいさかいが元で、学校をリタイアしてしまった。ドロップアウトではない。
夏休み前に高校をやめて、フリーになった十五才は、最初のうちこそ、時間が自由になったことの嬉しさを満喫していたものの、すぐに、やることが無くなってしまった。行動が著しくパターン化してしまい、かえって不自由な気持ちになった。自分は海に行って、女子といろんなことをしたり、ゾクに入ってブイブイいわせるようなキャラでもないので、本当に身を持て余してしまった。
そんなある日、池田の方で、「サンバ・カーニヴァル」が行なわれ、そこに古谷てつやが出るという情報を、かつての級友から得て、久しぶりに胸がドキドキした。サンバも面白そうだが、自分の感心を強く魅きつけたのは、古谷てつやという名前だった。パーカッションという楽器に、どういうワケか興味のあった自分としては、当時大阪で、パーカッションの神様として君臨していた古谷てつやは、一度ナマで見てみたいアーティストの上位に入っていたからだった。
級友と連れだって池田の「サンバ・カーニヴァル」会場に着くと、もう沢山の人で、皆、愉快そうに踊っていた。自分も踊りたかったが、どうも今ひとつ入り込めなかった。生サンバの演奏が、イマイチ軽いというか、腰にこない感じだった。
数バンド、そんな「軽い」バンドの演奏が続いた後、いよいよ、古谷てつやのバンドが登場した。うわーと思った。これが古谷てつやか!凄いオーラだ。そのバンドの演奏も凄い。リズム自体のノリが違う。腰にくる。きまくる。もうジッとしていられず、サンバか何か到底分からないような踊りを狂ったようにしてしまう。キメの部分で、「ハァー!」みたいな、自分でも恥ずかしい声を上げざるを得ない状況!!
その時、となりで、やはり狂ったように踊っていた友人が、遠方を指して、大きく笑い出した。示された指の行方を追うと、群衆の中で、ひときわ目立つ石段の上に登って、白のトランクス一丁で、とてつもない踊りを踊っている、ナゾの老人を見付けた。裸の肉体はしかし、土方などで鍛練されたものなのか、筋骨隆々で、顔は上気し真赤、頭髪は全く無く、きれいに剃りあげたようにツルツルで、その禿頭が西陽を受けて、まばやく光り輝く。眼光鋭く、そのまなざしは、あたかも獲物を狙う熊鷹の如く。彼はその完壁な容姿を惜しげなく解き放って、サンバと全く関係の無い、アラブの火踊のような、悪意さえ感じられる、独創の極みのようなダンスを、一心不乱に踊っていた。手には、古谷てつやサンバチームから投げられた、マスカラ替りのマミーのプラスチック容器(中に砂が入っている)が、しっかり握られ、それを猛烈な勢いで振りまくっている。
我々二人は、その刹那、同時に嬌声にも似た大声で、老人を指して叫んだ。
「鉄の爪ーー!!!」
今一度、
「鉄の爪ーー!!!」
人々は、この声に、一斉にこちらを向いて、何のことか当然分からず、怪訝そうな顔をしたが、我々は、ほんの一瞬だけれど、老人が、ひどく狼狽した様子で踊りをストップし、続いて、ものすごい形相で、天空を見つめた、その表情の動きを、決して見逃さなかった。
老人は、その後、何事も無かったように、怪しげなダンスを再開した。我々は、マミーの容器を振って、エールを彼に送った。
“鉄の爪は実在する”
そう思うと、自然に笑いが込み上げた。古谷てつやが繰り出す、強烈なサンバのビートと鉄の爪の汗と。我々はこの上なく幸せな気分になって、子犬か、猿(ましら)の如く、砂塵を上げて踊りまわった。鉄の爪は、あの日の池田の夏、たしかに、あきらかに存在したのだ。
その後、しばらくのあいだは気侭にブラブラしたり絵を描いたりしていたが、次第に、何をするにも金が無くて困るようになった。家人にも、なにせ何もしていないので、そうそう借金するワケにもいかなくなった。
そこで、まあ、バイトでもしょうと思い、求人誌など買ってきて職をさがしてみたが、なかなか、中学浪人の働き口は無く、面接に行っては即追いかえされる日々にメゲて、半ばヤケになりかけていたところへ、ひとつ面白そうな広告をみつけた。
“清掃員募集、年齢不問委細面談” 云々。
ハハァ、これなら中学浪人であほでも、もしかしたら大丈夫かもと思い、大国町のウス汚いビルヘ行ったら、すでに沢山面接に来ている。応募者達の年令も幅広くて、かなりの年配者から、下は自分らくらいの、高校中退組なんかも結構いる。それにしても、驚いたのは、三人程、どう見てもホームレスにしか思えない風体の人物が混じっていたことであり、さらにびっくりしたのは、その三人とも全員、職に有りついてしまったことだった。スゴイ職場だと思い、舌を巻いた。自分も面接を通った。
次の日から、色んなビルを清掃して廻ったが、自分は、件のホームレスのひとりとペアを組まされた。年は四十そこそこといったところか。服はさすがに会社のユニホームに着替えているので、乞食という印象は薄くなっていたけれども、匂いが凄かった。こればかりは一朝一夕に消え去るものではないのだろう。一緒に仕事をしていると、時折りアタマがくらくらした。けれども、自分は彼が好きだった。それは、このホームレスが、「便所バエ」に酷似していたからである。
「便所バエ」と一緒に、便所を掃除する嬉しさというものは、何モノにも替え難い幸せだった。けれども、それにしても、何故自分は、こうも見事に現実に、憧れの怪人たちと出会えるのだろう? 漫画の読み過ぎによって、虚実が入れ混ってしまったのだろうか? ひょっとして、アタマが少しおかしくなっているのか? でも、その結果、こんな具合に怪人たちと出会えるなら、それもまた良し。万事、結果オーライなのだと、変な納得もしてしまった。そういえば、あの日の面接官も、どことなく「久松」に似ていたし、さっき昼休みに入った定食屋のおばはんは、「蛇ババァ」そっくりだったようだ。もう全てを了解した。もうこうなったら、全員、怪人なのだ。パリッとした、分別臭い社会人の何れもひと皮剥けば、皆どうしょうもなく、怪しくも不細工な臭気を放つ生きものどもだ。
冬のある雨の日、自分は阪急ファイヴ5Fのマニアックな本屋をひやかした後、そのまま階下の、「れい」で、ひたすら大久保伶を待った。そしていつものようにあわよくば、川崎ゆきおにも会えればいいなと思った。掃除屋をクピになった後は、そんなことばかりしていた。本当にその他のことなんか何も考えなかったのである。
「少年少女世界猟奇名作撰 2001年猟奇への旅 川崎ゆきお画業三十周年記念」幻堂出版(2002年)