Improvised Music from Japan / Seiichi Yamamoto / Information in Japanese

「Labcry 1stアルバムのためのライナーノーツ」

山本精一

 何だろう? この、まるで " 薄い木 " を通して風景を見るかのような感覚は。聞こえてくる音は、確かにヴォーカルだし、ギターだし、ドラムだけれども、その、それぞれの音のまわり、もしくは背後には、無数の奇妙な膜のようなものが纏わり付いているかのような、あるいは、不思議な " 場" を通過した、ありもしない音が、沢山鳴っているような、そんな特異な質感が耳に残る。

 LABCRYの音楽は、リズム的にはファンクを基調に、ギターの刻みとべ一スによるグルーヴ、キーボード、シンセ、サンプラー等によるサウンドエフェクト、そして、その上で歌われる、ヴォーカルの三沢の、極私的なようでいて、その実、変なグローバル感を持つ歌詞によって構成されている。もちろんその中には、様々な興味深い新しい試みも数多く見られるのだが、バンド自体の " 在り方 " や、曲そのものは、いたってオーソドックスなものである。メロディーラインなどは、例えば、ほぼ同世代のアーティスト達である、 " SUGAR FlELD " や、 " FREEBO " 、 " CITRUS " なんかに通じるものがあるし、彼らに共通して見られる、ある種天然のポップセンスみたいなものを、LABCRYもまた、しつかり獲得している。だから、この作品を、オーソドックスな " ポップアルバム " として聴こうと思えば、いくらでも可能だろう。

 しかしながらである。やはり何だろうか?この、まるで " 木 " を通して風景を見るかのようなカンジは。聴いた後の、この妙に腑に落ちないモヤモヤした感覚は。気のせいだろうか? イヤイヤそうではないだろう。そう、おそらくは、この独特の不思議な質感こそが、LABCRYの音楽を、他者のそれから、強力に区別し、また際立たせる、重要なポイントになっているに違いない。そしてそれはたぶん、メンバー達によって、当初より周到に計画され、検討され、実行されたものなんかでは決してないだろう。こういう音は、あらかじめ、結果を想定して出来上がるという性質のものではないからだ。メンバー自身も全く気付がないうちに、それはまるで背後霊のように、彼らの音楽の背中にピッタリと貼り付いてしまったのかもしれない。陳腐な表現だが、これが所謂、音楽の " マジック " と呼ばれるものなのだ。意識下と無意識下の間、偶然と必然の境において、多くの場合、とても曖昧なカタチで結実する、 " 絶妙な果実 " 。私は音楽の中に時として現れる、そのような部分に、より一層魅かれるものである。そして、そのような果実が、一〜二個転がっていさえすれば、もうその音楽は、大方、成功しているといっていいと思っている。

 眼と風景の間に屹立する、 " 薄蒼い木 " が、一体どのようなモノで、どこに在るのか。それはきっと、敢えて言う必要のないことだ。なぜなら、その " 木 " は絶えず変化し、居所をかえてゆくものだろうし、正体も定かでないものを指し示すことなどできないからだ。けれど " 木 " を通して見える風景は、 " 木 " を通さないで見る風景よリ、奇妙なことに、数段明瞭に映るという事実。それのみが、私が今、この作品の音の中の " 果実 " について述べることができるものの全てである。

Labcry「A message From The Folkriders」ライナーノーツ (OZ Disc EHE009) 1997


Last updated: March 10, 2001