Improvised Music from Japan / Seiichi Yamamoto / Information in Japanese

キトンよ、空を飛べ

山本精一

 フリー・キトンの新作を、真夜中聴いていると、いろんなことが思い浮かびました。キムにもジュリにも、もう随分長い間合ってない気がする。実際は二年だが、もう十年以上も会っていないような気がする。ヨシミにはよく会っている。その間みんないろんなことが有ったんじゃないかと思う。キムはココを産み、ジュリはどこかの大学に入って何やらムズカシイ研究などをしているらしいし、ヨシミは結婚した。あ、マークはどうなんだろう。やっぱりケッコウいろいろあったりしたんじゃないだろうか。時には、生活のあいまに、フト窓の外の木などを、じっと見つめたり、スタジオでドキドキしたり、テンパったりしたんじゃないだろうか。いずれにせよ、フリー・キトンは変わった。変化した。変化し、深化した。人間が生きてゆくというのは、そういうことだ。フリー・キトンは人生の縮図だ。人間の条件だ。

 前作の音に見られた、ある種の初々しさというか、かっこいい粗さみたいなものは、今回はあまり無いかわりに、とてもスピリチュアルな、そして時にはトランシーといってもいいようなナンバーが幾つか並んでいる。ジャーマンロックみたいな曲もある。なんとドランベまである。こうした指向は、たぶん誰かがリーダーシップを取ったりしたものじゃなく、ごく自然に、そのような音へ、バンド全体が向かっていった結果のものだろう。

 それにしても、このドランベ、リズムだれが打ち込んだんだろう。キムか? ジュリだろうか? ソニックユース周辺で、今、ドランベ、流行ってるらしいから、やはりキムなんだろうか。う-ん、キムが深夜、ドランベ打ち込んでいる姿など、考えるとちょっとコワイ気もする。

 フリー・キトン(やんちゃな子猫)は、少し大きくなって、" 中猫 (ちゅうねこ) " ぐらいになったようだ。人間で言うと十四才位か。(ちなみにメンバーの実年齢とは関係ない。)人間についてや、人生についてや、運命についてや、神(カミ)さまについて、考える年頃なのである。しかし、彼女らは、けっして " 天狗 " になどなることなく、マジメに音楽にとり組んでいる。以前私は友人と、世の中で、 " 天狗 " になっている人たちを諌める、" 天狗党 " というのを結成していて、少しでも「あいつ天狗になっている」というウワサを聞きつけると、早速行って、「君は天狗になっているそうだな」と、ズバリ指摘したりしてたのだが、ある日、自分が一番天狗になっていることに気が付いて、党を解散した、苦い経験がある。

 後半以降のワンビート・フューチャー・サイケデリックなナンバーは、かっこいいな。音楽というのは、やっぱり時間を曲げたり伸ばしたりできるんだな。この曲聴き終わったアト、時計を見ると、ものすごく進んでいた。体感した時間は、五分ほどだと思ったのだが、実際はもっと、ずっと経っていた。その間、私は時間の波を漂っていたようだがよく覚えていない。とにかく、この曲は、本当に気持ちいい。フリー・キトンは、こんな曲もできるのである。ちなみにこの曲、ライヴでもやるのだろうか? もしやるなら、" ハナデン " と対バンも可能ではないか? ひょっとすると " 割礼 " とも対バンできるのではないか?

 大阪はもう、かなり秋だが、ニューヨークは、もっと秋にちがいない。西成を歩くたびに、キムやジュリの住んでいた、ダウンタウンの辺りを思い出す。あんなにイヤだった外国ツアーも、さすがに最近では。そろそろ行ってみたい気持ちに駆られている。ニューヨークは変わらず私たちを迎えてくれるだろうか。あの、スペイン人がウドンをつくる日本料理屋は健在だろうか。あのハーレムの、ペテン師のような路上レコード店のオヤジは、今でも " カルチャー " のジャケの中に、" ハリー・ベラフォンテ" を入れて売っているのだろうか。フリー・キトンの新作を聴き終わったアト、なぜか、こんなことをつらつら思ったりして、独りで、クスクス笑ってしまった。

フリー・キトゥン「センチメンタル・エデュケーション」ライナーノーツ(タイムボム、BOMB CD-52、1997)


Last updated: March 10, 2001