Improvised Music from Japan / Seiichi Yamamoto / Information in Japanese

会えない人

山本精一

 いつもの帰路の途中、タコ焼の屋台が出ていたので、一舟買おうと思い、焼けるのを待っていると、視界の端に、奇妙な白い布のようなものを着た人形が、一瞬入って来て、サッと見えなくなった。こちらをジッと窺っていたようだった。何だろう? 誰だ?
 屋台を出て、あたりを見回してみたけれども、それらしき気配がない。気のせいだろうか。いや、確かに見た。確かに白い、おそらくは人間であろう、異様な風体の物体と、眼が合った。もしかすると、自分は尾けられていたのかもしれない。
 何だ? 何なのだ? 言いたいことがあるなら、ちゃんと出て来て、面と向って言えばいいじゃないか。それを変な白い、訳の分らない格好をして、一体何をコソコソやっているのだ? アタマがおかしいのじゃないか? だんだん加速度的にハラが立ってきたが、同時に少々怖くなった。自分を尾けているとすれば、それは、何らかの関係を、こちらと積極的に持ちたいという意志のあらわれに違いない。一瞬、眼が合っただけでも、独特の不吉な感触が、十分伝わってきたくらいで、相手は、やはり普通ではないようである。ここは、あまり詮索しない方がよさそうだ。珍らしくそんな風に大人の考えをして、気を取り直し、再び帰路につきかけたとき、突然、"ガサッ"と音がして、道端の植え込みの向う側の車道脇から、件の「白い人」が、あたかも原潜のような、水際立った勢いで、ザパーッといった感じで伸び上がった。
 自分は驚いてしまって、思わず、あっと声をあげたが、向うはこちらを気にする風でもなく、まるで何かに怯えるような素振りで、キョロキョロあたりを窺っていたかと思うと、急に意を決したように車道を駆け出し、駐禁車のあいだの狭い空間に、チョコンと正座した。
 このようなモノとは、関り合いにならない方が良いに決っているし、先にも大人の考えを示したところだったけれども、もはや看過することはできそうもなかった。好奇心が異常に強い、自分の性分に抗うことができなかった。あまりにも事態は興味深いものだったのである。
 何故、白い布を頭から被って、まるでK・K・Kのできそこないみたいな格好をして、裸足で、小便臭い道端に正座なんかしているのか? 一体何者なのだろうか。まったくもって、風変りにも程がある。宗教関係者か?
 目、鼻、口のみ残して、頭部まで、スッポリ白い布で覆われているけれども、体付きから男であることは分った。年齢は定かでないが、肌のかんじや、物腰から、三十から四十といったところだろうか。
 向うも、当然こちらには気付いているだろうけれど、そういう素振りを、どうやら意識的に一切見せないつもりらしく、あくまで無視するというポーズをとっている。これはしかし、相当無理がある。殆どお互い、十メートルと離れていないところで、正面から向き合っている訳で、それが見えていないはずがないではないか。ワガママ以外の何ものでもない。現実から、かなり強引に乖離してしまっている。やはり、宗教関係者なのだろうか?
 男は、ギョロ目をむき出して、口をへの字にして、一心にこちらを無視している。自分は、買ったばかりのタコ焼を、ワザと頬ばりながら、精一杯の三白眼で男を凝視した。凝視はするけれども、その視線の先は、曖昧にしておくという、高級なワザで対抗した。
 " 無視合戦"
 なんという子供っぽく、不毛な響きだろう。
 そこには森羅万象、ありとある建設的、生産的な営みを、すべて無化する、空しい脱力感が横たわっている。
 と、真っすぐ一直線に前方を見つめていた男の動きが、にわかに勢いを強めて、急に立ち上がったかと思うと、また先程のようにコソコソと腰をかがめてあたりを窺い、少し先の、同じような駐禁車のあいだの空間を見つけて、ペタリと座り込んだ。さっきの場所から、二十メートルほど移動している。どうやら彼は、車間にできるスキ間の面積にこだわっているようだが、理由はまったく謎である。
 こちらも、男の動きに合せて場所を移し、今度は男から五メートルばかり離れたところに立って正対することにした。男は相変らず大きく目を見開き、口元をキリッと閉め、微動だにせずこちらを見つめている。我々は、互いの眼を、凝視し、無視し続けた。しかしながら、眼の前に碓かに見えている存在、それも尋常でなく強力な場をもった存在、そのようなものを、意識的にせよ、見ない、あるいは見ようとしない、というようなことが、果して可能だろうか? 「見えないフリ」をすることはできようが。
 既にあたりは暗くなっていた。夏のことで、ヤブ蚊が飛び交っている。屋台の方から、かすかにナイター中継がきこえてくる。
 左手首の非常な痒みに耐えながら私は、水銀灯の下の、異形のモノと、依然、対峙していた。けれど、半ば意地になっている、こちらの、乱れを含んだ視線と較べて、男の視線の、なんと冷やかで、無機なことか。いや、そもそも、彼の存在自体に、"人"という質感が乏しい。"生きもの" の匂いが、とても稀薄なのだ。全身を包んだ白い布のせいもあろうが、なにやら巨大なキノコのようでもある。車道脇へ、雨後、突如生え出た、といった趣きなのである。私は彼から視線をはずした。何か得体の知れない不安にかられたためだった。とにかく、これ以上、この人間に深入りしてはならない。これより先へ足を踏み入れると、何かが確実に破壊される。そのことだけは分った。タコ焼の食いさしを全部、ゴミ入れに投げ、小走りにその場を離れた。少し歩いたところで振りかえってみると、また違う場所へ移動し、今度はイスラム教徒のように地面に頭を擦りつけている男の姿が、小さく見えた。あれはやはり「祈り」だったのだろうか。

エクスタス01(群像9月号増刊)2001年9月(講談社)


Last updated: February 13, 2002