副島輝人
自由と制約と
ビッグバンドはジャズの華である。ダイナミックなアンサンブルを背景に、メンバーが次々に入れ替わっで個性的なソロを行い、時に合奏部は沈黙してソロ・アドリブだけが朗々と流れ、やがでまた全員がドッとなだれ込んで豪華な音楽空間を形成する。
ソロが線の軌跡ならぱ、アンサンブルは空間である。その兼ね合いが、ジャズ・オーケストラの醍醐味なのだ。合奏者は譜面に従って演奏するけれど、ソリストは個人のイメージによる即興で演奏し、それが終わると再び合奏の一員となり、別のだれかがソロに立つ。つまり個人と組織の調和、更に言えば即興という<自由>と譜面による<制約>のバランスの問題なのである。
一九六〇年代、フリージャズの時代が始まった時、世界のジャズ史が急旋回した。ジャズが、リズムとメロディを放棄したのだ。それでは、ジャズ・オーケストラの合奏部はどうなったのか。ドイツのアレキサンダー・V・シュリッペンバッハは、ヨーロッパの一流即興ミュージシャンを集めて『グローブ・ユニティ・オーケストラ』を組織した。彼等は、各個人が全体のイメージの流れを念頭に置きながら、全員が同時にソリストになって自分のアドリブをぶっつけ合う絶叫のサウンドを創った。コレクティブ・インプロビゼイション(集団即興)と呼ぱれる、当時としては画期的方法で、あの激しい時代に見合った音楽だった。
以後、全く個性的な性格を持ったオーケストラが、世界のあちらこちらに現れ始めた。それは各国、各民族のフォークロアをたっぷりと吸い上げたサウンドを持つものが多い。
『ウィーン・アート・オーケストラ』は、ヨハン・シュトラウス的な音楽体質を受け継いで、洒脱で華麗な演奏を聞かせる。それと共に、知的なコンセプトに基づく曲作りがある。「ミニマリズム・オブ・エリック・サティ」では、サティの曲の断片をミニマル・ミュージックの方法で発展させた。リーダーのマチアス・リュエグは「我々の持つ伝統音楽は他の地域の人々にとってはワールド・ミュージックの一つであるはずだ」と言って、アルプス地方の伝統楽器アルプホーンをオーケストラに取り込んでみせるのだ。
個人と組織と
イタリアの『インスタビレ・オーケストラ』は、イタリア中のトップ・ミュージシャンが集合したもので、メンバーのほとんど全員が作曲を提供し、自分の曲が演奏される時には指揮者となる。だからベーシストはベースを抱えて指揮者の位置に立ったり、ドラム・セットをステージ中央の前面に移動させたりする。演奏しながら指揮をするのである。これは、オーケストラにおける個人と組織の新しい構図だ。南イタリア出身のミュージシャンは、民衆の伝統音楽バンダをベースに作曲するが、それは軽快でありながら少し物悲しく、奇妙な意外性を持っていて、にぎやかで、一寸コミカルな味わいもある。要はフェリーニの映画を、そのまま音楽にしてしまったような按配なのだ。
『モスクワ・コンポーザース・オーケストラ』も、ロシアのインプロバイザーが大集結して形成された。ロシア各地のフォークロアをモティーフに演奏するのは、ロシア音楽のお家芸だが、その重厚なサウンドの中に鳴り響く即興演奏は、長い政治的統制からやっと獲得した個人の自由の象徴のように間こえる。
いま世界中から注自を集めているのは、日本の『澁さ知らズ』である。このオーケストラは、フリージャズが一旦捨てたビートを取り戻し、その代わりに予定調和のハーモニーを排除した。三人のドラマーの打ち出すビートに乗って、管楽器群が短いリフをエネルギッシュに盛り上げる。ソリストたちのプレイは凄まじく鋭いフリー・スタイルだ。このホットなサウンドに乗って二人の女性ダンサーが激しく踊り狂う。舞踏家が奇怪なメイクで裸身をくねらせる。鎧を身につけた俳優が刀を振りかざしてステージを駆け抜けていく。遂には全長20メートルのドラゴン・バルーンが客席の頭上に登場するのだ。
日本の祭りの情念が熱く沸騰しているトータルメディアのステージ。リーダー不破大輔は言う。「俺はリーダーじゃなくて、ダンドリストです。みんなが即興する心を持ち寄って創りあげるステージなのだから」。
(『公明新聞』2000年11月14日掲載)