文:斎藤徹
それは、阪神・淡路大震災の一周年コンサートだった。いろいろな組み合わせをしようという主催者の主旨で、お能(小鼓と能管)が前に二人、後ろにアメリカ・フランス・日本のベーシストが四人並んだセッションがあった。お能の音にすぐさま反応する西洋人に、違うな! と直感した。ここは、充分待って空間を広げるのにな〜などと思いながらほとんど音をだせずに演奏は終了。お能の勉強などしてない自分が何故そう感じたか? という点に興味を持った。それは母国語? 文化? 血? 早急に結論を出すのは危険だ。翌日、崩れかけたアパートの一室で私のソロがあった。たまたま主催者の友人だった久田さんが聴きに来られた。成り行きで久田さんが共演してくださることになる。それが凄まじいの一言だった。生まれてこのかた経験したものでは無かったが、確かに反応できるものが自分の中に有った。いつ終わるともわからないまま時は過ぎ、いや時は止まった。私の爪は裂け血が飛び散った。
「ものぐるい」とはかくなるものか。何かを見てしまった、という感じが正直なところだった。
帰京するや知人・友人にことあるごとにこの話をした。そんな中から演劇公演に久田さんをお招きする案が出た。『ダナイード』と言うギリシャ悲劇。姿のない陰の帝王となった久田さんの鼓と声は、小劇場演劇の虚構を打ち砕いてしまった。久田さんの前で、演出のたくらみは空しくなり、俳優は無力となり、のたうち回ったり、おどけるしかなくなってしまった。その楽屋で、「お能って奥深い哲学的なものなのでしょう?」とお尋ねすると「そんなことでは、ありません。単なる形式です」。この言葉には心底参ってしまった。本当に伝統の中にいる人だ。自分が媒体となって伝統が自分を通って出てくる。当然、能の哲学・美意識についてはいくらでも深いお話をお持ちなのだが、あっさりこう答えるのはスゴイ。折を見ては、お能の話を聞こうと思うのだが、人生の一瞬一瞬を楽しんでおられる日常の話もとてもおもしろいのであまりできずにいる。聞けた中で、もっとも興味深かったのは、お能がもともとは「わび・さび」ではなく、シャーマニックな激しい踊りだったというものだ。室町時代から、美感覚を研ぎ澄ませ、実験室のように守られた最も「日本的なるもの」と私は、思いこんでいた。逆に考えると、シャーマニズムのような自然・森羅万象と深く関わる激しいものを、その静謐の中に宿しているからこそ現代でも、力強く訴えるものがあるのだろう。
2001 / 2002年、久田さんとヨーロッパ・カナダへのツアーが決まっている。かの国々の人々にも、普段は姿を現さない自分のなかの古層があるはずだ。きっとその部分に久田さんの鼓が矢となって光をあてるのではないかと期待している。その場に一緒にいられることが私の最大の喜びだ。