Improvised Music from Japan / Tetsu Saitoh / Information in Japanese

CD ライナーノーツ
Solo [Contrabajeando]

文:斉藤徹

曲目解説

1、次曲とともにアストル・ピアソラのタンゴ。最高のコントラバス奏者キチョ・ディアスの為に作曲されたもの。ピアソラはいまでも、生きる指針です。

2、途中の挿入フレイズ「ロス・マレアドス」は敬愛するラモーンさんを思い浮かべて弾きました。

3、4、アルゼンチンのフォルクローレのうち大好きな2つのリズムをやってみました。チャランゴ風の音は、ベークライト板にガムテープを巻き使いました。

5、6、ブラジルのショーロ、サンバ、MPBは長年聴き続けてきていて、私にとって無くてはならない音楽です。ビリンバウやクイーカの音色を工夫しました。ここまでの1〜6の南米の音楽で共通して惹かれているのは、大地に近い2ビート系の揺れと身体性なのかなと思います。

7、モンゴルのオルティンドーで聴いた曲。溝入敬三氏が吉川和夫氏に委嘱した cb、fl、vl 用現代曲「オーバード」のモチーフの一つ。私も一度、中川昌三氏、手嶋志保さんと演奏しました。ここでは、広い平原と馬頭琴、行ったこともないのに、なぜかなつかしいモンゴルを思い浮かべつつ弾きました。

8、96年から急に南の島々と関係が始まり、石垣島や、西表島の海岸で録音(「八重山游行」JAB-01・02「パナリ」JAB-03)、沖縄本島では演劇音楽をしました。その時々の経験で、この目の前の黒潮は、流れ流れて韓半島につくのだと悟り、大和と全く違う文化の流れを感じました。そこで、この5年間、抜き差しならず係わって来た韓国音楽と繋げてみました。5拍子(取りようでは20拍子)のリズムを媒介にしています。

9、演劇用に作曲した2曲を繋げています。東欧や中央アジアを背景に一列になって色々な遠い所を移動するイメージ。

10、愛知芸術文化センターのフォーラムイベント用に作曲。最後の旋律を京都の坊さんたち「七聲会」に高さ50メートルの会場で唱ってもらったときは凄いものがありました。リディア旋法のグレゴリオ的メロディーは、声明的発声でも驚くほど違和感なく、彼らにも気に入ってもらえたのは、喜びでした。

11、プロデューサー、録音技師、当美術館の画家、そして共通の友人に韓国の銅鑼を四隅でたたいてもらったもので、韓国で特別に作ってもらった大きさ、材質、異なる4つの銅鑼が響きあって何とも言えない空間になったことを思いだします。小川さんは録音機のレベルを設定し、録音ボタンを押してから急いで演奏したのでした。

12、バッハの無伴奏全曲のなかで一番気になる曲で、いつも無限を感じてしまいます。


RECORDINGのいきさつ

昨年の「STONE OUT」のジャケットの花の絵を描いてくれた小山利枝子さんが地元の長野に専用の美術館を持ちました。元の習志野市長の吉野孝氏の建物で、なんでも寿司屋でたまたま会って意気投合してこうなったそうです。音楽に非常に造詣深く、数々の著書もあり、音楽家を何人も育て、コンサートを何度も行っているお酒の大好きな「人物」でした。飯綱高原は厳寒の地で、本来11月から4月まで閉鎖しているのですが、特別開けてもらって録音ということになりました。

ある日、いつも懇意にしている楽器店「弦楽器の高崎」に遊びに行くと、異彩を放つ楽器がありました。買う予定の人がキャンセルしたためロンドンに返すまで店頭に置いてあったのです。何気なく、弾いてみたらアッと驚いた。いままで聴いたり、弾いたりしたコントラバスの音とあきらかに次元が違う。特に低音はものすごく、冗談めかして「吐きそうな低音」と感想を言いました。それを無理言って借りてしまいました。録音3日前だったので、弾きこなす時間もなく、本来むちゃなのですが、弾きたい気持ちに代え難く、決行したのでした。実は、その3日間、楽器の形がかなり違っていて音程を取りにくいため、弱気になって2台持っていこうか、とか、やはり長年苦労を共にしてきた自分の楽器でやらなければいけない、いい楽器だからといって、録音するなんてどこかおかしいんじゃない? とか悩みもしました。しかしこういうチャンスはもう無い、と判断停止してそれだけ持っていきました。ガリアーノという有名なバイオリン製作者が、なぜか3年間だけコントラバスを作ったとかで現在、本物は世界に2台しかなく、博物館に入ってもおかしくない「歴史的」銘器だそうです。ひっくりかえっても手のでない値段なので、もし壊したら、私の一生台無しと思い、移動車を点検に出したり、マットレスを敷いたり、大騒ぎのVIP待遇でした。200年以上前にこれほど完成したものを作った人間、文化は大したものだと心底感心します。また、普通の人 (?) の手に届かない楽器で演奏して喜んでいる自分は何なのだとも一方では思ってしまいます。

それにしては、相変わらずいろいろ「正統」でない弾き方をしている、と叱られそうですが、ガット弦へのこだわりでもお解りのように、「民俗楽器」としてさかのぼって、大地や木々に近く弾きたいという私の指向のなせる仕業と解釈して下さい。羊の腸を馬の尻尾の毛に松のヤニを付けて弾く楽器なのです。スティールのソロ弦をこの楽器に張れば、CELLOのようなうっとりする音がでることは、私でもよくわかりますが…。

寒さも尋常でなく、録音中、小指からだんだん凍えていくようだったり、いざ録音だという瞬間に近所で工事が始まったりで、精神的にも鍛えられた(弱さを暴露した?)忘れがたい録音でした。最近、演奏に対して考え方が、変わりつつあり、今回は曲をやろうと思いました。一曲づつ練り上げていくタイプではないので、こういう録音には向かないのかもしれませんが、これが今の私であることは事実です。ここから何処へ行くのでしょうか。

プロデュースの森田さんの影響か民謡系が多くなっています。みな私の愛する音楽です。録音の小川さんは、もとオーケストラでコントラバスを弾いていたそうで、楽器、演奏家を鋭く把握した、かなりの名録音だと思います。

1997年2月8日 斎藤徹