大友良英がニュー・ジャズ・クインテット(ONJQ)を始動させたのは1999年。昨年2002年6月には、初の国内盤『ライヴ』をDIWレーベルから出したこともあり、日本のジャズ界にもホットな話題を提供した。『ライヴ』発売にあたり、2002年6月タワーレコードが発行している『ミュゼ』に記事を書くため、大友にONJQについての話を訊く機会を得た。ONJQだけではなく、大友のジャズ観、音楽観も表れたとても興味深いインタヴューであったが、残念ながら誌面の都合上その全てを掲載することは出来なかった。しかし、『ミュゼ』編集部の快諾を得てここにインタヴューの全貌を公開する運びとなったことを嬉しく思う。(横井一江)
まず、ニュー・ジャズ・クインテット(ONJQ)を始めたいきさつについてお話いただけませんか。
99年にP-Vineから出した『山下毅雄を切る』というアルバムがあって、60年代、70年代のTV音楽を僕がリメイクしたアルバムなんですけど、その中で何曲かジャズ編成のバンドが必要になって、そのとき作ったバンドが今の編成にほぼ近いバンドでした。今のクインテットのメンバーにピアノの南博さんを加えた編成で、ルパン三世の音楽とか、プレイガールとかを、エレクトロニクスやボーカリストも入れて演奏したんです。それを演っていて、すごく素朴な言い方しちゃうんですけど、オレもオレ自身のジャズができるかなと思って。
実はそれには布石があって、南さんのクインテットにゲストで呼ばれたことがあって、98年の12月だったんですが、それが本当のきっかけかな。南さんのクインテットに水谷さんがいて、ドラムがつのけん、サックスが竹野さんだった。客席には菊地成孔がいて、ゲストがサックスの津上研太。終わったあとに、津上研太、南博、水谷浩章、菊地成孔に僕の5人で打ち上げして、ずーっとジャズの話で朝の8時まで。みんなで大学のジャズ研の一年生みたいだねって言いながら。僕はジャズの現場じゃないところでやってきたんで、普段はジャズの話をそんなに深くするなんてあんまりないんだ。ジャズ・ファンはまわりにいないから。だから、嬉しくてしょうがなかった。ロリンズの何年の録音の…ってだけで話が通じるわけだから。
それで、この人たちと何かやりたいなと思って。だから本当の切っ掛けは打ち上げなんです。で、その後1ヶ月とあげずに、山下毅雄のアルバムで彼らに僕のアレンジで演奏してもらったのが99年の正月明け。先程の4人に芳垣安洋にドラムで入ってもらって。ここから始まりましたね。ただONJQを作るにあたって、ピアノのイメージは初めからなかったんですよ。だからピアノはなしで、部分的に僕がギターやターンテーブルで音色をつくろうと思ってました。山下毅雄の録音段階では、僕はほとんどターンテーブルだけですし。
本格的にONJQという形でリハに入ったのが99年の春だったと思います。最初の段階は今みたいなカタチでは全然できなくてね。ほんと試行錯誤の連続で。最初のライヴ…7月だったかな…のときにはアコースティック・グラウンド・ゼロとか陰口を言われてしまっていたくらい、前のバンドの面影引きずっていましたね。すぐに今の方向が出たわけではないです。ただイメージというか、こういうジャズをやりたいっていうかなり明確な方向みたいなものは頭の中にはあったんです。ただね、それを音に出来るかどうかは、また別の問題ですから。
以前にTzadikから出た2作と違って、今回DIWから出たアルバムでは、大友さんのギターが前に出ているような気がします。新たにジャズ・ギタリストとして何かチャレンジなさっているというか…。
これはジャズ・ギタリストとしての初アルバムだと思ってます。その前のアルバムとかサントラでもジャズっぽいギターは弾いているんだけど、Tzadikの1枚目ではギタリストとして関わっているというよりもサウンド・コーディネイターとでもいったほうがいいかな。そういう意味ではジャズ・ミュージシャン的というより、それまでに現代音楽やったり、ノイズをやったりした時と同じスタンスでジャズをやっていたんだけど、今度のDIW盤に関してはそういう意味ではちょっと違う感じがしている。ジャズ・ギタリストとしてやっているとはっきり言えると思う。ギターでジャズというフォーマットの中で演奏するということを意識的にやったというか。
最初はそこまでギタリストとしてやろうと思ってバンド作ったわけではなくって、もっと作曲家的というかそんな感じでバンドつくったんですけどね。とはいえ、ジャズだから譜面に全部書いてみんなに演奏してもらってOKというわけにはいかないでしょ。各自のアドリブとか即興的なアンサンブルの中で作っていく音楽だから。何度もリハーサルやって、僕のイメージする方向はそうじゃない、そうじゃないんだと、随分ディスカッションしたんですよ。特に最初の1年間はね。ただリハーサルしただけじゃなくって、実際にそれを録音して聴きながら、ここでこういうのをやりたいとか話した。ただ譜面づらの作曲じゃなくってね。このコトバはあんまり使いたくないけど、音響的なアプローチをしたかった。ジャズのフレージングを演ることによって何か成立させるんじゃなくって、ぱっと聴いた一瞬の音色で世界が成り立つようなジャズを。僕的には、ジャズって本当はそんなものだったんですよ。デューク・エリントンしかり、マイルス・デイヴィスしかり。ところがある時期から、フレーズとかコードといった要素の中でアドリブをすることだけがジャズだってことになってしまったでしょ。でも僕にとってのジャズはそういうもんではなくて、まずは音色ありきで、ぱっと聴いたその瞬間の中に全てがあるような、ある世界観をちゃんと提示している音楽なんですよ。しかもそれが歌というか、その時代のポップスのメロディとも密接に結びつきつつ、それでいて音響的というか。70年代のマイルス以降そういうジャズってあんまりないような気がしますね。そんなわけで、自分自身は最初はギタリストってよりプロデューサー的にバンドを運営していたと思うんですけど、それが達成されていくなかで自分自身のギタリストとしての比重も増してきて、はっきりとギターがバンドそのものの中核になるような、ギターの音色が全体を特色づけるようなジャズ・アルバムをつくろうと思ったのがこのライヴ盤ですね。
DIWのアルバムを聴いていると、70年代からいきなり現代に来ちゃった気がするんですよ。
僕のジャズ史では、70年代以降のジャズについて全く興味失ってるからね。実際にジャズを聴いていたのは70年代、80年代なんだけど、70年代のある時期以降のジャズはほとんど興味が持てなくて。まったく面白いと思わなかった。それ以降のもので僕が興味あったのはデレク・ベイリーであったり、ノイズ・ミュージックであったり、電子音楽であったり、極端なパンクみたいなもんだったりする。だから、それ以降のジャズについては影響って意味ではまったく受けてないですね。80年代以降のジャズの何が好きじゃないのかといえば音色。特に録音が嫌いですね、僕のテイストではない。むしろそういった自分自身にとってのジャズみたいなものが濃厚にあるのは、実際のジャズよりはそうでない音楽のほうがずっと感じられて、それが例えばデレク・ベイリーだったり、あるいはメルツバウだったり、NYのダウンタウンの音楽だったり。そっちのほうが僕にはデューク・エリントンに近かった。
今、いろんな人たちがやっているのと同じ様なジャズをやるのなら僕がわざわざやる意味ないですし、第一、今のジャズがやってるようなハイパーな技術みたいなものはないですからね。だから今の視点での一般的な意味でのジャズかどうかってことを問題にしたかったんじゃなくて、今の僕自身の視点でジャズのフォーマットをやるとどうだろうかってことの興味が一番にありましたね。なにより自分で聴いて面白いと思えるジャズをやりたいなと。そういうアルバムを作りたいなと。もっと大胆なことをいえば、70年代以降にこういう方向のジャズの進化の過程があってもよかった筈だってことをやりたいんです。
やっててわかったことは、ジャズはライヴを重ねることによって音楽が成熟してくるってこと。そんなの当たり前ってジャズの人は言うだろけど。ジャズのそういった当たり前のことが僕には当たり前じゃなかったりするんです。スタジオで成熟するような音楽もさんざんやってきたし、ロックの成熟とジャズの成熟方法って似ているところも沢山あるけど、微妙に違う気がしますし。自宅の密室で作られる音楽もあるし、音楽はかならずしもライヴだけではないけれど、少なくともONJQに関してはライヴやツアーを抜きには考えられない。
ジャズについては、ボーヤをやっていた80年代の数年間以外は現場にいたことはなかったんで、ホントのジャズの現場を知らなかったとも言えるんです。無論非常にジャズと深い関連のあるヨーロッパの即興シーンに10年以上も深く関わってきたんで、その意味では現場は充分に経験してきているし、ボーヤの時代から考えれば、こと即興音楽に関して言えば、誰よりも世界の現場で勉強してきた叩き上げともいえるんですけど、やはりジャズとはちょっと違って、即興のほうがはるかに自由で個人主義的な現場ですからね。グループの音楽ってよりは一匹狼みたいな習性の連中が状況に応じていろいろな徒党を組んでは、すぐに解体していくみたいなのが即興の現場なんです。だからジャズとはだいぶ違いますよね。ジャズが非常にアメリカ的な組織で出来上がってるとすれば、即興のほうは極めて欧州的な組織論で成り立っている。ONJQでは、そんなわけで初めてジャズ的な音楽や組織の作り方を遅ればせながら経験できた感じかな。幸い僕以外はジャズのフィールドに深く関わっていた人達だから。
今のONJQの音楽に近くなったのは、99年後半にヨーロッパ・ツアーしてから徐々に。やっぱりツアーしないと駄目ですね。あるまとまった期間に何回も演奏する。それも人前で。最初の頃、スタジオで何度も演奏して、録音とるというやり方をしていたんですよ。それはむしろロック的というかプログレ的だったかもしれないけど、それじゃ出来ないことってあって、人前でステージの幕が上がっちゃったら、上手くいこうがいくまいが、自分の思い通りだろうがそうじゃなかろうが、客を納得させて、とにかくやり終えなきゃいけない。現場で鍛えられていくというか。ジャズってそんな音楽なんだってこと、改めてわかりましたね。
他のメンバーはジャズの現場でずっとやってきた人達ですが、大友さんの意図することは伝えるときなんかでギャップというか、そのようなものはなかったのでしょうか。
違いを克服することであの形が出来てきたとも言えますね。最初は違いがわからないんですよね。わかんないっていうか、明確じゃないから。僕自身は、みんなが集まってただ演奏するだけとは明らかに違うものを求めてたんだけど、何が違うのかということがなかなかわからなかった。だからかなり試行錯誤しましたよ。ただいくら頭で考えても駄目で、結局何度も何度も演奏する中でたたき上げていくしかないんです。そうやっていいところに落ち着いていくというか、ある世界みたいなものが出来上がっていくんですよね。それがジャズのアンサンブルなんだなあって。
最初の段階では、机の上で考えてたことがいくつもあって。音響的なアドリブってのは可能なのかなとか、響きを重視したようなアンサンブルとか、ハーモニーというよりはモジュレーションの具合を中心にアンサンブルを作るとか、どこのシーンをとってもそのバンドにしか聞こえないような音色が常に響いているミニマルなものにしたいとか、あるいはものすごくミニマルで起承転結すらない小さな音量のバンドにしたいとか。こんなあたりが、机の上でというかバンドのメンバーを想定した時点で頭にあったイメージだったんだけど、始めのうちはなかなかそういう風にいかなかったですね。やっていくうちに頭の中だけで考えていた方向も鍛えなおされて変わりましたし。最初に何をやったのかというと、互いに反応することを禁止したんです。盛り上がるな。絶対反応しないでくれって。響きあうようなアンサンブルのことだけ考えてくれって。例えばAの音を誰かが吹いたとするでしょ。それに対してもう一人の人がAの音吹いたとする。そのふたつのAの音の当て方にもいろいろあって、ちょっと音程ずらすとワンワンワンとなるし。ワンワンワンという唸りはグルーヴや音色になるわけで、体を使ってワンワンワンとやらなくてもそうなるでしょ。そういうことだけに焦点当てようよって。ようするに、僕が作曲したCATHODEなんかでやっていた石川高の笙とSachiko Mのサイン波の「モジュレーション#1」で起こったようなことをジャズの中でもやれないかって思ったんです。だから最初の段階ではSachiko Mのサイン波や自分で吹いた笙をサンプリングしてみたりしたんですよね。ちょっと飛躍して聞こえるかもしれないけど、エリントンとかベイシー、ギル・エバンスってそんなことを沢山やっているように僕には聞こえるんですよ。ああいう感じが必要だなって。
特に音色。音色ってのは音の色合いだけではなくって、リズム、音程、和声、スピードやら何から何まで含めてアンサンブルとしての総体のことだと思うんです。英語で言うとソノリティって言葉ありますよね。それがバンドとして出せなければ、このバンドは辞めようと思ってました。あるコード進行にのせてアドリブをやることがジャズの表現であるという考え方は、ジャズの中のごく一部でしかないって思うんです。アドリブがなくてもジャズは成立しえるはずだと思って。じゃ、それはなんだろう…ってあたりから考えだしましたね。
それから録音もね。ジャズの録音は過去には素晴らしいのがいっぱいあったでしょ。もちろん、よくないのもあるけど。50年代、60年代、40年代。今よりはるかにチープっていうか機材が良くない時代にやっていたにも関わらず、録音は良かったと思うんです。ところが、ある時期以降のジャズって、録音もつまんないんですよ。これも単に好みの問題なのかもしれないけど、すべてがハイファイになっちゃって。例えて言うとテレビに似ていて、特に今の時代劇がそうなんだけど、全部が明るくって、肌のポツポツまで見えちゃうでしょ。夜なのにいろんなディテールが見えちゃう。昔のテレビを見ると、もっと暗いですよね。影がちゃんとあった。今より感度が悪かったからかもしれないけれど、でも、ちゃんと影の表現を考えていたんだと思うんですよ。影までよく見えるのが進歩だとは僕には思えないんです。それよりは影をどう表現するかを進化させるべきだと思いますね。だから録音も陰影があるものが好きなんですよ。
今は選べますからね。ハイファイからローファイまで。それなのに、単純にスタジオにある一番いい機材で録音するというのがずっと昔から続いている。機材が大したことなかった時代は、その中でも工夫があって面白いことやっていたんだけど、ある時期以降ハイファイ技術が進んでからは工夫しなくてもいい音とれるし、工夫してるのかもしれないけど、それが必ずしも音楽の表現と合ってないというか。その意味では、まだ、ポップスやロックのほうがずっと優れてますよ。ジャズはね。好きな分だけ、大好きだった分、かえって気になってしまう。ローファイに戻れという意味では全然ないですよ。ただ全部の音がきれいにとれていればいいってものでもないでしょ。それをちゃんと明確に示したのはシカゴの音響派といわれる人たちがやっているジャズ、シカゴ・アンダーグラウンドとかね。彼らの録音は面白い。その音楽がかならずしも好みってわけではないけれど、少なくとも録音に神経使っているって点では好きですね。今度のONJQ のCDでは、僕がずっとつきあっているGOK SOUNDの近藤祥昭さんにやってもらった。近藤さんは独特の個性と彼自身の世界を持っていて、彼自身の中に音楽がある人ですから。PIT INNは必ずしも良い音のする会場ではないけれど、近藤さんがちゃんと世界を作ってくれていて、すごく気にいってます。
話変わって、大友さんはTzadikの1作目でも、今回のDIWでもドルフィーの曲を取り上げていますよね。ドルフィーの曲を取り上げる何か特別に理由があったのでしょうか。
ドルフィーは素朴に好きなんです。ドルフィーはさっき言った彼独自のソノリティと言えるような独特の音色世界があるんですよね。空間的だし。彼のアドリブも曲も全部含めてなんだけど。何でも入れられるような空間がいっぱい開いているような感じがして。方向づけられないっていうか、イメージが湧くんですよ。Tzadik盤でやっている「Serene」って曲は、ブルースなんですよ。でも、ブルースじゃないカタチで、しかもあの曲の元のイメージのまんまでやるにはどうしたらいいのかなって考えて作ったんですけどね。それで単音でずっとロング・トーンでもあの世界になるんじゃないかなと思って始めたのがきっかけ。あの曲を取り上げたことでバンド自体が随分変わってきましたね。ジャズのフォームでやるのは唯一テーマの部分だけで、それ以外は一音ロング・トーン吹くだけだから。ブーッと7分間も8分間もやるなかで、ただの一音だけで表現するにはどうしなければいけないのか、ジャズのフレーズ吹いちゃいけないし、リズムもコードも出しちゃいけない中で、それでもジャズであるにはどうしたらいいかみんな考えなければいけない。あのアレンジをした時点でバンド・リーダーとしてちゃんとアレンジできたなと思ったんですね。あの曲をライヴで何度もやっていく中で、みんなあの曲の中で会得した方法で他の曲でも演奏しているんですよ。
10年以上前に、ドルフィーの未発表のデモ・テイクみたいの(『Other Aspects』Blue Note)が出たでしょ。その中で現代音楽やらインド音楽みたいのをやっている。今まで発表されずに没にしたのは当然っていう未完成な内容なんだけど、それでも彼、なんかやろうとしていて、なんか掴もうとしているんですよ。そこが好きですね。完全に完成したものもいいけれど、まだなんだか本人にも見えないようなところで何かを掴もうとしている音楽って惹かれますね。その意味でもドルフィーは面白い、開かれ
ている感じがする。解釈が色々可能で、とてつもなくジャズで。でもジャズにもかかわらず別の音楽に向かって開いていて、何か他の音楽に向かってポッと開いている。ちなみにONJQの2作目はプレイズ・エリック・ドルフィーでという話があったんです。イギリスのLeo Recordsからだったけど、いろいろな事情からボツになった。でも、ドルフィーの曲はいずれもっと本格的にやろうと思っています。今はまだ解明不十分だけど、いずれは必ずやろうと思ってる。
「フラッター」を聴くとオーネット・コールマンを想起するのですが。
あの時代のフリー・ジャズは一通りの方法ではないんです。アルバート・アイラーのやっているフリー・ジャズとオーネットのやっているフリー・ジャズは明らかに方法や構造が違う。その辺は全部参照しているつもりです。ウェイン・ショーターが当時やっていた方法もまた、まったく異なるものだと思うし。
オーネットの「ロンリー・ウーマン」はすごい好きな曲で。高柳昌行がやっているのも好きだし、オーネットがやっているのも好きだし、レスター・ボウイがやっているのも好き。「フラッター」は、もともと映画音楽に「ロンリー・ウーマン」っぽい曲をいう監督のリクエストがあって、それで出来た曲なんです。だからオーネットぽくって当然というか。ただアルバムに入れるにあたってはオーネットとはまったく異なるコンセプトを柱にしていて、それがSachiko Mのサイン波なんです。シンバルの音とサイン波がモジュレーション起こしているなかでサックスが吹くと、ある音域の中で変な響きになったりする。そっちのほうがもうひとつの重要な焦点なんです。オーネットのハーモロディック理論でやっているジャズとは別のところで何かが起こっているような。でも、実はまったく別のことではなく、あれも充分フリー・ジャズ的だと本当は思ってるんですけどね。だいたいあの時点では、Sachiko Mの音がなければ、ジャズとしてははなはだ弱いですから。やはり、あの音があって初めてジャズとして成立していると思っています。ただライヴでは、やっているうちに、だんだんサイン波入れなくても、そういうことが起こるようになってきたんで、そのうち入れなくなりました。(注1)
ドルフィーとは違う意味で、オーネットのコンセプトっていろんなものを入れやすい。いろんなものが共存しやすい。それが多分ハーモロディックなんだろうと思うけど。それで、あの曲はONJQのスタンダード・ナンバーになっちゃったんですけどね。あの曲でのギターの演奏もすごく変わってきて。最初のころは影のように音色を響かせているだけだったんだけど、そのうちフィードバックだけになったり、メロディとノイズを共存させたりとか、解釈が何通りも出来るんですよ。
ウェイン・ショーターが『スーパー・ノヴァ』で「スイー・ピー」を録音した時のギタリストの一人が、ジョン・マクラフリンでしたね。同じギタリストとして、ジョン・マクラフリンについてはどう思ってますか。
マイルスやショーター、トニー・ウイリアムスと一緒にやっている時期のマクラフリン以外はほとんど興味ないですね。マクラフリンはアドリブをバリバリやっている時よりも、はっきりしない伴奏だかアドリブだかわかんないことやっている方が好きですね。マイルスの時はそうでしょ。だからウェイン・ショーターの『スーパー・ノヴァ』での演奏は好きです。ソニー・シャーロックのフリーキーなギターと、どこまでもコードやリズムは外さないんだけどなんかフリーにやろうとしているマクラフリンとのちょっとサイケなコンビネーションの中で、ウェイン・ショーターがバラバラと吹いていて。なんとチック・コリアがドラム叩いているんだよね。あのサイケな感じが好きですね。60年代末から70年代にかけてのサイケ感がね。あの頃のシャーロックもすごい好きで。ま、あの時代はシャーロックだけじゃなくて、ジミヘンも、ジャック・ブルースもみんなサイケデリックで、すごく好きですね。
オーソドックスなギタリストで好きなのはジム・ホール。ジム・ホールで好きなのは『アンダーカレント』、それからソニー・ロリンズとやっている『橋』、ジェリー・マリガンとやっている『ナイト・ライツ』。『ナイト・ライツ』はあの響きが好きなんだよね。自分がジム・ホールみたいに弾きたいとかいう次元じゃなくって、リスナーとしてとにかく好き。音色がね〜。ほんと美しいよね。あと誰だろう、音色が美しいの。ジム・ホールとジミ・ヘンドリックスと。60代のギタリストはみんないい音してる。あの時代のギターとギター・アンプの音がとにかく好きですね。あの頃の世界中のポップスに味付けのようにちょい役で入っている無名のギタリスト達にもすばらしい音色がいっぱいありますよね。あとはピート・コージーかな。ピート・コージーは風貌とか存在の仕方も含めてカッコいいですね〜。
大友さんは今までノイズ系の音楽などでいろいろとやってきた。そして、ONJQをやっている。これはなんらかのカタチで反映されているのでしょうか。
かつてフリー・ジャズの人って、自分のやっていることを拡張しようとしてどんどん新しい語法とかを取り入れたりしてたでしょ。より自由にって感じで。でも、俺がやっていることは多分全然違う。むしろ正反対。ノイズや即興なんかをやっていた時点で、すでに語法的にはもうとっくにフリー・ジャズどころじゃないくらい自由に出来たわけだから、フリー・ジャズをやるってことは、むしろ自由を限定するというか、フリー・ジャズの語法を使うんだっていう意思と限定がないと出来ないですから。本当は100のこと出来るのに、5くらいの要素でなんか作らなくっちゃいけない感じとでもいうか。でも100の要素知っているわけだから、そこからの参照も可能で、そこだけは新しい可能性だと思うんですよ。フリーが生まれた頃と違って、僕はもう知ってしまっているわけですから、まだ情報がない時代のなかでやってたのとは全然違う。根本的に違う気がする。
でも、ノイズやっているときも少なくとも僕の場合は限定してやってますね。ノイズをやっているときは、ジャズやロックは出来ないわけじゃない。そこでジャズ・ギター弾きたいと思ってやったら別のものになっちゃうから。だから、100あるうち100すべてを出せるものなんてなくって、その中でいろいろやりながら、常にいろんなところで扉が開いているようなやり方じゃないと納得いかないかなあ。そうやってあるスタイルを選択してやっていくときに、音色ってすごく重要な要素。これでジャンルすら変わるというくらい。あんまり理屈にならないだけにね。コードとかメロディって割と理屈で言えるのだけど、音色ってそういうふうに言えないけど何かあるんだよね。僕のなかでは。音色が変わるだけで、ジャンルや語法すら変わってしまうくらい大きいですね。
今、音色という言葉が出てきましたね。それをONJQの音楽上に反映させるために特になさっていることはありますか。
もちろんあるけど、でも譜面で書いたり、言葉で言えるような感じではないですね。現代音楽の作品なんかだと書くことが可能かもしれないけど。ジャズだと書くことはきっかけを与えるだけで、それをライヴの中で何度もやっていくことでしか生まれない。だから具体的になにかをやってるんじゃなくて、何度も演奏するなかでしか固有の音色って生まれないような気がしている。だから、今回はライヴ盤にしたって部分もあるし。スタジオでも1回とっているんだけど、なんか納得いかなくって。DIWの沼田君と相談してライヴにしたらと言われて、そうだライヴでやればいいんだと思ってね。ライヴのほうが自分の音楽、自分の音色になっているような気がしますね。今回のライヴ録音で成熟期とまではいかないけど、ONJQは一段階越えた気がしている。この先どうなっていくかはまだ分らないけどね。ギタリスト大友として、これからは…。
はっきりギタリストとしてもやっていこうと思ってますよ。少し前、ONJQ始める前にプーさん(菊地雅章)とやったときに、ターンテーブルとギター持っていったら、「お前、ギターいいな、ギターもっと弾け」って言われたんです。その時はあんまり自分のギターがいいとは思ってなかったから、意外だったんだけど、ちょっと嬉しかったりして。同じ頃、同じようなことをいろんな人に言われたりして、ちょっと調子づいたのかもしれませんねえ(苦笑)。
ONJQでギター弾くことを強く促してくれたのは芳垣と菊地でね。初めはギターとターンテーブル半々みたいな感じで始めましたから。それに芳垣も菊地も、自分のバンドで僕をギタリストとして使ってくれて。こんなのできねえよっていうことを僕にやらして。菊地のデート・コース・ペンタゴンと芳垣のエマージェンシー! で、ギタリストとしてずいぶん鍛えられたですね〜。今はギター弾くのすごい好き。
誤解してほしくないのは、ジャズの現場の人は僕がターンテーブル止めたと思っているでしょ。で、ノイズ系の現場の人は僕はギター弾いていないと思っている。そうじゃなくって、両方同時ステージでやることが減っただけで、基本的にはどっちも五分五分の比重で、そのときの気持ちでやっているんです。ただ、ジャズにターンテーブル持ち込もうとは今は思っていないだけで。レコードのコラージュにはまったく興味ないですから、今は。(注2)
ONJQは2管ですが、このような楽器編成になさったわけは。
一番は、たまたま出会った2人がサックスだったってことだけど。あとはハーモニーというか、音色つくる上でサックス1本だと音色のハーモニーが作りにくいじゃないですか。ギターとサックスだけだと限界があるしね。だから、2本。トランペットでもよかったんだけど、知り合いいなかったし。そうそう、ONJQで吹いてもらっている芳垣のトランペット好きなんですよ。ウタゴコロ以外には何もないっていうか。下手だけれど、すごくいいトランペッターだと思う。ONJQには絶対に必要な要素。ピアノが入っていないのは、そもそもピアノとギターの相性はジャズやる際にはイマイチってのと、ギターってチューニングがピアノほど正確じゃないし、和音を弾くときに音を間引いて弾かなきゃいけない楽器でしょ。ピアノは間引かずにバーンって全部の音が出ちゃう楽器じゃない。出た時点で方向が決まっちゃうからってのが大きいですね。方向が何通りもあるように見せるにはギターの和音くらいが丁度いい。なにより音色的に難しいってのもあってピアノは入れなかった。いずれにしろ楽器で考えたってよりは、何よりも人で決めた部分が大きいですね。この人達たちなら僕のやることに付き合ってくれるかなという人を集めたら、たまたまこの編成だったって感じですね。
ONJQ以外の大友さんの活動についてもお話いただけませんか。
映画音楽…これはまた全く別の仕事ですね。はっきり分けて考えているけれど、でも映画と、そうではないいつもやってるような自分の音楽、その両輪でひとつという感じです。両方関連しあってます。ジャズ以外の自分の音楽のほうでいえば僕が一番はまっているのはフィードバック。これはONJQにも応用している。フィードバックはとにかく面白いね。音がコントロールできないという状態が素敵でね。だから、ターンテーブルもフィードバック発生器として主に使ってる。興味あるのはフィードバックとそれによって起こるモジュレーションですね。あとはやっぱりオフ・サイト周辺でおこっている音楽、杉本拓やSachiko M、吉田アミのやっている音楽が圧倒的に面白いですよ。AMMのキース・ロウが中村としまる、杉本拓、Sachiko Mとグループ組みたいって言ってるんだけど、すごくよく分かる気がする。オフ・サイトは美術と音楽の交わる場所でもあるしね。これはオーナーの伊東篤宏の影響が大きいですね。この流れではやはりSachiko MとのFilamentが僕にとっては最前線の実験の場です。あとは今一番やりたいのはANODEですね。これはなかなか場がなくってむずかしいけど。ANODEやCATHODEを含む作曲作品はもっとやりたいですね。そうそう、もうひとつ興味あるのは [うた]。永遠のテーマ。自分じゃ歌えないけど。
だからONJQの2作目ではうたを取り上げたのですか。
日本の歌謡曲、特に50年代から60年代にかけては、ジャズと日本特有の歌との幸福な結婚に思えるんですよ。ものすごく独特の音楽がそこから生まれていてね。それとジャズっていうのが本来、歌の要素を背景に強く持ちつつ前衛的な表現や即興演奏へ向かった独特のジャンルでもあるわけで。そんなこんなで、今、僕のやっているジャズ・バンドで日本の歌の伴奏したらどうなるのだろうというのがそもそもの出発点で。昔の曲じゃなくって、今の僕が好きなポップス。といってもヒットしたようなものよりは、身近な人が歌っているようなポップス。自分にとってはっきりリアリティがある歌だけをとりあげました。山本精一が作った曲とかPhewが作った曲とかね。無理して流行っている人とか有名な人を呼ぶのじゃなくって、自分の周りの人で歌を作りたかったんです。自分にとってリアリティのある歌をONJQでやる意味も必要も、ジャズをやる以上はあるだろうと思って。いつの時代でもジャズは [うた]がエネルギー源だしね。歌をそのまま表現するわけではないんだけど、常にその時代の素敵な [うた]とのいい関係がエネルギー源だ思う。[うた]のないジャズなんて考えられない。歌手がいるいないではないですよ。その関係は常に見ておかなくてはいけないなと。ジャズやるにあたって40年代、50年代のスタンダードを参照するんじゃなくってね。
2作目の時、山本精一とかもいいかなと思ったけど、あんまり広げちゃうとなんだから、Phewと戸川純さんに焦点を当てた。ジム・オルークの曲も取り上げた。ほとんど友達の曲ばかり。作曲者も歌っている人も演奏しているミュージシャンも。最初はジョン・ソーンからビル・ラズウェルにミックスさせようかとも言ってきたんですよ。だけど、それはやりたくなくて固辞しました。ミックスも含めて自分の世界ですから。人にミックスされたら自分とは違う世界になっちゃうからね。
実はこのプロジェクト継続したかったんだけどね。でも、難しいので止めた。理由は歌手を抑えるのが大変だからね。たまにやるプロジェクトということで。ただ、あれをやることでエネルギーはちゃんともらいましたね。[うた]の録音で、次が見えてきたというか、それが次のアルバムの『ライヴ』にもちゃんと出ていると思いますね。そのくらいあの録音はONJQにとっては重要ですね。あそこでアンサンブルの柱みたいなものが始めて見えてきましたから。歌手の伴奏をすることって多分ジャズにとってはすごく重要なことなんだってことにも、あのとき気づきました。あれがなければ今の音になってない、ライヴ盤は出来なかったと思いますね。
そのジム・オルークの「ユリイカ」をDIWでも取り上げたわけは。
あの曲が好きだってのが一番の理由。[うた]の時にやって、この曲はいけるなっていうのがもちろんあるけど。青山真治の『ユリイカ』という映画の中でジム・オルークの「ユリイカ」とアルバート・アイラーの「ゴースト」が出てくるんですよ。で、アルバート・アイラーのコンセプトで、「ユリイカ」をやろうと思ったのが素朴なそもそものきっかけですね。なんか結びついたような気がして。だから、あの曲はジム・オルークの方法というよりはアルバート・アイラーの「ラヴ・クライ」の方法ですね。メロディを延々とサックスが繰り返して、バックはずっと早いテンポで微妙なインテンポでフリーに演奏していて、ミルフォード・グレイヴスがもの凄い演奏してるんですけどね。コード演奏する人はひたすらスリー・コードだけやっててね。それをもうちょっと今の音色、今のメロディでやれないかなと思ってやった。だからあれはアイラーなんですよ。DIW盤は、種明かしをするとウェイン・ショーター、オーネット、ドルフィー、アイラーへのトリビュートなんですけどね。種明かししなくても聴けばわかりますね。(笑)
ききて・構成:横井一江
2002年6月9日
2003年2月大友自身が加筆修正および注釈を加えた
取材協力:DIWレコード
Special Thanks to ミュゼ(タワー・レコード)
(注1)2002年の10月のシカゴ公演の時に、主催者の強い希望で久々にSachiko Mに入ってもらって「Flutter」をやりました。このときに、他のメンバーにも明確に彼女の音が聴こえてる演奏に初めてなったような気がします。多分こんなジャズは今まで誰もやっていないって意味で、主催者は彼女の入ったONJQの公演を求めたんじゃないかと思っています。今考えても、あのサイン波は宣言の意味も込めて重要だと思っています。
(注2)2002年の後半あたりから、また少しづつレコードを使ったターンテーブルの演奏も始めています。ただし、コラージュというよりは、レコードそのものの音の質感みたいなものに焦点を当てられないかなと思っています。