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西陽子インタヴュー

筝のなかにはいろんな音がある

ここ数年の西陽子の活躍は目覚しい。筝という伝統楽器の奏者でありながら、演奏する楽曲は古典、クラシック音楽、現代音楽と幅広い。多彩な演奏活動はソロ活動、国立劇場における復元楽器の演奏から、オーケストラとの共演、高橋悠治がプロデュースする伝統楽器グループ「糸」、藤枝守が音楽監督と務める「モノフォニー・コンソート」、大友良英の「アンサンブル・カソード」など広範囲にわたる。そんな西陽子の音楽世界を映し出したCD『ファンタスマ』(トライエムDICC-28013)がリリースされた。「選曲に半年かけた」という意欲作だ。

西陽子は1999年から2年間、バイオリンの鈴木理恵子、ピアノの中川俊郎と共に神奈川県立音楽堂レジデンシャル・アーティスト「トリオ・デュ・モンド」のメンバーとして活動した。今回の録音には、このトリオのメンバーに加えてコントラバスの池松宏が参加した。

「池松さんはユニークで素晴らしい。実力もあり、いろいろ面白いこともやっていて、中川さんがよく一緒に演奏していた。それで、3人だけじゃなくって4人でやったら面白いのではないかなと思い、私のFaceというリサイタル・シリーズに呼んで去年の夏に4人でやったのが最初。トリオ・デュ・モンドが、私のなかで下地としてあって、それがもっと広がればいいのではないかと思ったのです」

『ファンタスマ』でラベルやシューマンなどのクラッシク音楽、クレズマー、ジプシー音楽、八橋検校の《六段の調》など多種多様な曲を取り上げているのは、「面白ければなんでもやりたい」という西陽子らしい。曲に合わせて、調弦、奏法などに実はさまざまな工夫が施されている。

「《見知らぬ国と人々から》では、ギターの奏法を用いています。イエペスが弾いているCDを沢山聞きました。ギターではメロディー・ラインと伴奏を一人でやらなくてはいけない。ハーモニクスでメロディをやっている。筝も音域が狭くて色々なことは出来ないところが似ているので、ギターの奏法が使えるのではないかなと、それを応用しました」

プリペアード奏法も用いているが、そのきっかけは、「現代音楽にどんどん触れるようになって、ジョン・ケージのプリペアード・ピアノの音がすごく面白いと思った」からだという。

「沢井一恵先生もお箸挟んでやっていますよね。プリペアード・ピアノって、一台の楽器でいろんな音がいっぱい出るでしょう。筝も同じように弦があるので、出来るのではないかと思った。クリップとかいろんなものを挟んだり、取り付けて、遊びながらやりました。無駄になったものもいろいろありましたけど。弦にはさんでミュートさせるものも重さがいろいろあって、筝の場合は重いものをのせたほうがよくって、十七弦のほうは軽いもののほうがよかったりする。それが不思議なんですけど。挟むスプーンもこれじゃないと駄目とか…」

不思議なことに、クレズマーやジプシー音楽を筝で演奏しても全く違和感はない。その秘密に「平均律とはちょっと違う」調弦を用いていることなどがあるようだ。

「押し手とかもわざと中途半端にするとか、ジプシー音楽とかフライラッハ(クレズマー音楽)などは整っていると面白くないんで。ちょっとぐちゃぐちゃとなっているほうがいいんです」

また、誰でも聞いたことのあるJ. クリーガーの《メヌエット》でも、「調弦をある程度ピタゴラス音律に近づけてやっています。平均律じゃなくって、《メヌエット》は5度を中心にして合わせている。純正もちょっと取りながら合わせています」

このような音律に対するこだわりは、藤枝守と出会い、プロジェクトに参加し、その作品を演奏したことが大きく作用している。

「藤枝さんとの活動がなかったら、ピタゴラスとか音律にこだわることはなかった。純正長で音をとると音楽がどう変わるかということもわからなかったかもしれない。そのことも今回のCDに生きている。逆にかっちりした現代音楽で、冷たい響きがほしい場合には、それ(純正調)ではまろやかになりすぎてしまう。やはり平均律に合わせて曲が書かれているので、平均率のほうがいい。古典でもピタゴラスにすると古典とは思えないような感じになったりする。ちょっと古楽器みたいな感じに。半音の幅をかえると、どうしても全体の響きが濁るので、曲の感じも違ってきますね。

音律だけではなく、いろいろ挟んだりしたときもそうなのですけど、この楽器の中にはいろんな音がある。思いがけない音に出会ったり、それを発見していくのは嬉しい。相手の知らない面を見たようで。それによって一緒に演っていく人も増えていく。自分の世界が広がるといろんな人と知り合って一緒にやっていける。そこが楽しいかな。

特に何を発見したというわけではなくって、なんとなくやっているうちに、あのときのあれが生きているのかなという感じがありますね。これをやったからこうなりましたというわけではない。『ファンタスマ』でやったことでカソードに生かしたこともあります」

即興的な要素が少なからず入っている作品を演奏することも珍しいことではない。例えば、大友良英のアンサンブル・カソードでも「私のパートはほとんど即興」だったらしい。

「齋藤徹さんの仕事で即興的なことを始めてやりました。即興の教育も受けていなかったし、何がなんだかわからなかったけれど、徹さんにとにかくやってみたらと言われて、それから始まった感じです。高橋悠治さんに呼ばれ、インドネシアの人と演奏したときですが、楽器持ってきてというので持っていったら、いきなり弾いてと言われたこともあります。調弦も決まっていないし、会う人みんな始めての人ばかりだったのに。悠治さんには、ひとつの音でいろいろやってみることから始まるということを教えてもらいました」

西陽子はどこまでも自然体だ。「偶然の出会いみたいなものを信じる。ほんとに偶然出会ったものばかりなんですよね。自然なとこがいいんですよ。奇をてらっていない。自分でも何が起こるか楽しみ。また何にいつどこで出会えるか…」。新たなよい出会いと筝という楽器のさらなる可能性を期待しよう。


ききて・構成:横井一江
取材協力:トライエム
初出:ミュゼ Vol. 40(2002年11月20日発行)


Last updated: March 25, 2003